第8話 訪問者B スディーン夫妻 1

 そんな暮らしが一年過ぎた頃、店に何とも怪しい風貌の二人組がやってきた。どこで泥を被ったらそんなに砂っぽくなれるんだと不思議なほど薄汚れていて、ツナギらしき服も痛みが激しい。

 ただ本を汚しそうな瑞々しい汚れではないので、ケマルはいつも通り挨拶した。


「いらっしゃいませー」


 そのケマルの声に、体毛のすべてがぼさぼさの二人は、そのわずかな隙間から見えた目を光らんばかりに輝かせて狭い店内で突進してきた。


「ケマルね!!」


 抱きしめられる直前分かったのは女性の声だということだけ。


「うげっっ」


 その女性らしき人物に抱きしめられるだけでも内臓が飛び出そうなのに、その後ろから一回り大きな姿と男の渋い声が覆いかぶさる。


「やっと会えたな!」

「っ…………」


 もう少しで意識がなくなる直前、ケマルの体は解放された。

 膝から崩れ落ちそうな体をその客に支えられながら、さらにそれを嬉しそうに笑われながら、ケマルはその顔を覗き込む。

 髪だから髭だかなんだか分からない毛を除けたとしても、知らない顔だった。


「……どちら様ですか」


 考えるのもしんどいケマルはさっさと尋ねた。


「キャロルよ」

「俺はケンジ、よろしくな」


 無理やり握手させられながら、納得した。文字の上だけで知っている名だ。


「いつもいろいろ送ってもらってありがとうございます」


 半分迷惑だと思いながらも、残り半分本気でお礼を言った。

 ようやく自分でちゃんと立って、まだ店に他の客がいることもあって奥で待ってもらうように言う。カーテンから奥を覗き、声を掛ける。


「おい、悪いけどこの人たちにお茶でも出しておいて欲しいんだけど」

「へいっ! お安い御用」


 当たり前に仕入れたばかりの本の状態を確認していたショートンが満面の笑みで二人をカーテンの中に招き入れ、楽し気な話し声が聞こえ始めた。

 その日、嬉しいことに閉店まで客足は途絶えずケマルが二人にちゃんと向き合えたのはすっかり日が暮れた後だった。


「お待たせしてすみません」


 こんな日に限ってメイプルは一度も店に顔を出さず、塩やその他本以外を買いに来た客にも適当にわかる範囲の物はショートンが売った。

 毎日来ると言っていたメイプルだったが、三カ月ほどで毎日ではなくなっていた。今は大体週の半分ほどでそれも朝から一日いるのは珍しい。だから、代わりにショートンがそこの店番のもしている。


「それでですね、送ってもらってるものなんですが、半分以上は売らせてもらってるんですが、本当にいいんですか?」


 メイプルがガンガン売っていて許可は取っているとも聞いてはいるが、店主として直接本人に確認しておきたかった。


「もちろん、いいよー! メーちゃんから聞いてるよ、よく売れてるみたいだね」

「自信の品だからな、ケマルはどうだ? 気にってくれてるか?」


 ケマルが聞きながら二人のいる事務用のテーブルに木箱をイス代わりにして座ると、ショートンがすかさずケマルにもお茶を出す。そして二人にも新しいものを淹れる。


 余談だが、ショートンは食器を集める趣味があるらしく、今テーブルに並んでいるティーカップもどれも違うデザインだ。なんの気遣いなのか自慢なのか、ケマルにはいつも新しく買った物が出される。そういう物こそ客人に出すものだろうと思うケマルだったが、ショートンの優先順位はいつでもケマルが一番らしい。

 ただ新品がない時は、軽くて量の入るカップだ。一番それをケマルが気に入っているから。だから毎回それが良いのだけれどショートンはやっぱりケマルの願いは聞き入れず、今日も新入りが目の前に現れた。

 どこでも見たことない形容し難いいびつな形のカップだった。どうしてこぼれないのかが不思議なほどに。

 そしてケマルの感想はたった一つ。


(飲みづれぇ)


 そう思いながらも、客人の前でそれを言うわけもなくケンジの質問に答えた。


「すごく良いものなんじゃないですか? この服ももらった布で作ったんですけど、洗濯してもヨレもしないし皺もつかないんで重宝してますよ」


 裁縫の才などないし、オーダーに出すほど頓着があるわけでもないので放っておいた布を、フミがいつのまにか勝手に使って作った白シャツだが、見た目はただの綿に見えるのに、天気、季節問わず着心地抜群で有り難く着させてもらっている。なぜかその余った端切れが店の例の狭い棚に並べられていて良く売れているのは、ケマルはあえて理由を聞かずにいた。


「そりゃいい! ケマルのじいさんには世話になったからな」

「じいさん? ひいじいちゃんのことですか?」


 この店の前の持ち主で、ケマルが名前で呼ばなくて良い数少ない肉親。


「そうよー、昔ね私たちが取ってきたもの色々売りさばいてくれてね。若い頃はそれはもうガラクタばかり集めてたから、ここで売ってもらったお金がなかったらやってけなかったのよね」


 ケマルは曾祖父が実際に商売をしている時のことは全く知らなかった。

 病に倒れてからの付き合いだったから、その姿は常にベッドの上だった。そこでケマルにあれこれ話してくれたのが、虚構の話だった。年寄りの妄言ということではなく、誰かが創作した物語をまるで噺家のように上手に語るのだ。そして昔読んだという本も紹介してくれた。

