私が私を失ったのはいつからだろう
@tuzuku
第1話
「コロナウイルスの感染者が過去最多です」毎日のようにコロナウイルスのニュースを耳にした。
小5の三学期、コロナウイルスの脅威により学校が休校となった。休みになる高揚感と、コロナの恐怖が入り混じっていた。毎日が同じように感じる。そんな日の朝、親のスマホが鳴り響き、聞こえてきたのは、おじいちゃんの訃報であった。人生の中で初めて身近な人がなくなった。死は突然訪れる。よく耳にする言葉の意味を思い知らされた。
お葬式まで親戚はバタバタしていた。お金のこと、これからのこと、コロナで現実味がない世界の中、非現実的な感覚である。
お葬式当日、気持ちが追いつかぬままであった。花を添え、顔を見ていると涙がこぼれた。
酒好きで会いに行くといつもお酒を嗜む姿がフラッシュバックする。そんな姿も見ることができないのか。泣くことはないだろうと思っていたのに、そう感じた。
初めて死と向き合うとき、感情は社会情勢のように絡み合い、自分が何を考えて、感じているのかわからない。だが残酷にも死と向き合い続けなければいけないのだろう。
おじいちゃんの訃報から数か月が経ち、コロナはいまだ、社会の時間を止めていた。
やっとすこし外食できる。夕ご飯は外食であった。家に帰るとお母さんのスマホにばあばからの電話がかかってきた。何か連絡があったのだろうと思っていたがいつになってもお母さんとばあばの電話は終わらなかった。その後やっと電話が終わり、内容を尋ねると「ひいばあばが亡くなった」。毎年夏に実家の大分県に帰省し、あっていたひいばあば。
いつも会うと嬉しそうに微笑んでいた。また大切な人がいなくなってしまった。
真っ先に会いたい。そう思った。しかしコロナはその希望すら与えさせない。
実際に会うことができないとより死を受け入れることは困難であった。お母さんが葬儀場に電報を打っているとき、目がうるみ、肩を丸めている姿は目に焼き付くほどのインパクトであった。
まだおじいちゃんの死を受け入れることだって難しいのに。さらにコロナは私たちをいじめる。
2020年というものはひどく長く感じた。また学校でも行事の中止が相次ぎ、児童会をやっていた私が楽しみにしていた、運動会も奪われた。2021年、梅が姿を見せるとき、規模は縮小したものの、卒業式が行われた。卒業式までに一生懸命練習した校歌の伴奏も録音になった。様々なことが理不尽に奪われていく。卒業したあとは心が燃え尽きていた。
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