程よく冷めた料理を見栄えよく器に盛り付け、足つきの折敷おしきに乗せて運んだ。部屋の中からカタブの笑い声が聞こえる。


 部屋の戸の前で膝をつき、折敷を床に置いてから

「お持ちいたしました」

声を掛ければ、中から

「おう」

とカタブ、

「お待たせいたした」

客人に言っている。客人の声は聞こえない。都の人は極端に声が小さいか、無口、あるいは声を出す事さえ惜しむものなのかもしれない。引き戸を開けて折敷を持つと立ち上がり、静かに部屋に入っていった。


 広い部屋にはカタブともう一人……今日は春めいて温かい。庭に面した戸が開け放たれている。客人は立てたひざひじをつき、そこに半ば頭を乗せて庭を見ている。庭では、ホキが植えたカタカゴが一斉に花を咲かせていた。きっとそれを眺めているのだろう。


 カタブと客人の間には酒瓶が置かれ、杯もある。酒好きのカタブ、自分が飲みたかったのか? それとも料理を待つ間の手持無沙汰で用意したか? いやいや、客人に手際の悪さを悟られたくないのだ。何もない部屋に通されたところで客人だって暇を持て余す。カタブは決して話し上手ではない。娘たちの支度に思いのほか時間がかかり、思ったよりも早く客人は来訪していた。


 音を立てないよう部屋を進み、カタブと客人の手前で腰を下ろすと折敷を二人の間に置いた。ホキの後ろに続いていたホキはカタブの後ろを回り込み、庭に背を向けて腰を下ろした。客人の顔が見えたのだろう、慌てて俯くと折敷を置いて立ち上がる。


 戸口の前で待ち、ヒリを先に出すとホキも部屋を出て、座して戸を閉めた。部屋の中からカタブの

が娘でございます」

声が聞こえた――


 奥に戻るとヒリが興奮を隠さずしゃべりまくる。

「さすが都の人ね。綺麗な染めの装束を着ていたわ。おめかししたってはしゃいだのが恥ずかしい……こんな装束、あの人から見たら夜着にもならないんじゃないかしら?」


 その言いようは用意してくれた父親てておやさまに対してあんまりだわ、そう言いたい。けれど母の悲しげな顔を見るとホキは言えなかった。ホキにたしなめられたらヒリはなんと答えるか? だって本当のことじゃないの、そう言いはしないか? そんな言葉は母をもっと悲しませる。


「それにしても、都の人はみんなあんなに美しいのかしら? ちょっと見ただけだけど、女人にょにんかと思って慌てたわ――ねぇ、姉さま?」

急に話を振られてホキが慌てる。

「いえ、の位置からは顔が見えなかったから」

本当のことだ。慌てたのはトヨミを思い出し、やはり都の人は誰もが美しいのだと考え込んでいたからだ。


「そうなのね。残念なこと。あねさまにも、それにははさまにも見せてあげたかった。本当に綺麗なの」

これには母が心配を深める。

「ヒリ、まさか其方そなた、客人に気を奪われたのか?」


「まぁ! ははさまったら、可笑おかしなことを」

声をあげて笑うヒリに母がホッと胸を撫で下ろす。


「先ほども言ったが、都の女人にょにんらとは比べ物にならないほど美しい。都のおのこに思いを寄せてもむなしいだけ」 

ホキの心がえぐられる。ははさまの言うとおりだ……きっと、トヨミはを忘れた。いいや、最初から覚えてもいない。『また会おう』は単なる挨拶だったのだ。


「だいたいははさま、はあんな男はイヤ。もっと逞しくガッチリしたクガネのような男がいい。ね、クガネなら頼りがいもあるでしょ?」

悪びれることなくサラリと言ってヒリが頬を染める。クガネはカシワデの郷の若者、ヒリと添いたいと申し込んできた。カシワデの若者の中では誰よりも腕が立つうえ働き者だ。相手としては申し分ない。ヒリもその気でいるものの、カタブが首を縦に振らない。クガネが気に入らないわけではない。姉のホキの相手を決めてからだと言っている。


あねさま、思う相手はいないの? 早く決めてくださいな。でないと、クガネが待ちきれなくなるかもしれない」

「ヒリ、ホキを責めるのはおやめ。それに、少しばかり待てないような男、すぐに通って来なくなる」

母がホキを庇い、ヒリを皮肉る。ヒリがそれを鼻で笑う。

「あら、クガネはを自分の屋敷に住まわせたいって言ってるの。父親てておやさまから聞いたわ」


 男が女のもとに通うのが通常だが、女を自分の屋敷に連れて行き住まわせる男もいる。カタブがそうだ。だからホキたちの母親もカタブの屋敷に住んでいる。一緒に住んで、毎日其方そなたの顔を見たい。カタブはそう言って母を説得したと聞いている。ホキの母はその頃、カシワデ一の美女と言われていた。


