8
許すもなにも……ホキが慌てる。
「そんなに無理しなくていい。トヨミが疲れて身体を壊したらそれこそ悲しい」
「その時は
「ダメよ、芹は春のものよ。他の季節はどうする気?」
「そうだな、そんな時は……」
トヨミが遠慮がちに言う。
「ホキに看病して欲しい」
「
「違う、違う! そんな
するとニヤッとホキが笑った。
「具合の悪い時の
「うっ……そう思うならそれでもいい。
「判った。トヨミが病の時は
嬉しそうに微笑むトヨミ、どんどんホキを好きになっていくのが自分で判る。
やはりいずれは妃にしたい。妃にして同じ宮で暮らしたい――それにはどうしたらいいのか?
ホキの
だいたい開拓するのにアスハナを推挙したのはカタブ、まだ本決まりではないがアスハナに決まればカタブも嬉しいはずだ。
問題は伯母とソガシだ――この二人を説得できなければ、ホキを妃に迎えるのは難しい。カタブどころの問題じゃない。だけど必ず説得する。説得して、ホキを妃にする。
「トヨミ、どうしたの?」
黙り込んでしまったトヨミをホキが
「いや、病になった時、ホキに看病して貰うにはどうしたらいいかを考えていた」
「どうしたらいいかって?……そばに居るだけじゃダメなの? 薬湯を飲ませたり、汗を拭いてあげたり、祈祷したり?」
「それには同じ屋敷で暮らさなきゃダメだよね」
「あ……それもそうね。だったらトヨミ、この屋敷に住むことにする?
「いいや、都を出ようと思っているんだ。さっき話したアスハナに移ると思う」
「そうなの?」
「うん……ねぇ、
ホキがトヨミをまじまじと見つめる。
「トヨミ、それ、本気で言っているの?」
「本気に決まってる――
「アスハナってきっとカシワデと変わらない田舎よ?」
「うん、知ってるって、見に行ったって言っただろう――アスハナに田や畑を開墾し、街を造る。
「へっ?」
ホキが驚いて、トヨミの懐に任せていた身体を起こす。
「トヨミの宮を中心に、って言った?」
「うん、言ったよ? それがどうかした?」
「……宮って? 屋敷ではなく?」
「宮って言うのは、
「帝? 皇子? 皇女?」
「帝って言うのはこの国を治めている――」
「判ってる、都に住んでいてヤマテ国の統治者、海と地を創りしアマツキ神の子孫にして、けっして侵さず絶やしてはいけない貴いおかた」
「まぁ、だいたい合ってる。誰を次の
「知ってる。テイビの乱は帝候補の
「おや? それじゃあ、何をそんなに不思議がってる?」
「不思議なんじゃないの。驚いてるの――トヨミが都の貴人だとは
これにはちょっとトヨミが戸惑う。ホキが知らないとは思わなかった。カタブがちゃんと伝えていると思い込んでいた。
「うーーん……なんでカタブは
と言いつつ、ホキの顔を見て『言えなかったんだな』と思う。最初から聞いていたら、
ホキは蒼褪め、ガタガタ震えている。畏れ多いと思っているのだ。
「ホキ、帝だ皇子だ皇女だと言っても、しょせんはホキと同じように生きている人間だ。腹も減るし、
「糞?」
「あぁ、屁もこくぞ」
顔が
それを眺めてトヨミが微笑む。
「それとも
今度はとうとうホキが笑んだ。
「トヨミ、また『嫌いか』って訊いてる」
「ん? うーーん、これからも何度も訊きそうだ。ホキには好いていて貰いたいからな」
「嫌ったりしません。でも、皇子さまの宮に住むなんて、
「許されれば、住んでくれるのか?」
「そりゃあ……皇子だと知っても嫌いになれないんだもの」
「なんだ、それ。嫌いになろうと思ったのか?」
「そうよ、客の貴人がトヨミだって知った時から好きだって思いを忘れようとした。なのにトヨミが忘れさせてくれなかった。もう忘れられない。なのに今度は皇子だなんって言うんだもん。忘れられないのに皇子だなんて――」
そっとトヨミがホキの唇に指で触れた。
「もう何も言うな。
「トヨミ……」
ホキが唇に置かれたトヨミの指に両手で
トヨミの手は少しヒンヤリしているが滑らかだった。なぜか、この手は
膝を立てたトヨミがもう片方の手をホキの肩に回し包み込む。頬にあった手でホキに上を向かた。トヨミが近づいて来る。ホキは……トヨミの瞳を見続けていた――
翌朝、起きだしたホキが
「
「厨に……
「家の者に任せてホキはここに居ろ。朝餉はこの部屋で、
「そんな……
