第9話 精霊部隊隊長、西旺寺霧央

 精霊付きばかりが集められた陸軍の特殊部隊。その名も精霊部隊。その隊長を、西旺寺霧央は務めている。

 それは精霊の力がなければ対処できないような事柄や、精霊が起こした事件を解決するための部隊だ。

 霧央と契約している菊亮は部隊で一二を争うほど強い力を持っている。そのおかげか部隊の統率はよく取れているし、仕事に滞りもない。

 しかし、霧央にとって精霊部隊の任務は苦痛なものが多かった。

 精霊が事件を起こす、というにも様々なケースがある。契約した人間が悪事に精霊を利用したり、精霊が契約者のために力を振るった結果が事故につながったり、など。

 だが精霊にはそもそも悪気というものがない。

 それでも事を制圧するためには精霊を攻撃せねばならないときがある。相手が無垢むくな存在であるがゆえに、霧央の胸はその都度痛んだ。


 最も霧央がむのが、「がみ」の発生である。

 精霊は契約した人間が正しくまつり、敬意を持って接する限りは加護をもたらしてくれるありがたい存在だ。

 しかし、契約者が敬意と感謝を忘れると精霊は堕ちる。人間への怨みと呪詛じゅそを吐き、害を為す恐ろしい存在へと成り果てるのだ。

 精霊が一度堕ち神になってしまうと、常人には手の施しようはない。精霊部隊の精鋭たちが霊力で消し去ってしまうしかないのだ。

 かつては人間と契約して富を与えていた精霊が、堕ちて呪詛をき散らす様は見ていて心苦しい。

 人間は恩恵を求めたくせに感謝を忘れ、精霊を忌むべきものに変えてしまう。堕ち神が荒ぶる場面を見るたびに、霧央はやるせない気分になる。


 だから、紗代には救われたのだ。

 彼女はどれだけ貧しようと、精霊への敬意と感謝を忘れることはなかった。

 真白だって、どれだけ供物が粗末になろうと、紗代を見限ることはなかった。

 ああ、これこそが精霊と人間のあるべき絆だ。

 そう思ったから、紗代にはその在り方に相応しい生活をさせねばと手を回した。

 婚約というのはやりすぎだったかもしれないが、身を固めろとうるさい親戚もいたから丁度よかった。

 元々自分には結婚するつもりなんてなかったし、妻の座を人助けに使えるのならそれ以上のことはない。


 いや。自分は西旺寺のはみ出し者だから、どうせ結婚してもしなくても文句は言われただろうし、それは相手が誰であっても同じだろうと霧央は鼻を鳴らす。

 高い霊力に恵まれ、将来を嘱望しょくぼうされた西旺寺公爵の長男。

 神童だ稀代きたいの新星だと子供の頃は持てはやされたけど、菊亮と契約してからそんな声も鳴りをひそめた。


 西旺寺の白虎といえば、神々しく輝く白銀の虎である。それは一切の邪を許さぬ清廉な光を放ち、この国の秩序を守り続けてきた。

 長い歴史の中で、本家の虎の他にも白い虎が生まれることがあった。彼らは西旺寺の分家の者たちと契約している。

 本家の虎ほど力はないけれどやはり白虎であることには変わりなく、家をよく盛り立て地方の守護を担っている。

 そんな西旺寺一族にあって、金色に生まれた菊亮は異端だった。金虎の誕生で一族は紛糾した。吉兆だ、いや凶兆だと主張する者たちで西旺寺は大騒ぎになった。

 毛の色が違うというだけで騒ぐだなんて、くだらない。

 霧央がそう思っていたのは、まだこのときは菊亮の存在が他人事だったからに他ならない。自分は銀の白虎を継ぐのだし、金虎なんて自分には関係ないと思っていた。

 しかし、菊亮が選んだのは霧央だった。それがなぜかは分からない。だけど霧央はそのまま菊亮と契約を交わした。

 本家の若様が得体の知れない精霊と契約を結ぶなんて!

 分家の爺どもがうるさく騒ぐので、霧央は進学を言い訳に家を出た。

 軍人になることなんか考えたこともなかったけれど、士官学校ならば寮がある。規律の厳しい組織に入れば、自分と菊亮に向けられる批判もいつかは止むだろうとも考えた。


 その頃からだろうか、霧央が困っている者に手を差し伸べるようになったのは。

 西旺寺家の屋敷にいたときには、世の中に病気や貧困があることを知らなかった。いや、知識としては知っていたけれど実感がなかった。家を出て自分の足で街を歩き、やっと霧央は世界には不幸があふれていることを知った。

 そして不幸な人々というのは、その多くが誰にもかえりみられることがない。むしろ世間に避けられ、どんどん孤独になっていく。

 忌むような視線を受けるその姿が、ひとりぼっちで風にたわむれていた菊亮に重なった。

 辛く寂しい人たちを放っておくことはできなかった。病人がいれば療養施設に入れるように計らって、貧しい者には職を斡旋あっせんした。

 もちろん、すべての人を助けられたわけではない。霧央だって万能ではないし、人間には到底覆せぬ理不尽だってある。


 霧央は書類仕事に漏れがないのを確認すると、早々に軍の執務室を後にした。

 精霊部隊は、面倒な仕事が入ると何日も家に帰れないことがある。

 だから仕事がないときはだらだらと職場に居座らないのが霧央のポリシーだ。どうせ緊急時には呼び出されるのだから、帰れるタイミングで遠慮は不要だ。

 屋敷に車を停めると、史子が「今日はお早いお帰りで」と駆け寄ってきた。


「ああ、仕事が早く片付いてね。……紗代さんはお蚕小屋かな?」

「はい……ふふ、とても熱が入っていらっしゃるようで」 


 屋敷の庭には歌声が響き渡っていた。それはお蚕小屋からで、声質は細いけれども楽しげな様子が伝わるものだった。

 霧央はこっそり、窓から小屋の様子を伺う。


 ハーア 

 うちの自慢のお蚕さまはヨ

 日の本一の絹を吐き

 真珠のごとく照り光っては

 弁天様も驚きなさる

 

 紗代が唄いながらお蚕の身体に優しくハタキをかけている。

 霧央は笑い声を堪えることができなかった。彼女がこんなにも朗らかな声で歌えるなんて思っていなかったからだ。


「ハァチョイチョイ──……えっ、あっ、旦那様……?!」


 唄声を聴かれていたと知って紗代は顔を赤くした。

 唄なんて歌ったのは久々のことだった。

 千早家では声を出すような気力なんて湧かなかったし、歌ったところで家人にうるさいと怒鳴られていたことだろう。

 しかしここで作業をしていたら、泉が湧き立つかのようにうたが溢れてきた。

 音や調子が合っていたかは分からない。だから笑われるほどひどかったのかと思い、紗代は下を向いた。


「申し訳ありません、さわががしゅうございましたね」

「あれ、もうやめてしまうのかい」

「その、申し訳ございません。お聞き苦しいものを……」

「いやいや、とても良かった。聞いているこちらも踊り出しそうになったよ。笑ってしまったのは、嬉しかったから。でも気を悪くさせてしまったね。すまない」


 紗代はぱちぱちとまばたきした。


「嬉しい、ですか……?」

「ああ。君がとても楽しそうだから」


 霧央があまりにきらきらと笑うので、紗代は恥ずかしいと思ったことも忘れてしまった。

 嬉しいと彼が言うのなら、きっとそうなのだ。そう思わせるような説得力が、霧央の笑顔にはある。

 でもまさか、自分の唄を霧央が喜んでくれるだなんて。


「歌詞はお蚕をたたえるものなのだね。もしかして自作のもの?」

「いえ……お蚕仕事を教えてくれた祖母が唄っていたものでございます」

「ほお、お婆様」

「はい。祖母は真白様の先代の契約者でございました。唄や踊りでお蚕たちを楽しませるのも大事なことだと、祖母が教えてくれたのです」

「お蚕を楽しませる、か。いいね」

「はい……、お蚕様は人間の生活を豊かにしてくださるので、それくらいのことは。唄の他にも、おはぎをお供えすることもございますよ。お蚕さまは甘いものが好物なのですって」


 本当に召し上がるわけではありませんけど、と紗代は付け足す。

 それを言ったら精霊へのお供えだって同じだ。実際に食べてもらえるわけではないけれど、お供えを通して敬愛の気持ちを受け取ってもらうのだ。


「それは良いことを聞いたな」


 霧央は鞄を弄ると、紗代の手のひらに丸い缶を乗せた。それは早上がりのついでに、近くの商店で買い求めたものだ。


「これは……?」

「一粒、食べてみたまえ」


 ふたを開けると、そこには半透明の紅玉こうぎょくが行儀良く並んでいた。ひとつ口に含むと、口いっぱいに甘酸っぱい香りが広がる。

「……苺味の、ドロップス……!!」

 同時に、銀の光を放ちながら真白が虚空に姿を現した。ドロップを督促さいそくするように、二人の頭上をひらひらと舞う。

 紗代は思わず吹き出した。


「ふふっ。待ちきれなかったのね……?」


 紗代がドロップスの缶を真白に捧げるように持ち上げる。

 略式ながらそれは供物として受け取られたようで、真白がさらに強い光を放つ。

 紗代は愛おしげに精霊を見つめた。


「美味しゅうございますね。よろしゅうございましたわね……」


 そう何度も呟く婚約者を見て、やはり彼女をすくい上げてよかったと霧央は思った。

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