 今ケマルがあるのは完全にその曾祖父の影響だった。


「そうなんですか、ひいじいちゃんの知り合いだったんですね」

「……亡くなってからしばらく経つなー。ここもどうなるのかと思ってたんだが」


 ケンジはキャメルの方を見て、キャメルと一緒に少し切なそうな顔した。だがその後二人そろって口の端をニッと上げた。


「本屋になったって聞いて少し寂しかったのよ、でもあの人のひ孫がやってる店だし気にはなってたの」

「そしたらよー、この場所のこともジイさんの事も知らないメイプルがいきなり気になる場所があるとか言ってくるからビビったぜ!」


 魔法使いにビビられるって大丈夫なのかと思うケマルだったが、口には出さなかった。


「変な本があるからですよね、ちゃんとしてはいるんですけど」

「変な本って言うとヤラシク聞こえるからダメ」


 急に口をはさんできたフミはいつからいたのか、ケマルの横に立っていた。

 そしてその一言だけで客人にお辞儀だけして、階段から下に降りていった。


「あれがフミちゃんか~、かわいいわね」

「……俺にも気配が分からんかったぞ、あれはカワイイだけじゃねーな」


 キャメルとケンジはそれぞれ感心しているが、毎回心臓が跳ねるからケマルとしては迷惑極まりない。

 そう思っているのを知っているショートンが、なだめるようにお茶のおかわりをケマルのカップに注ぎ、ついでに二人も注ぎながら口を挟む。


「本当にこの店にある本は大丈夫だと思うんすけどねー、メイさんは心配し過ぎなんっすよ」


 ショートンはイス代わりの脚立に座って、本当に困ったものだという表情でテーブルに肘をついて溜息をついた。

 しかしケンジは苦笑しながらもメイプルを擁護した。


「あいつの心配も的外れじゃねーとは思うけどな」

「ねぇ、ケマルちゃん。一つお願いがあるんだけど」


 わざとらしい「ちゃん」付けとモジャモジャの髪の隙間から見えるキャロルの目がやたら笑っているので嫌な予感しかしないケマルは無言で顔をゆっくり背けてしまった。


「ん、もう! 察しが良いわねー、そうよ、その通りよ!」


 さらに嬉しそうに、砂埃を立てながらケマルの肩を叩くキャロルのせいでせき込み涙ぐむケマル。


「ッゲホ、ンゴホっあんたらも、ここに通うとか……住むとかいうんだろ、こいつとかみたいに」


 砂埃の巻き添えをくらって、むせていたショートンの襟首を捕まえた。


「……えほっ、すごく、いいところ、っすよ」

「勧めるな」

「キャロル、流石にいきなりそれは失礼だろ」


 ケンジは意外に常識的だということが分かった。


「ええー、だって私たちほとんど旅に出てて、いないじゃない。それにここでいろいろ売らせてもらったら助かるでしょ?」

「それは……そうだな」


 納得するなよ! もっと正論で挑んで論破しろよ! とはケマルは言わずに自分で断る理由を探した。


「えーと、ここにはこれ以上人はいらないんで。それに売るって言われてもここは本屋なんですよ、だから本以外の物はちょっといらないんです」


 ショートンがいちいち笑顔になってなぜか照れているのをケマルは視界に入れないようにした。たぶん自分は必要な奴だとケマルが思ってくれていると解釈したんだろうと正しくケマルは理解した。だからこそその姿を目に留めると溜息が深くなって頭痛の種になりそうだったから、見ないという現実逃避をしただけだ。


「でも、お塩とか売ってるじゃない?」


 ケマルの思考を他所にキャロルは明るい。


「あれはレジ前のおまけみたいな物なんで。あれ以上売り場広げるつもりもスペースもないので勘弁してください。俺に売れない物はあれ以上売りたくないんです、スミマセン」

「そっかー、それは仕方ないわね。でも住むのは良いでしょ?」

「数日泊まらせてもらえれば、一年はまず帰ってこない。どうだ?」


 結局ケンジもキャロルに同調し始める、遠慮はしていても本心ではそうしたいと思ってた証拠だ。


「宿屋代わりにしたいってことですよね」


 曾祖父と関係ある人物、さらにいろいろもらっている恩があるため、それくらいならいいかという気もしてしまう。

 そのための布石として贈られたものかとも思うが、それにしては良いもの過ぎるのでホテル代としてもらってると思えば十分以上だった。


「まあしょうがないですね、素泊まりで良ければ。それも一週間ぐらいが限度ですよ」

「十分十分」

「じゃあ飯奢るぞ、今からいくか!」


 二人は勢いよく立ち上がると、俺とショートンを引っ張って街に繰り出した。普段食べないような肉をたくさん食べさせてもらい、空いている二階に案内するとケマルが特に寝具を用意することもなく、慣れた様子でどこからかいろいろ取り出して寝床を作っていく。


「魔法ですかー」


 マジックボックスの類だとは分かったが、それにもいろいろ種類があるからケマルにはどこから出てきているのか認識できなかった。


「容量は決まってるけどね」


 無限になんでもしまえるわけではないと教えてくれるも、ケマルが普段仕入れに荷台を引いていくことを考えればかなり羨ましくなる。


「俺も魔法使えればいいのになあって、思いますよ」

「あら、これくらいのことだったらケマルでも使えるようにしてあげられるわよ」

「俺、魔力全然ないんで無理ですよー」


 すると夫妻は不思議そうにまばたきし合った。


「別に魔力なくても使える道具にすればいいんだろ?」

「私たちかメーちゃんがメンテすれば、問題ない物作るから」

「……本当ですか? 買う金はないですよ」


 ケマルのしたたかさが顔を出す。


「いい、いい。世話になる礼だ」


 タダほど高いものはない、とこの時からケマルはちゃんと分かっていた。

 だからこの二人がこの店にもたらすいろいろなことは甘んじて受け入れる覚悟が泊めることを決めた時からできていた。その上でもらえる物はちゃんと貰っておく。

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