「そう言えば、
トヨミの
トヨミが同族間の婚姻に面白くない顔をしたのはこれだと思った。母親が違うとは言え、自分の母が兄の妻になった。面白くないに決まっている。それにしても、確かに同族間での婚姻が多い。トヨミが『貴人と呼ばれる者どもは同族間の婚姻が好き』と言ったが納得だ。
「それより、庭に面した戸を開けてくれないか? カタカゴが見たい」
「カタカゴの花が好きなの?」
戸を開けながらホキが問う。戸を開け放つと、春先の冷たい風が流れ込んできた。
「ううっ、まだ寒いな」
トヨミが夜具で身を包む。
「ホキが温めてくれると嬉しいが?」
「温めて差し上げましょうか?」
「それは結ばれたいと言う意味か?」
「いいえ、温めるだけです」
トヨミの傍に腰を下ろしてホキが言えば、
「だったらやめておく……同じ夜具に入ったら己を止められる自信がない」
ちょっと拗ねてトヨミが言った。
「ホキはカタカゴが好きなんだろう? だから
「それってトヨミが好きなものは
「そんなことを強要したりするものか。
「そうね、トヨミは無理強いが嫌いだものね」
笑いながらホキが思い出すのは昨夜のことだ。
近づいて来るトヨミの顔、緑色の瞳は潤んで美しさを増していた。だけどこんなに近づいて、どうするんだろう? 鼻をくっつけたいのかしら?
するとトヨミがフッと吹いた。
『見られているとやりずらいな。なぜ目を閉じない?』
『何をしようとしてるんだろうと思って。目を閉じたほうが良かった?』
『うん? そうか、男はみんな妹を選ぶと言っていたな。言い寄られたこともないのか?』
『あるわけないでしょ。好きだって言ってくれたのはトヨミが初めて』
『では、口を吸われたこともない……よなぁ』
『口を吸う? なんで?』
トヨミは苦笑するしかない。
『なんでかと問われると困る。好きになると、なぜだかそうしたくなる。心地よいものでもある――まぁ、そうは思わない者もいるようだが』
『そう思わないって、好いても口を吸いたくならないってこと?』
『そんな者もいるかもしれないが
『さてはトヨミ、口を吸って嫌がられたことがあるのね?』
『ほう、なかなか鋭いじゃないか――
『うーーん……口を吸うのが愛情を示していると知らなければ、
『なにっ? それは困った』
『困るの?』
『だって
『お互いに吸い合うものなんだ?』
『まぁ、そうだな――どうだ、イヤか?』
『そんなの判らないわ。したことないんだもの……それにトヨミのことは好きだけど、口を吸いたいとは思わないわ』
『したことがないから判らないか……ならば試してみるか?』
『えっ? どうしよう?』
『それを
『それもそうね』
ホキが俯いて考え込む。
『トヨミ、あのね』
『うん?』
『
『うん……それで?』
『相手がトヨミだと知って良かったって思った。せめて初めては好きな人がいいって思っていたから。でもね……』
『でも?』
『……今もやっぱり怖いの』
『ふむ』
『トヨミが酷いことをするとは思えない。それでも怖い。どうしたらいいか判らない。できれば逃げ出したい』
言っているうちにホキの身体が震え始める。じっとホキを見詰めるトヨミ、やがてフッと笑った。
『安心しろ。今宵は床を並べて眠るだけでいい――
『えっ?』
ホキが顔を上げてトヨミを見る。すると涙が頬を伝って流れ落ちた。
『泣くほど怖かったのか?』
トヨミが笑ってホキの涙を拭う。
『安心しろ。この先どんなことも無理強いしたりしない。だがな、約束しろ。イヤなことはイヤだとはっきり言え。言われなければ
そしてトヨミとホキは並べて延べられた別々の床で休んだ。ホキがなかなか寝付かれないのにあっという間に寝入ってしまったトヨミ……寝顔を見てホキは思った。この人について行こう。
それがアスハナだろうが、たとえ雲の上だろうが構わない。どこまでもトヨミについて行く。離れはしない――
ホキが『無理強いは嫌いだものね』と笑うと、
「あぁ、
トヨミが溜息を吐いた。
「せめて
「いったい誰がトヨミに無理強いなんかできるの?」
「うん? まぁ、いろいろさ。
トヨミは訊かれたくないと思っている。そう感じたホキだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます