Lefty - 奇跡の彫刻師

@youmei3124

第1話 彫

むかしむかし、江戸の世に、左甚五郎という名の、並ぶ者なき彫り師がいた。


その腕前は、まるで命を吹き込むかの如く。鳥を彫れば羽ばたき、獣を彫れば咆哮をあげる。人々は、甚五郎の作品を前に、息を呑み、感嘆の声を漏らした。


だが、甚五郎には、誰にも言えぬ秘密があった。彼は、幼き日の事故で右手を失っていたのだ。


それでも、甚五郎は諦めなかった。残された左手一本で、彼は鑿を握り、木と対峙した。血と汗と涙が滲む、孤独な闘い。だが、その苦難が、彼の作品に魂を宿らせるのだった。


そして時は流れ、現代――。


人々は、甚五郎の伝説を、遠い昔話として語り継いでいた。だが、その伝説は、まだ終わってはいなかったのだ。


とある一室で一人の青年が鑿を握りしめていた。彼の名は佐久間 拓海。幼い頃から木彫りに魅せられ、甚五郎の伝説に憧れていた。


拓海は誰にも言えぬ秘密を抱えていた。彼もまた幼き日の事故で右手を失っていたのだ。


それでも拓海は諦めなかった。甚五郎のように左手一本で、彼は鑿を握り、木と対峙した。


「俺は甚五郎を超える。左手一本で命を吹き込むんだ」


孤独な闘いが今、始まる――。


しかし拓海は、世間一般でイメージされるような「職人」とは程遠い存在だった。


部屋には所狭しとアニメグッズが並び、日々、美少女フィギュアを彫ることだけが彼の生きがい。


「今日も一日、推しに愛を込めて……」


鑿を握るその手は、まるで祈りを捧げるかのように、しかし確かな技術でフィギュアに命を吹き込んでいく。


そんな拓海にも、淡い恋の思い出があった。


17歳のあの夏、初めてできた彼女との初デート。


緊張のあまり、香水をつけすぎてしまった拓海は、母親から「臭い!」とトイレの消臭剤を全身にかけられてしまった。


消臭剤の香りが充満する中、デートに向かった拓海だったが、当然のごとくフラれてしまったのだった。


それ以来、拓海の心には、消臭剤の香りと共に、ほろ苦い初恋の記憶が刻まれている。


それから8年。


拓海はあの日以来、学業以外の用事で外に出る事がなくなっていた。


窓から差し込む光もカーテンで遮り、唯一の光源はPCモニターの光だけ。


部屋には、ところ狭しと美少女フィギュアが並び、その中心で拓海は今日も鑿を振るっていた。


「はぁ〜。今日も一日、推しに愛を込めて……」


鑿を握るその手は、まるで祈りを捧げるかのように、しかし確かな技術でフィギュアに命を吹き込んでいく。


「これが...もしも...命が吹き込まれて...可愛い彼女になってくれたらなぁ...」


拓海は、出来上がったフィギュアをうっとりと眺めながら、一人ごちる。


部屋中に充満する塗料と木屑の匂い。


窓の外では、セミの声が夏の終わりを告げている。


そして今日も、拓海の全身全霊が注ぎ込まれた一体が完成した。


鑿(ノミ)の音も止み、静寂が部屋を包む。


拓海は、出来上がったばかりのフィギュアを、まるで我が子を見るかのように、優しい眼差しで見つめた。


「……今回も、ダメか」


祈るような気持ちで、フィギュアに語りかける。


だが、フィギュアは、ただの美しい彫像のまま、微動だにしない。


「やっぱり...無理だよな...」


拓海は、肩を落とし、深くため息をついた。


窓の外では、ツクツクボウシの声が、夏の終わりを告げている。


その声は、まるで拓海の心の叫びのように、むなしく響き渡った。


と、その時だった。


「コンコン」


静寂を切り裂くノックの音。


「拓海、いるんでしょ?ちょっと出てきなさい!」


どうやら、母さんのようだ。


「はぁ...」


