35話

「魔王様、どうですか? 昔の自分を思い出せましたか?」


 記憶のダンジョンを攻略し、いつもの古びたアパートに戻ってくると、ランベルトがひと足先に戻っていた。


「ランベルトよ、今回のダンジョンはお前の仕業か?」


 魔王が問い詰めるように尋ねると、ランベルトは悪びれた様子もなく平然と頷いた。


「はい、そうです。記憶の中に出てきた魔王様こそが本物のお姿です。どうかあの頃の魔王様に戻って下さい!」


 ランベルトは膝をついて深く頭を下げるが、魔王が肩をすくめて首を振る。


「ランベルトよ、お前は急ぎ過ぎている。しばらく休暇を与えるから頭を冷やしてこい」


「ですが……」


「これは命令だ!」


 ランベルトはまだ何か言いたげではあったが、言葉を飲み込むと、魔王に背を向けて部屋を出ていった。


「さてと……どうしたものか……」


 1人の部屋に残った魔王はあぐらを組み、唸りながら思考を巡らせた。しかし何も浮かばない。


「こうなったら、あそこに行くか……」


 魔王は部屋を飛び出すと、近くの風呂屋に向かった。視聴者のコメントによると、最近サウナというものが流行っているらしい。悩みが消えて気持ちがスッキリするのだとか。これは試す価値がありそうだ。


「ここでいいのか?」


 昔ながらの古い風呂屋に向かった魔王は店の前で仁王立ちしていた。さてどうしたものか……


「兄ちゃん、店の前で何してるの?」


 突然、誰かに声をかけられて振り返ると、見知らぬ中年のおじさんが立っていた。


「うむ、実は初めてきたものだからどうしたものかと思っていたんだ」


「ふーん、でも兄ちゃん、いい目をしてるね。ここは古いけど穴場でオススメなんだよ。よかったら案内するよ」


「それは助かる。では、お言葉に甘えさせてもらおう」


 魔王と男は店の中に入ると、古びた雰囲気の脱衣所を通り過ぎ、サウナへ向かった。扉を開けた瞬間、迫り来る熱波に魔王は思わず足を止めた。


 予想外の熱さに額からじわじわと汗が吹き出すし、息もしづらい。男はそんな魔王の様子をみて、ニヤリと笑みを浮かべた。


「まぁ、最初はそんなもんだ。慣れたら良さがわかるさ」


「確かに、この熱さは予想外だったが、慣れれば心地良くなりそうだ」


 男は再び笑みを浮かべながら、魔王をサウナの奥へと誘った。2人は木製のベンチに腰を下ろし、ぼんやりと砂時計が落ちていくのを眺めた。


「なぁ、兄ちゃん、何か悩みでもあるのか?」


 不意に男に尋ねられ、魔王は驚いた表情で見返した。


「なぜ、分かったんだ?」


「顔がそう言ってるよ。おじさんでよければ話を聞くよ」


 男は魔王の苦悩を見抜いたように優しく声をかけた。魔王は一瞬ためらったが、静かなサウナの中で流れる汗と共に、少しずつ心の重荷を下ろすことにした。 


「実は、部下の事で悩んでいてな……そいつは目的を達成するためには力と恐怖が必要だと言うんだ。確かに我も昔はそうしてきた。しかし、それではダメだと最近になって分かったんだ」


 魔王は目を閉じて過去を思い出すかのように言葉を紡いだ。


「それで、部下に素直な気持ちを伝えたら、猛反対されてな……」


 魔王はサウナの蒸気に包まれながら深く息をはいた。男は何かを考えるように視線を落とし、やがて少し照れくさそうに笑いながら口を開いた。


「なるほどな……なんとなく分かる気がするな……」


 男は魔王の苦悩が他人事ではないかのように語り始めた。彼は自身の過去を振り返り、その時の自分の姿と魔王の姿を重ねているようだった。


「おじさんは保険の営業をしていたんだ。それで老人にゴミみたいな商品を売りつけていたんだよ……」


 男は自嘲気味に口元を歪めながら、過去の過ちを思い立つかのように言葉を続けた。魔王は黙って耳を傾け、男が抱えてきた罪悪感や後悔を感じ取った。男の言葉は、魔王の心に響くものがあり、無意識に次の言葉を待っていた。


「あの時は騙される方がバカだと思っていたけど、今更思えば酷い事をしていたと思うよ……」


 男は遠くを見つめるように、ぼんやりとした目で語り続けた。魔王はその言葉に昔の自分の状況を重ね、2人の間に不思議な共感が生まれていた。


「やっぱり悪い事は長続きしない。それに一度やった悪事はずっと心に残り続ける。だから諦めずに自分の気持ちを部下に伝えてみたらどうだ? 今はわからなくてもその部下はいずれ後悔する日が来る。それを防げるのは兄ちゃんだけだよ」


 最後に男は優しく微笑みながら、魔王の目をじっと見つめた。その言葉はまるで魔法のように直接響き、彼は深く頷いた。


「さーてと、そろそろ水風呂に行くとするか~ サウナの醍醐味はキンキンに冷えた水風呂と、外気浴だからね」


「ほ~う、それは楽しみだ」


 魔王は心の中で何かが少し軽くなったような気がした。自分の選択が間違っていなかったという確信を得たのだ。あとはそれをどう伝えるかだな……




* * *


「なぜだ、どうして……!」


 人気のない橋の下に来たランベルトは、忌々しそうに地団駄を踏みながら苛立ちを抑えきれなかった。


 かつての魔王様は圧倒的な力で全てを支配し、その姿はランベルトにとっての憧れだった。しかし今の魔王様はその力を封じ、違う道を選んだ。優しさや視聴者の声に価値を見出すようなった姿に、ランベルトは次第に失望し、苛立ちを募らせていた。


「結局、記憶のダンジョンを作っても無駄だった……あの圧倒的な力でこの世界もねじ伏せてくれればいいのに……」


 ランベルトは怒りと悲しみで拳を握りしめ、震えた。彼の頭の中にはかつての輝かしい日々の記憶が鮮明に浮かんでいた。魔王と共に勇者と戦い、敵を圧倒していた頃を……


「こうなったら……私がやるしかないんだ。私があの頃の魔王様の力を受け継ぎ、真の支配者になるしか……!」


 ランベルトの目に狂気が宿り、彼は懐から布袋を取り出した。その中には、これまでダンジョンを攻略した時に手に入れた魔石が大量に詰まっていた。


「見ていろよ、魔王様……いや、バルケリオス! 俺が新たな魔王になるんだ!」


 ランベルトは魔石を握りしめ、自らの体に吸収させた。すると、その体から強大な力が溢れ出し、闇のようなオーラが彼の周囲を包み込んだ。その圧倒的な力にランベルトは満足そうな笑みを浮かべた。


「これで……これで俺は、かつての魔王を超える存在になるんだ!」


 彼の力強い声は、新たな魔王の誕生を告げるかのように、闇夜に響き渡った。

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