ははさまは幸せ者よね」

ヒリの微笑みに母も思わず微笑み返す。

「さて、らもご相伴に預かりましょう。食べたことのないご馳走ばかりよ」


「あっ! ははさまは座って待っていて――ヒリ、手伝いなさい」

身重の母を気遣ってホキがサッと立ち上がる。ヒリが、

「はいはい……」

面倒そうにホキに従った。


 食事は三人で摂った。もっと小さい妹弟たちは手伝いに来ている郷の者が面倒を見てくれている。兄は最近通い始めた娘の屋敷に行っていた。今宵は帰って来ないだろう。


 食べているところに一度だけカタブが顔を見せた。

「明日の朝は、芹を入れた粥がよいそうだ。よろしく頼む」

客人の希望を伝えに来たようだ。だが、なかなか去ろうとしない。もの言いたげに二人の娘を見ている。母がクスリと笑んだのは、カタブの思い通りにはならなかったと思ったからだろう。


 だが、カタブが

「客人の寝室にはとこを二つ用意するように」

と言うと母は顔色を変えた。二人の娘もハッと父親を見る。


「カタブ、それはどういうこと?」

問う母、カタブは答えない。

「食べ終わったら報せろ」

カタブは妻に言うと、表に戻って行った。


ははさま?」

不安げに自分を見る娘に母が溜息を吐く。

「客人が、其方そなたたちのどちらかを望まれたと言うこと」


「いやよっ!」

ヒリが悲鳴を上げる。

「さっき言ったじゃないの。はあんな男はイヤ。今すぐクガネのところに行くわ! クガネは喜んで迎えてくれるに決まってる。父親てておやさまが怒ってもいい!」

ワッと泣き伏すヒリに母は困り顔だ。


「なにもヒリ、其方そなたと決まったわけではない」

「嘘言わないで! あねさまには悪いけど、どうせ選ぶなら誰だってを選ぶ。だからあねさまに申し込む男がいないんだわ」

「ヒリ……」

母もヒリを否定しない。確かにホキよりヒリのほうが美しかった。


「今宵一晩だけのこと、こらえてはくれまいか? クガネだって一度他の男と通じたくらいで見限ったりしないだろうよ」

「そんなの判らない。それに一晩だけじゃなかったら?」

泣きじゃくるヒリ、ホキが溜息を吐く。


ははさま。こうしたらいかがでしょう? ヒリは俄かに月のものが来たことにしたら?」

伏していたヒリがハッと顔をあげホキを見る。

あねさまはやっぱり頼りになるわ――そうしましょうよ、ははさま」

喜ぶヒリに複雑な笑顔を見せてから母がホキを盗み見る。ホキは穏やかな眼差しでヒリを見ていた。


 あんな酷いことを言われたというのにホキは優しい。怒ることなく、冷静にヒリのための最善策を考え、思いついている。冷静さ、賢さもホキの良いところだが、一番の長所は他者を思いやる優しさだ。そしてそれらは見た目だけでは判らない。


 カタブはホキが先だと言うけれど、いっそさっさとヒリをクガネのところにやってしまったほうがいい。ホキだとて器量が悪いわけじゃない。ヒリと比べられてしまって選ばれないだけだ。


 母がそんな事を考えているとも知らず、ホキはヒリの涙を拭いてやっている。ヒリが嬉しそうにホキに微笑んだ――


 食事が終わると片付けるのは娘たちだ。くりやが終わると客人のために用意した寝所に向かった。母はカタブのところへ行った。


ははさまは、ちゃんと月のものだって言ってくれるかしら?」

寝床の用意をしながらヒリがホキに問う。


「大丈夫、ははさまが巧くやってくれるわ」

「だったら床は一つでいいんじゃない?」

「そうだろうけど……父親てておやさまの言いつけ通りにしておかないとね」


 寝所の用意も終わり、食事をした部屋に戻ると母が待っていた。

ははさま、巧く断ってくれた?」

早速ヒリが尋ねる。ところが母は怖い顔をしただけで、答えない。


ははさま? 何か困ったことにでもなったのですか?」

今度はホキが尋ねる。後ろでヒリが『いやよ……』と声を震わせた。


「それがホキ……客人は其方そなたをお望みです」

「嘘よっ!」

叫んだのはヒリだ。

「そんなの嘘だ。なんでではなくあねさま? 有り得ない!」


 母がピシャリと言った。

「お黙りなさい、ヒリ!」

それからホキに優しい目を向ける。

「これから表に行って、客人を寝室にご案内しなさい。その先は……判っていますね? 抗わず言われた通りにしていれば、すぐに過ぎ去るものです」


 ヒリではなく? でも、どうしよう? 怖くて身体が震えてる……

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