第10話 街歩き
千早家はかつてなく
おつかいに出した四人の下男が三日経っても戻って来ないとかで、美弥子の
美弥子が「どうして四人がかりでこんな簡単な用事もこなせないの?!」と金切り声を上げる。佳乃はおっとりと言った。
「……紗代ったら、実家にも挨拶ができないなんて本当に不出来な娘だこと」
「そうよ!お姉様が素直に帰ってくれば良いだけなのに!」
「本当に。可愛い美弥子とは大違いだわ。わたくしの本当の娘は貴女だけよ」
「お母様……。ふふ、当然よ」
美弥子は少しだけ平静を取り戻す。紗代と比べて優位に立つと、機嫌が良くなるのはいつものことだ。
佳乃は細い眉を歪め、少し思案した。
「……やっぱり、ただの使用人では難しいのかしら」
西旺寺伯爵は白虎を継ぐべき立場にありながら、他の精霊と契約して公爵家を出たと聞く。
力自慢の男を差し向けたけれど、腕力で紗代を連れ戻せなかったのなら西旺寺家の精霊が動いた可能性がある。
「でも、お母様。下男たちは西旺寺伯爵がいない時間に出向かせたはずだわ」
「
「精霊付きの方って……」
美弥子が
「で、でも……彼をこんな家の恥に関わらせるだなんて……」
「あらぁ、だからこそよ。男っていうのはね、頼られるのが大好きなの。
美しい娘が自分だけに弱みを打ち明け、助けを求めてくるというのは最高なシチュエーションなのよ?
試しに『頼れるのは、貴方だけなの』って
「そう……かしら……」
「そうよ。そして……そんな試練を乗り越えられたなら、二人の絆はより深くなるでしょうね」
「それは……素敵ね……」
「ええ、とっても素敵」
佳乃は優雅に微笑んだ。それは闇夜に咲く真っ赤な薔薇のようで、自分の母はなんて美しいのだろうと美弥子は思う。
「わたくし、
「ええ、美弥子。応援していてよ」
美弥子は早速、晴哉との約束を取り付けた。そしてまんまと彼を
お蚕が脱皮をするときは、とりたててやることがない。
飼育箱を掃除しようにも、
だから小屋の温度と湿度をほどほどに保ち、見守ることしかできないのだ。
お蚕は一生のうちに四度、脱皮する。
霧央は脱皮のタイミングで紗代にゆとりができるのを悟ったらしく、今回の脱皮に合わせて休暇を取った。
そして史子に、紗代を思い切り着飾らせるようにとオーダーする。紗代はたじろいだけれど、史子は本領発揮とばかりに着物を選び、髪を結った。
小一時間ほどして支度を終えた紗代が姿を現し、霧央はわずかに息を飲んだ。
顔にはうっすらと化粧が施されていた。紅の色が白い肌に映えてつやりと輝いている。
華奢なのは相変わらずだが、その立ち姿は
そこには痩せて青白かった頃の紗代はもういない。
少し戸惑うような仕草も初々しく、伯爵夫人と言われれば誰もが納得するはずだ。
美しい。霧央は素直にそう思った。
自分は人やものの美しさにはあまり
西旺寺の本家には美術品の類がこれでもかと飾られていたし、一族には美男美女が多かった。
だから今更、姿形が見目良いだけで心動かされることはないだろう、そう思っていたのに。
「……綺麗だ」
「そ、そんな、お
「
「そんな……」
紗代が思わず下を向くと、そこには菊亮がいた。いつになく興奮した様子で紗代の周りを走り回っていたかと思うと、唐突に姿を消してしまう。
「はは、菊亮も美しく着飾った君にはしゃいでしまったようだ」
伯爵様ともなると、女性への賞賛にも慣れていらっしゃる。でもこれはお世辞なのだから、決して間に受けてはいけないわ。
紗代はそう自分に言い聞かせるけど、口角は自然と上がってしまう。簡単に舞い上がってしまう自分が恥ずかしい。
「さあ、これはいよいよ出かけるのが楽しくなるぞ」
「あの……お出かけとは聞いておりましたが、今日はどちらに……?」
「まあまあ、麗しの婚約者殿はわたしにエスコートされていてくれたまえよ」
霧央は静々と紗代を車に誘うと街へ向かった。市街地の入り口で車を停め、人混みの流れる方へと歩く。
彼は街歩きが好きだ。何の目的もなく、ただぶらぶらとしているだけでも気が晴れる。
しかしこのときばかりは普段と勝手が違った。
霧央は少し歩いては後ろを振り向き、またしばらく歩いては後方を確認せねばならなかったのだ。
溜まりかねて口を開く。
「……三歩も下がって歩かれては、はぐれてしまうんじゃないかね」
「しかし……男女は並んで歩いてはならぬと習いましたので……」
「うーん。そういったマナーも存在はするが、人混みで姿が見えない方が心配だ」
霧央は左腕を紗代の方へ突き出す。
「手を添えたまえ」
「えっ、そ、そんな……」
「今どき、エスコートはこういったスタイルの方がハイカラなのだよ」
「……しかし」
「君はわたしの婚約者なのだろう?離れて歩いている方が不自然というものではないかね?」
「……そうなのですか?」
「そうだとも」
紗代が霧央の腕に右手を添えると、自然に二人は寄り添う形となった。
同じ屋敷に住んでいるというのに、ここまで身体を接近させたのは初めてだ。
そう思ったけれど、道ゆく人は誰も二人を気にした様子がない。
当の霧央もいつも通りで、紗代も思い切って前を向くことにした。
何しろ、久々の街歩きなのだ。街の散策なんて、祖母が存命の頃に何度か連れてきてもらって以来。
いくら身体を寄せていても、うかうかしていては霧央とはぐれて迷子になってしまう。
もっとも、霧央は歩幅を合わせてくれたので、置いてけぼりをくらう心配はなかったけれど。
霧央が向かった先は大きな呉服店だった。
看板に「大島屋」と書かれているのを見て、紗代は大量の着物や日用品を買い込んだ日のことを思い出す。
店内は客で賑わっていたが、女将の千鳥はすぐに二人を見つけてにこやかに近づいてきた。
「まあまあ、よくいらしてくださいました。奥様がお召しのお着物は当店の商品ですわね、よぅくお似合いですわよ」
「あ、ありがとう存じます……」
「お約束の品は別室に用意してございますよ。ささ、どうぞこちらに」
約束の品、と聞いて紗代は霧央を振り返った。
仕立てに出した反物もまだ届いていないというのに、また何か
これ以上は紗代がいくら頑張っても代金を返しきれない。
そんな気持ちを見透かしたのか、霧央はウインクしてみせた。
「そんな不安そうな顔をしないでくれ。もう勝手な買い物なんてしないよ。今日は商品を見せてもらうだけさ」
そこは上客を案内する部屋のようで、店先に飾られていたよりも数段豪華な振袖が飾られ、大きな姿見が
千鳥は二人に座布団を勧めると、絹の反物を差し出す。紗代は思わず目を見開いた。
「これ……は……」
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