2
カシワデの郷の有力者カタブは野心家だった。地方の一豪族でなど終わりたくなんかない。勢力を拡大し、政治の表舞台に立てないものか? かと言って帝に近寄るのは無理だ。だからなんとか、政治の中心人物、帝への影響力も強大なソガシに近付いた。
運が良かったのは高麗の使者が越の地に流れ着いた時、その饗応の任を賜ったことだ。越の豪族ミチノは高麗の使者を
そうだ、運が良かったのは高麗の使者が賢かったからだ。都の使いであるカタブにミチノは頭を下げて挨拶し、それを見た使者はミチノが役人でないことを見抜いた。だからミチノから献上品を取り上げてカタブに預けてくれた。それが無ければどうなっていたか?
あれから数年が経ち、今日こそ人生の大一番、貴人をこの屋敷に招いた。都に立ち並ぶお屋敷とは比べ物にならない小ぢんまりした
『おまえのところには娘がいたな?』
ソガシの
『妃になるのは無理でも気に入られれば暫くは通う。取り入る
ソガシはそれしか言わなかった。だけど、それはもっと大きな可能性を秘めているとカタブは考えた――懐妊だってあり得る話だ。
カタブの妻は次々に子を産んだ。今も身籠っていて、
もしも娘の一人が貴人の子を宿せば、きっとその子は成人する。母親の身分が低いのだから貴人の他のお子たちほどは優遇されないとしても、
だが、しかし……
カタブが
遊び
都に住まう貴人はそんな女たちに囲まれ、そして
なんだか奇妙だ……母親を眺めてホキが思う。妹のヒリは単純に喜んでいるが、新年でもないのに装束を新調するなんて何かあるとしか思えない。ましていつもは束ねるだけの髪を結い上げ、
支度が終わった二人の娘を見て母がほっと息を吐く。どこか物憂げな様子に、とうとうホキが尋ねた。
「今日はいったいどうしたというのです? それにこの装束は? 新年や祭りでもないのに、こんな高価な装束を新調したのはなぜでしょう?」
高価なのは見ただけで判る。鮮やかに染められた美しい織物で仕立てられていた。
すると悲し気な笑みを見せて母が答えた。
「カタブの言いつけなのです」
「
「えぇ……今宵、都より客人が参られる」
あぁ、だから普段では口にしないような料理を
『煮込めば固まり、
母はそう言いながら、
牛の乳は都からわざわざ取り寄せたらしい。その時から
「でも、なぜ
「それは……」
言い難そうに母が二人の娘を見比べた。
「カタブは二人をその……客人に差しだすつもりなのです」
「へっ?」
先に悲鳴を上げたのはヒリだ。
「差しだすって?
「いえ、そうではなくて……まぁ、それも客人
母がもう一度溜息を吐く。が、今度は意を決したように顔をあげ、二人の娘に強い眼差しを向けた。
「ホキ、ヒリ、よくお聞きなさい――貴人を屋敷にお泊めした場合、
「いやっ!」
ヒリが叫ぶ。
「
ヒリは少し誤解している。召使として連れて行かれると思っているのかもしれない。
「落ち着きなさいヒリ。今宵一夜だけの話、
「今宵一夜だけ?」
「それだって、もし貴人が
「両方?」
聞き咎めたのはホキだ。
「両方って、それは?」
またも母が溜息を吐く。
「そんなこともあるかもしれないと、カタブが言ったまでのこと」
ホキの質問には答えたくないようだ。その代り、複雑な表情でこう言った。
「母は……
「本当に? でも、それはなぜ?」
期待を込めてヒリが問う。すると母が悲し気な笑みを見せた。
「客人は都の貴人、しかも遊び慣れているのだとか。ここカシワデの郷でなら
「酷いわ、
ヒリは
きっとトヨミも都の人、男でさえもあの美しさなのだ。都の
また会おうとトヨミは言った。きっと会いに来てくれると期待していた。今のところなんの音沙汰もないのは、ホキとは比べ物にならない美しい女たちに囲まれてホキのことなど思い出しもしないからだ。
もう会うことはないのだろうか? 天翔ける美しい黒い馬、人の言葉を発する白い犬、輝くばかりに美しいトヨミ……あれは夢だった?
いいや、夢ではなかった。せせらぎに生えていた芹はなくなり、籠はいっぱいになっていた。ひょっとしたらトヨミは……都の人ではなく、雲の上に住んでいる? なんだかそのほうが納得できる。空を駆け抜ける馬も、人語を語る犬も、神の住む世界になら居ても
人でも神でも妖でも構わない。せめてもう一度でいい。トヨミに会いたい。会って今度はあの頬に触れてみたい。トヨミはそれを許してくれるだろうか?
「支度は整ったのか?」
カタブが呼んでいる。客人がそろそろ到着するらしい。
「ホキ、ヒリ。宴の膳は
身重なのを
「都の人を見るのは初めて」
少し浮足立つヒリを
「落ち着いて、ヒリ。
ホキが優しく
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