第2話

中学に入学し、今まで小学校で知っている人と、知らない人が入り混じる中、小学校1年からの友達である隼人の姿が見えた。お互い少し安心した。なれないことばかりでコロナも収まらない。しかし中学校には新鮮味を感じた。そんなことを考えていると、部活の仮入部が始まっていた。私は運動が苦手なので、吹奏楽部を見に行った。仮入部にいくと小学校時代の知っている顔がたくさんあった。そこには小学校で同じく児童会をしていた江川さんがいた。知っている人がいると安心感はとてつもない。そう感じた。音楽が好きな自分にとって、吹奏楽はとても居心地がよかった。そしてほかの部活も見ず、吹奏楽部への入部を決めた。初めての練習があり、何をするのだろうと緊張と高揚感があった。初めての練習は返事練習であった。予定と違う。異様な光景に動揺しながら何とかその日の練習を終えることができた。はっきり言って思っていたのと違う。そう思いつつの船出であった。

部活にも慣れ、勉強もそこそこできるようになり、気づけば少しずつ日が暮れるのが早くなった9月、担任の山本先生から声をかけられた「学級委員をやってみたら」そんなことをいわれるとは思っていなかったが興味はあり悩んだ、そんな時、江川さんも学級委員に声をかけられ悩んでいた。私は江川さんもやるならやってみようと思い、学級委員をやってみた。

思ってた以上に大変であり、仕事量も多かったが充実していた。パソコンを使って新聞を作ってみたりなど、自分に向いているかもと思いながら、周りの仲間とともに活動を行った。そんな中、学級委員担当の海瀬先生から横浜に学年で校外学習に行くことが告げられた。班で横浜の行きたいところに行くような内容であった。しかし一つそこには問題があった。スマートフォンの持ち込み不可。中学生なら当たり前だ。しかし今回の行事は班行動であり、全体行動ではない。学校のパソコンを持っていくと言われたが重たいのである。

そんな疑問が学年全体に浮かんだ。同じクラスの隼人は私に「スマホは必要だ。何とか変えてくれ」そう言った。隼人はいつも私に不満を言ってくるがこのときもそうであった。

私も疑問に思い、海瀬先生に聞いても「持っていけない」の一点張りであった。

何とか変えよう。その思いで、クラスに意見を求め、プレゼンの資料を作った。しかしなぜか気持ちが不安定で、恐怖に襲われる感覚があった。そんな感情のなかやっとの思いで作ったプレゼンを発表する日がきた。校外学習の会議でそのプレゼンを行ったあと、会場全体から拍手があった。そして気づかぬうちに先生が増えていた。しかし結果はNOだった。

「あんだけ時間をかけて、感情が不安定の中作ったのに」「みんなから嫌われてまた文句を言われる」そう感じた。しかし会場はそうではなかった。学級委員の人はよく言ってくれたと話しかけてくれた。江川さんからもそう声をかけられた。会議が終わったあと海瀬先生が近くに来た。はっきり言って敵対視していた。だから怒られるのだろうそう思った。「深ちゃんの意見はしっかりしてたし、よかったよ。かなえられなくてごめんね」まさか謝られるなど思ってもいなかった。感情が湧き上がり、前が見えなくなった。そこから私は海瀬先生のことを信頼できるようになった。

横浜校外学習も終わり、流れるように1年生が幕を閉じた


2年になってからも吹奏楽と学級委員を同時進行で行い、充実感があった。役に立ってるという感じが私を突き動かした。部活は夏のコンクールに向け練習があり、初めてのコンクール出場にワクワクしながら、練習を重ねていた。

蝉の声が聞こえ、地面が焼け付いた日のこと。吉田先生から声を変えられた。

「深崎君、今度の生徒会選挙に出てみたら」

考えさせられる言葉であった。今までも学級委員をやってきたが、コロナウイルスで活動できない日々や面倒ごとを押し付けられるなどいいことがない。

中学入学当初、親には「絶対、生徒会などやらない。面倒で退屈だ」そう話していた。

しかし、心のどこかでそんな自分を変えたかったのだろう。

部活との両立で悩んだが生徒会会長に立候補することを決めた。退屈で劣等感を感じる自分を変えたかった。

会長に立候補すると話したとき、先生は驚いていた。生徒会長は例年、前年度で生徒会の役職に就いた人が立候補するからである。しかしあの時は自分自身に本の表紙のような、すぐはがれる自信を持っていたのだろう。

立候補期限ぎりぎりに推薦人を探さなければならず、小学校からつながりのある、江川さんに話を持ち掛けた。ラインでそのことを送ると、すぐに私の推薦人になってくれたのだ。

そこから秋の生徒会選挙まで、自分にしかできない公約を考えようとひねり出し、パソコンを活用したマニフェストを打ち立てた。しかし生徒会長の立候補者がもう一人いたのだ、小学校からの親友である、中学でもクラスが一緒でよく話していた友人の竹原と争うことになった時から、何かの歯車が回るような感覚であった。

