そんなことはありません……そう言いたかったが言わなかった。嘘や世辞だとは思えなかったからだ。微笑んでいるがトヨミの眼差しは真っ直ぐだ。本心だと思った。

「そんなこと、初めて言われました」

ホキも真っ直ぐにトヨミを見てそう答えた。するとちょっと考えてトヨミがニヤッと笑った。


も初めて言ったと告げようと思ったんだが……其方そなたほど美しい人をほかに知らないのだから、言う相手がいない。初めてに決まってるな」

「えっ? そうね、そう言われればそうだわ」

トヨミにつられてホキも笑う。


「嬉しいな。少しは打ち解けてくれたみたいだ」

「あっ! いえ、馴れ馴れしくし過ぎました。お許しください」

慌てて真顔に戻るホキに、

「おい、ちゃんと聞け。嬉しいって言ったんだ」

トヨミがさらに笑う。

其方そなたと親しくなりたい。身分がそんなに気になるか?」


「でも……都の貴人と聞いています。無礼があっては父親てておやさまやははさまに叱られます」

がいいと言っているんだ。カタブに文句は言わせない――そう言えばカタブが、ここは自分の屋敷だと言っていたが其方そなた母者ははじゃのものではないのか?」


「はい、ここは父親てておやさまの屋敷、ははさまが生まれた屋敷はははさまの妹が継ぎました」

「ふぅん。母者ははじゃもカシワデの郷の者か?」

「いいえ、マダラの郷で生まれました」

「マダラか……」

またもトヨミが考え込んだ。


「どうかしましたか?」

「うん? どうしたら其方そなたがさっきのように打ち解けてくれるか考えていた。言葉遣いが戻ってしまったぞ」

「だって……」


はな、其方そなたがいい。ユキマルやクロコマのことを知りたがった時の其方そなたはキラキラしていた――そうだ、どんなことができるといいかを思いついたか?」

「あ……忘れてました」

「だったらすぐに考えろ」

そんなことを言われても、突拍子もないことを言えば笑われやしないか?


「それって、トヨミさまが『こんなことができる人だったらいいのに』ってことですよね?」

がついてる。呼び捨てでもう一回」

「へっ?」

「ほら、もう一回言え」

なんだかこの人、思ったよりも我儘わがまま? ホキがマジマジとトヨミを見る。でもまぁ、都の貴人ってみんな我儘なのかも。それに、こんな子どもじみた我儘なら可愛いもんだわ。


「えっと……トヨミにこんな能力があったらいいなってこと?」

「そうだよ、そう言うこと。なんだったら、にして欲しいことでもいいぞ」

「トヨミさま――トヨミにして欲しいこと……」


 誰かに何かして欲しいなんて考えたことがない。あったとしても『ちょっとこれ持ってって』なんて感じの日常の些細なことだ。トヨミが言っているのはトヨミにしかできない何か。がトヨミにして欲しい何か……ホキがじっくり考え始める。