重い腰を上げ、しぶしぶドアを開ける拓海。


「なんだよ...」


「拓海、あんた木彫りでなんか作るのうまかったわよね?暇だったら、リフォームしたウチの喫茶店に飾れそうなものを作っておいてほしいんだけど」


母さんは、少し申し訳なさそうに、でも期待を込めて拓海を見つめる。


「はぁ? めちゃくちゃめんどくさいから絶対いやだ!」


拓海は、顔をしかめ、即座に拒否する。


「拓海ったら!いいじゃない、ちょっとくらい親孝行しなさいよ!」


母さんは、顔を真っ赤にして怒り出した。


「うるせぇ!放っておけよ!」


拓海はドアを乱暴に閉め、再び部屋に閉じこもった。


しかし、母さんの言葉は、拓海の心に小さな波紋を広げていた。


しばらくして、拓海は渋々立ち上がり、作業机に向かった。


「仕方ない、ちょっとだけ作ってやるか...」


拓海は、不機嫌そうに呟きながら、鑿を手に取った。


拓海は、再び部屋の暗闇に沈んだ。窓を遮るカーテンの隙間から、かすかな夕日の光が差し込んでいるが、彼はその光に気づくこともなく、ただ机に向かって座り込んだ。


「俺には、関係ない...」


口元に少し苦笑を浮かべながら、彼は机の上に散らばった工具を手に取る。再びフィギュアを彫り続ける日々。それだけが、今の彼にとっての現実だ。


だが、母親の言葉がどこか胸の奥で引っかかっている。喫茶店に飾る作品。彼はそれが「めんどくさい」と言ったものの、心のどこかで自分の技術を誰かに認めてもらいたいという欲求があったのだ。


「……俺、甚五郎を超えたいとか言ってたくせに、こんなもんかよ」


左手一本でフィギュアを彫り続けてきた拓海。その技術は確かだったが、彼自身の人生は停滞していると感じていた。母の頼みを断った後の静けさが、余計にその虚しさを際立たせていた。


ふと、彼は彫りかけのフィギュアをじっと見つめた。美少女フィギュアたちが部屋を占拠しているその光景は、彼にとって安らぎでもあったが、同時に一抹の寂しさをも感じさせていた。


「……たまには、違うものを作ってみてもいいかもな」


その瞬間、拓海の中で何かが動いた。気づけば、彼は新しい木材を手に取り、鑿を握りしめていた。美少女フィギュアではない、喫茶店にふさわしい何かを彫るために。


拓海の左手は、いつも通り確かな動きで木材に命を吹き込んでいく。だが、今回の作品は、これまでのものとは違う。少し大きめの彫刻で、母親の喫茶店に合うデザインを考えながら、心を込めて作り上げていった。


時折、フィギュアを彫る時とは違う楽しさが心に芽生えてくる。これが人のために作る喜びなのかもしれない、と彼は思った。


数日後、ついに作品が完成した。カフェの風景に合うような、優雅な木彫りの花瓶。それは、まるで甚五郎が彫ったかのような繊細さと美しさを持っていた。


拓海はそれを見つめ、少しだけ誇らしげな気持ちを抱いた。


「……やっぱり、こういうのも悪くないかもな」


そう呟くと、拓海は母親の待つ喫茶店に、その作品を持って出て行った。


扉を開けた瞬間、明るい光が彼を包み込んだ。その光の中で、母親が嬉しそうに笑っていた。


「ありがとう、拓海。あんた、やっぱりすごいわね」


母親は、黒髪ロングをさらりと揺らしながら、拓海の作った花瓶を愛おしそうに撫でた。48歳とは思えない若々しさで、拓海の作った作品を心から喜んでくれているのが伝わってくる。


拓海は少し照れくさそうに笑い、肩をすくめた。


「ま、たまにはな」


その日から、彼の部屋には少しずつ新しい光が差し込むようになり、彼の心の中にも、少しずつ変化が訪れ始めていた。

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