5
トヨミの悲し気な眼差しに
「そ、そんな! 嫌うだなんて……そんなことは」
咄嗟に否定したが、嫌っていないなら好いているかと訊かれたらどうしようという思いで、尻すぼみに声が小さくなった。好いているとは言えるはずもない、だってトヨミは
居住まいを正し両手をついて頭を下げる。どうしてトヨミを呼び捨てになどしていたのだろう。
「嫌うだなんて滅相もない。トヨミさまは
気安く口など聞けない相手、うっかりそれを忘れていた。
「ふぅん……」
トヨミがホキから目を逸らす。
「カタブが
「イヤだなんて、そんな!」
「それは
「違います!
つい本音を口にしたホキが自分の口を手で押さえる。視線をホキに戻しトヨミがふわっと笑みを浮かべた。
「
この人はなんて柔らかく笑うんだろう? 眼差しで包み込まれてしまう……口元を手で隠したままトヨミに見惚れるホキ、トヨミがそっと手を伸ばし、ホキの手に触れる。ギュッと身を縮めるホキに苦笑するトヨミ、
「顔が見たい。手をどかしてくれないか?」
迷いながらホキが手を降ろせば、その手をトヨミがそっと握る。トヨミの手は滑らかだ。
ホキが慌てて手を引っ込めようとするがトヨミは放してくれそうもない。
「お放しください」
「どうしてもイヤだというなら放しもするが、どうしてもイヤなのか?」
トヨミはホキの手を握ったまま、トヨミの目を覗き込んでくる。嘘を吐いたら見抜かれそうだ。
「いえ、その……ガサついた手が恥ずかしいのです」
「ふむ……」
ホキを見詰めたまま、トヨミが
「確かに少しカサカサしているかな? でも、恥ずかしがるようなことなのか?」
「だって、トヨミさまの手は滑らかだわ」
「こないだ
「も、申し訳ありません。
「何を謝る?
「そんなことくらいしか
するとトヨミが首を傾げた。
「そんなこと?
「そんな……水が冷たいのが判っていて、誰かに頼むなんてとんでもない」
「買い取ってやれば、
「あ……それは思いつきませんでした。でも、
「そうだった。みなに分けてやりたいと言っていたな」
こんな話をしながらも、トヨミはホキの手を放さない。両手で包んで撫でまわしている。掴まれていないほうの手でホキがトヨミの手を剥がそうとするが、今度はその手を掴まれて撫でまわされる。そしてトヨミの視線はホキの顔から離れない。
「ところで今日の装束は、あの時よりもずっと華やかだな」
「えっ?」
煌びやかな装束のトヨミに言われたくない。トヨミから目を逸らしてホキが答える。
「こ……これが精いっぱいです」
「精一杯? カタブの財力ならもっと高価なものも手に入れられそうだが?」
「
「うーーん。確かに武具の備えは必要かもしれないが。
「あぁ、
「
「いいえ、しっかりいただきました。
「カタブもたまには
「都ではあのような食事をしているのですね……」
「イヤ、いつもと言うわけではない――
「はい。牛の乳があのように
「うん?
「あとでこっそり食べたそうです。そしたらことのほか美味だったとか……だけど
トヨミがゆったりと笑み、やっとホキの手を放した。
「手を見てごらん。
「そんなお世辞は結構、普通の手です――えっ?」
見るとホキの手荒れは治り、滑らかな肌になっている。
「いったい……?」
「
「撫でただけでこんなに? なんて不思議なことか……そうよ、トヨミ! 不思議と言えば犬が喋ってたわ」
ホキがついトヨミを呼び捨てにする。トヨミがホキを咎めることはなかった。ニッコリしただけだ。
「ユキマルのことだね。雪の中で見つけた白い犬だからユキマルと名付けた。なぜ人語が使えるのか
「それに馬が空を飛んだわ。空を駆けた? 黒いおっきな馬よ」
「それはクロコマ。足だけ白い馬だろう?」
「そうそれ。都の馬は空を駆け抜けるものなの?」
愉快そうにトヨミが笑う。
「都にだってそんな馬はいないよ。
「あの馬も喋るの?」
「いいや、話しかけてきたというのは語弊があった。頭の中に声が聞こえたって言ったほうがいい。『自分は神獣だ。
「へぇ……不思議な話ね」
ホキがうっとりとトヨミを見る。
「トヨミの周りにはもっと不思議な話がありそう。他にも話して」
「それはいいけど……そんなふうに言われると、何から話していいか迷うな」
「そんなにいっぱい不思議な話があるのね」
「
「あらヤダ、そんなこと思ってないわ」
「
「あら、ユキマルもクロコマもこの目で見たわ。信じないわけないでしょ?」
「そうでもないよ、自分の目でさえ信じない
「ねぇ、トヨミ自身も不思議な力があるんでしょう? 撫でただけで手荒れを治しちゃうなんて凄いわ。他には何ができるの?」
「他かぁ……まぁ、いろいろあるけど、
「判った、誰にも言わない。でもどうして?」
「
「みんなに知られてるってこと?」
「そうだよ……例えば数人が同時に喋っても全部聞き分けられるとかだね――ねぇ、
「
「ほかの人とまったく同じ人間なんていない。
「あら?
「三日前、芹を摘んでいた娘がいいって言ったんだ」
「あぁ、なるほど。妹は芹を摘んだりしないもの。だから
「
「妹は立ち働くのがあまり好きじゃないから」
「カタブに『庭に背を向けて折敷を置いた娘ではなく?』って訊かれたけれど、なぜだ?」
「それは……
「みんな?
「だって、それは、妹のほうが美しいからだわ」
「美しい?
「そんな嘘は言わないで。
「ふぅん、美しさって競うものなのか?」
「
「そうか。競う気がないと言う事は、
「そういうわけじゃないけど、そこまでは……だけど、今日はね、新しい装束を着せてもらったんだけどね、綺麗な染めだなぁって少し嬉しかった。それに髪を結い上げたり
「今は簪で
「えぇ、花が綺麗だし、子どもの頃に根は食べられるって聞いて植えたのよ。ずいぶん増えたわ」
「なんだ、食べるために植えたんだ?」
「そうよ。飢饉のときに少しくらいは役に立つかもしれないと思ったのよ」
「子どもの頃に?」
「うん。郷のみんなに分けてあげたいなって思ったの」
トヨミがゆったりとホキを見て微笑んだ。
「確かに都の女どもは美しい。だけど、それは見た目だけだ――心まで美しい者はそうはいない。
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