 その横では欠伸あくびを噛み殺したトヨミがゴロンと横になった。肘を立てて頭を支え、考えるホキを眺めている。


「あら、せっかくとこがあるのにそんなところで?」

「いいから早く考えろ。にして欲しいことを思いついたのか?」

「いえ、それはまだ……」

「それじゃあ、考えるのをやめて一緒に床に入るか?」

「――もうちょっと考えます」

少しでも床入りを先延ばしにしたいホキにトヨミがクスッと笑った。


「なんだ、と寝るのはイヤか?」

「ちょっと黙ってて。考えてるんだから。それにトヨミ、さっきから、イヤなのかを気にし過ぎ」

「だって嫌われていないか気になる」

の気持なんか関係ないでしょ? トヨミはなんでも思い通りにできるんじゃないの?」


「そんなことはない。これでいて、なかなか思い通りに行かないものだ」

「都の貴人ならなんでも思った通りにできるのかと思ってたわ」

「だとしたら認識を改めたほうがいい。で、が嫌いか?」


「もう! さっきも言ったじゃないの。嫌ってなんかいないって」

其方そなた揶揄からかい甲斐があるなぁ。すぐ素直になる」

「ちょっと、なによそれ?」

「好いているって言ったんだよ――それより思いついたのか?」

「あ、いや、まだ――もう! 邪魔しないで」

はいはい、と肘の枕を倒し、自分の腕を枕にした。それでもホキから目を離さない。


 暫く黙ってそうしていたが、今度は、

「マダラに行ったことは?」

と訊いてきた。


ははさまが父親てておやさまと喧嘩した時、ははさまに連れられて童子わらわのころ……一緒に折敷おしきを運んだ妹と一緒に、確か、下の妹がははさまのお腹にいたと思うわ」

「なんだ、カタブは身重の妻を追い出したのか?」

「いいえ、ははさまが怒って屋敷を飛び出したの」


「そうか。喧嘩の原因は?」

「よく判らないけど、父親てておやさまが都に行っていて、帰ってすぐだったのよ。『せっかく帰ってきたのになんで怒るんだ』とか『焼きもちを妬くな』って言ってたような? 都の女人にょにんを褒めでもしたのかしら?」

「かもしれないね」

カタブのヤツ、遊びでも買って、それをわざわざ妻に告げたか? そう考えたトヨミ、だが、ここは黙っていたほうがよさそうだ。


童子わらわのころではマダラがどんな所か覚えていないだろうな」

「トヨミは知っているの?」

「まぁな。いいところだぞ。北は山が連なり、残りの三方には川が流れている――そな、マダラに住むのはイヤか?」

トヨミが身体を起こしホキを覗き込む。今までの、どの『イヤか?』よりも切実だ。


「トヨミ、また『イヤか?』って聞いてる」

ホキがクスッと笑う。

「イヤもなにも、どんな所かよく判らないんだもの、判断のしようがないわ」


「ふむ……それもそうだな」

詰まらなさそうに、トヨミはまた横たわった。

「で、思いついたか?」

「まったく……邪魔ばっかりして催促するのね」

「判った、其方そなたが思いつくまで黙っていることにしよう」


 宣言通り黙り込んだトヨミ、けれど視線はホキに向けたままだ。視線が気になり落ち着かないホキだったがトヨミに出された課題を考えるうち、次第に夢中になっていった。


(誰もが飢えることのない世の中にして欲しい……って、これ、トヨミに願うことじゃないわね。豊穣神に願うことだわ)

トヨミはトヨミにして欲しいことを聞きたいのだ。


(不思議な力があるのは教えて貰ったけれど、具体的にはまだ聞いてない。の願いを叶える力を持っていたら、トヨミが叶えてくれるってことなのかな?)

不思議な力でもし叶うなら、は何を願うだろう?


 冷たい水に入っても冷たさを感じなくなるとか? ううん、水が冷たいのは秋の終わりから春の初めまで。そんなことを願ったら、つまらない女だと思われそう。そうよ、もっと楽しいことを願ったほうがいい。だったら……


「トヨミ、あのね!」

ホキが勢いづいてトヨミを見る。

「フシのお山が見てみたいわ」


「フシヤマ? いいぞ、今度連れて行ってやる。クロコマに乗ればすぐに着く。それで、何か思いついたのか?」

寝転がったままトヨミが事も無げに言った。ホキがあからさまに落胆する。

「そう……」

やっと閃いたホキの願いはトヨミの力がなくても叶えられるらしい。


「なんだ、がっかりして……今すぐ行きたいのか? 三日ほどかかるから、すぐには無理だ。には務めがあるし、其方そなたを三日も連れ回すなどカタブが許さないだろう」

「ううん、そうじゃない。そのうちでいい――もうちょっと待っててね」


 そうか、クロコマは空を飛ぶ。それでも行って帰ってくるのに三日もかかるんだ。噂に聞く美しいフシの山、そんな彼方かなたにあるなんて知らなかった。でも、一度は見てみたい。できればトヨミと一緒に……