そんな中出場したコンクールは金賞であった。県大会にはいけなかったものの、とても嬉しさに包まれた。

そんな暑い夏が過ぎ、吹奏楽は先輩の引退式が行われ、学校行事の坂中祭もあり、行事が立て続いている。そんな中でも生徒会選挙に向けて着々と準備を進めていった。

そして冬の日差しが目に刺さる日、生徒会選挙当日であった。

リモートでの実施となり、カメラに向かって、今まで練ってきた公約を掲げ、演説をした。

江川さんもあまり打ち合わせもしていないのに、私に歩み寄ってくれた応援演説をしてくれた。

すべてが終了した後、手ごたえはあった、声をかけてくれる人も多くいた。

次の日、結果が発表された。「深崎 当選」その文字をみて、すぐには喜べなかった。

竹原に対する罪悪感を感じつつ、周りは自分には当選に関して声をかける。

判断を間違えたのだろうか、関係が崩れてしまう、そんな恐怖を感じた。

江川さんは暖かい声で当選を祝ってくれた。喜びと恐怖が一緒に感情として湧き上がることがあるのだと、初めて知らされた。


「深崎会長」面白がってそう呼ぶ人もいた。生徒会長の責任を強く感じつつ、現実味のない感情を持つ。何かにどんどん襲われていく、壊されていく、そんな感覚であった。

そこからであった、私が私を失っていく。

当選が決まった次の日から仕事が舞い込んできた、感情も追いつかぬまま。

そこに悪魔が襲ってきた。とてつもない倦怠感、そして負の感情が風船のように膨らんで破裂した。保健室に行くと中島先生は、もっと肩の荷をおろして、生徒会の私といつもの私を振り分けたほうが良い。そう言ってくれた。

考え方を無理やり変えた。何とか悪魔も立ち去った。それでも生徒会の仕事は膨らみ続ける。それでも生徒会の仕事は好きであった。みんなが退屈しない生徒会にしたい。その考えが私を突き動かしてくれた。

少しずつ心が落ち着き、仕事にも慣れ、部活や勉強ともうまく両立できた。自分が望んだ「自分を変える」それが着々と進んだ。

冬が過ぎ、春を迎えた。卒業式と入学式で生徒代表として話さないといけなかった。国語の金沢先生と文章を作り、練習を重ねた。人前に立つことはあまり得意ではなかった。それを周りに話しても理解してくれる人などいない。何とか当日も役目を果たすことができたが、保健室の中島先生は倒れそうだったと私に話した。

私は中学3年生となった。

時が過ぎ5月ごろ、悪魔はまた少しずつ姿を現した。生徒総会の準備、部活のコンクール、中間テスト、進路、修学旅行の準備と様々なことに追われたとき、悪魔はついに私から私を奪った。

吐き気はめまい、頻脈、高血圧と今までに感じたことのない体の異変があった。

せっかくの修学旅行でも、ずっと症状に悩まされ、ご飯はのどに通らなかった。

ずっとそんな日々が続いたある日、5時間目に今まで以上に症状が悪化した。音楽の教室から保健室に向かうとすぐに血圧と脈を測った。中島先生は早退したほうがよい、また病院で検査したほうが良い。そう判断し早退した。

後から親には、救急車を呼ぶか悩んだと電話越しに中島先生が話していたと私に伝えた。

病院をめぐり、近くの大きな病院で心電図検査、血液検査、エコー検査などたくさんの検査をしたが何も異常はなかった。はっきり言って、なにかあってほしかった。

苦しみ続けるだけは嫌だと思いつつ、吐き気を抑える薬を渡された。まったく効果はない。

悪魔はずっと私に住み着き、ことあるごとに顔を出すのであった。

病院へ行っても、何も変わらない日々が続いた。

せっかく最後のコンクールであったのに、吐き気が治らず、何とか出場したコンクールも初めての大人数編成での出場で、結果は銅賞であった。自分が銅賞にしてしまったのではないか、そんな感情に押しつぶされそうであった。

気づけば秋が終わろうとしていた。それと同時に多忙であった生徒会も終わりが近づく。

悪魔を振り払いながら、校則の変更などに追われた。生徒会として最後の大きな会議の日、準備してきた校則の変更など、多くのことを可決して終わらせようとしていた。

しかし、先生からストップがかかった。そんな話は聞いていない。そう話された。

わけがわからなかった、すべて先生に話していた。だが先生は話を聞いたようで聞き流していたのだ。準備してきたものはすべて潰えた。それと同時に、「自分を変える」という目標もすべて失われた。

悪魔は私が変わることを許さず、私を変えさせていった。

死んでしまおう、この一年は何だったんだ。居なくなりたい、消えてしまいたい、悪魔はどんどんと私を食いつぶす。

死のう。そう思っていた。なぜあんなにも身近な人の死が悲しかったのに、自分にその感情はわかないのだろう。そう思った。生きることをやめようとしていたとき、学級委員時代から私を認めてくれた海瀬先生が悪魔を少し弱らせてくれた。自分の感情を話すと海瀬先生は「あなたに非はない、そして深ちゃんは十分学校をよくしてくれた。今まで見たことのない生徒会長だった」お世辞を言うような先生ではないからこそ、涙がこぼれた。

後から聞く話だと薄々、私がそんな悪魔に襲われていたことに気づいていたようだった。

悪魔も姿を隠した。少し負の私をプラスに変えることができた。

生徒会長時代は複雑な終わりを迎え、部活もいけないまま引退となった、すっきりしない終わり方は昔からである、そう自分に言い聞かせた。

やっと肩の荷がおりて、受験勉強に集中できた、冬の寒い季節、私の心は少し暖かくなった。受験勉強中に悪魔は出てこない。悪魔は滅びた。そんな喜びに駆られた。

無事志望校に合格できた。卒業式は生徒代表として部活が同じだった五十嵐さんとともに舞台に立った。悪魔ではなく天使がいたように感じた。いろんな人と話して、寄せ書きを書いて、自分を少し変えれたそんな気分であった。なぜだろう、悪魔との思い出も美化してしまう。やっと自分らしく生きる方法が見つかった。そう思いながら目を光らせて、前を向いて卒業式を終えた。


高校までの一か月、緊張と高揚感に包まれ、これからの進路に希望を持てた。

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