第15話 糸を取る

 四度目の脱皮が終わって七日が経った。

 紗代はお蚕たちのなかに、桑の葉を食べず頭を振っている個体を見つける。

 頭の周りにはきらきらと光るものが確認できた。それはお蚕がまゆを作るために吐いた糸だった。

 ついに来たのだ。

 紗代は頭を振るお蚕たちを、「まぶし」と呼ばれる入れ物に移した。それは細かく区切られた棚のようなもので、蚕を一頭で繭作りに専念させるための道具である。

 頭を振り始めたタイミングはばらばらだったが、翌朝にはみんな揃って繭作りの体制に入った。蚕で埋まった「まぶし」はなかなか壮観だ。


 さらに二日もすると、ほとんどのお蚕が繭を完成させる。

 糸取りの道具を並べ、小屋にあつらえてもらった囲炉裏いろりで湯を沸かす。

 紗代が座る真向かいには祭壇を設え、青々としたさかきに上質な酒、そして米を供えた。

 手を合わせると共に真白が銀の光を放って現れる。

 それを確認して、紗代は鍋に繭をそっと沈めた。

 絹糸を取るためにはこうして繭の中のお蚕たちを殺さねばならない。愛情を持って育てた子たちを自分の手で煮湯にえゆに沈めるのは、何度やっても辛い作業だった。

 祖母はこんなとき、どんな心持ちだったのだろうかと紗代は思う。


 間も無くして小さな光が湯面から浮き上がり、ちかちかと明滅めいめつしながら紗代と真白の周囲を飛んだ。

 それははかなくて今にも消えてしまいそうなほど頼りないもの。しかし、たしかに生を謳歌おうかしたもの。お蚕たちの魂だった。

 で終わった繭を他の容器に移し替え、また同じ作業を繰り返す。

 そのたびに光の粒子は増えていき、やがて小屋の中は光で溢れ、まるで星雲の中に放り出されたような様相となった。

 これが自分の目にしか映らない光景なのだと思うと、紗代は少し寂しくなる。

 紗代はお蚕の精霊である真白と契約しているからこそ、その光を見ることができる。

 だけれども、命がこんなにもきらめくことを、誰かと共有できたらどんなに幸せだろう。

 何度も何度も作業を繰り返し、ついにすべての繭を茹で終わる。紗代はもう一度手を合わせた。

 すると真白が重いはねを震わせた。大きな腹を抱え、不恰好な姿勢で宙を舞う。

 のろのろと天に向かっていく真白を、光の群れが追った。それは小屋の屋根をすり抜けて、どこまでも高く飛んでいく。

 真白はお蚕を天へと誘う先導役だ。お蚕は成虫になっても飛ぶことができない。そんな彼らが迷子にならぬよう、真白は魂たちを導くのだ。


 彼らの道行きをしばらく見つめたあと、紗代は水に浸かった繭に向き直った。

 そのうち七つばかりの繭から糸先を手繰たぐると、それを糸車に括りつける。糸車は座繰り機と呼ばれるハンドル式のもので、紗代が千早家から持ち出した数少ない財産の一つだ。

 左手でハンドルを回すと、七本の糸は紗代の右手を通り、一本にり合わされて糸枠に巻きつけられていく。その回転は始めはゆっくり、次第に軽やかに早く。

 糸が銀色の光をはらみ、小屋の中で神聖な輝きを放つ。

 それはそこに紗代の霊力が込められた証だった。

 紗代は右手に力を集中させ、糸がそこをするすると通るに合わせて霊力を込めている。霊力操作に長けた人間にしかできぬ熟練の技だ。


 紗代は食事も摂らずに糸車を回し続けた。糸を取っている間は誰も声をかけぬように頼んであったし、不思議と空腹も感じなかった。

 いつまでもハンドルを回していられるような気さえした。

 しかし、新たに繭を追加しようとしたとき、猛烈な目眩に襲われる。

 外を見ると空には星が瞬いている。小屋の中は真っ暗で、電灯もつけずに作業を続けていた自分に驚く。

 そんな折、小屋の扉を控えめにノックする音がした。返事をすると霧央の声がする。

 慌てて立ちあがろうとしたが、思いきりつんのめった。ずっと座って作業していたせいか、紗代の足はすっかり固まっていたのだ。

 おかげで素早く姿勢を改めることもままならず、悲鳴にたまらず扉を開けた霧央に醜態しゅうたいさら羽目はめになる。


「だ、大丈夫かね」

「お……お見苦しいところを……」

「どこぞにぶつけてなどはいないだろうね」

「はい、繭も糸車も無事でございます」

「そういうことではないのだよ」


 霧央はそっと紗代を抱き起こす。紗代は恥ずかしさのあまり顔をそらした。

 街歩きのときはあれだけ身体を密着させていたのに、こんな突然のシチュエーションにはまだ慣れない。


「まったく。君、そろそろ休みたまえよ」

「いえ……この勢いで紡ぎあげてしまいたいのです。どうぞわたくしには構わず、旦那様はお休みになってくださいませ」

「……君ねぇ。史子君が言うには昼も夜も食べてないというじゃないか。不健康だ。命を削ってまで仕事なんてするもんじゃない」

「しかし……」

「君はお蚕仕事が絡むと頑固がんこだね。史子君が心配でおろおろしていたよ。君が仕事を止めないものだから、彼女もで寝るのを我慢している」

「そ、そんな……」

「可哀想だと思うなら作業を切り上げたまえ」

「は、はい……」

「よろしい」


 紗代が厨に向かうと、史子は椅子に座ってうつらうつらとしていた。「ちゃんと休むから」と約束して、彼女を先に寝室に向かわせる。

 こんなに精神が冴え渡っているのに眠れるかしら。そう思っていたけれど、史子がこしらえた握り飯を食べているうちに自然と眠気がやってきて、夢も見ぬほどに熟睡じゅくすいした。


 翌朝、霧央に「ちゃんと食事は摂ること」と口酸っぱく注意されて紗代は小さくなる。辰爺だけは「若い時分はそんな情熱もありますわい」と笑ってくれて、少しだけ救われる。

 それでも食事と睡眠以外の時間をすべて糸取りに費やした。

 何日が経っただろう。いや、時間などさして経過していないのかもしれない。

 すべての繭を座繰り機にかけ終えて、膨大な量の精霊絹糸が出来上がった。その輝きを前に、紗代は深いため息をつく。

 真白はいつの間にか帰っていて、頭上から静かに紗代を見下ろしていた。


「……お疲れ様でございます」


 そう頭を下げると、真白も紗代を労うようにゆっくりと翅を揺らしてみせた。

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