 そうか、は……トヨミと一緒に居たいんだ。

「トヨミと居たい」


「うん? 今なんて言った?」

聞き取れなかったせいか、トヨミが上体を起こし聞き返す。

「もっと大きな声ではっきり言ってみろ」


 自分を見詰めるトヨミを見てホキが思う。なんと馬鹿なことを言ってしまったものか……トヨミは都の貴人、が一緒に居られる道理はない。


「いえ、独り言。気にしないで」

「独り言でもなんでもいい。今の言葉をはっきり聞きたい」

「今の言葉?」

「聞こえていたぞ、と居たいと言ったな?」

「聞こえていた?」

「あぁ、聞こえたとも。だから、もう一度言って欲しい、大きな声で、はっきりと」


 そんなこと言われても、『はい、そうですか』と言えはしない。馬鹿なことを言ったと後悔しているのに……

「大きな声ではっきり言えば、身の程知らずと笑うのでしょう?」


「身の程知らず? 何を言っている? は喜んでいるんだぞ――と居たいとは、一緒に居たいと言うことだよな? 其方そなたを好いている、そう言うことだよな?」

「それは……」

其方そなたを好いている。ここで語らううち、ますます好きになった。其方そなたとずっと一緒に居たい。の思いを受け止めてはくれまいか?」

「トヨミ……」


はこの国の身分と言うものを無くしたいと思っている。身分に関係なく優れた人は取り立てられるべきだ。誰の子なのかも関係ない。親の身分が高いからと、大した能力もないのに高い身分や難しい役目を与え続ければ、国は衰弱していく――言っていることが判るか?」

「イヤ、いえ、にはそんな難しいことは……」

判らないのに判ると言って、あとでバレれば余計に軽蔑される。


「そうか、判らないか。うん、判らないならそれでもいい。いつか判る時が来るかもしれない――何しろ『身分が』などと二度と言うな。は、そのままの其方そなた……まだ名を教えてはくれないのか?」

話しているうちにトヨミはジリジリとホキに近付いてきている。興奮が何も考えずトヨミにそうさせていた。

「あ、いえ、はホキと」


「ホキか、うん、いい名だ――はそのままのホキを好いている。ホキにそばに居て欲しいと願っている」

トヨミがふいっと動き、えっと思ううちにホキは抱きすくめられていた。

「好きだ、ホキ。の傍にずっと居てくれないか?」

耳元で聞こえるトヨミの声、なんだか耳がくすぐったい。それにカーッと熱くなっていく。


 トヨミの顔が近づいてくる。こんなに近くで誰かの顔を見るのは初めてだ。今日は初めてのことばかりだ。ホキもまたトヨミの顔を見詰めたまま考える。


 新調された装束は今まで着たことがないほど美しかった。初めて髪を結い上げかんざしを刺した。初めて誰かに美しいと言われ、言ってくれた人からして欲しいことがないかと聞かれた。


 トヨミの手がホキの頬を撫でる。童子わらべの頃、ははさまもこんなふうに撫でてくれたのを思い出す。だけどずっとトヨミの手の方が優しい。夢を見ているような心地なのはなぜ?


 ますますトヨミが近づいてくる。このままだと鼻と鼻がぶつかってしまう。あぁ、でも、やっぱり夢を見ているんだわ。だって、トヨミの目が緑色に見える。綺麗な緑色……


「えっ!?」

「はっ?」

突き放すように離れようとするホキ、驚いて逃がすまいとするトヨミ、

「ヘンな声を上げてどうしたんだい?」

引き寄せながらホキに問う。


「だって、よく見せて。近すぎて見間違えたのかも……トヨミの目が緑色に見えた」

「あぁ……」

嫌われたわけではないと安心したのか、トヨミがほっと息を吐き微笑んだ。


「なんだ、そんな事か」

「そんな事って……瞳の色が緑色なんて初めて見たわ……やっぱりトヨミ、都に住んでるなんて嘘ね? 天界に住んでいるんでしょう?」


 一瞬息を飲んだトヨミがマジマジとホキを見て、大声で笑い始めた――

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