第29話 最高の先生
「クソッ! クソッ! ド畜生ッ!」
呪詛を吐きながら廊下を走り抜ける。
目尻に浮かんだ涙が、流れたそばから乾いて消える。弱音を吐いている暇はない。
「あまり汚い言葉を使うな。フロムオード君」
どこからか教授の声がした。幻聴ではない。声の主はジャケットの下でもぞもぞと身動ぎしたかと思うと、中から這い出してチョコンと私の肩に乗った。
「貴様というヤツは。まったく、少し目を離した途端に弱音を吐きおって」
それは教授を模した小さな砂鉄の人形だった。
「教授!? アンタ大丈夫なのかよ! ケレスとやり合ってる真っ最中だろうが!?」
「心配無用だ。この程度なら小指も使わん……あっ……イタタ……」
教授が苦しむように体を折り曲げたかと思うと、そのまま私の肩から転げ落ちる。慌てて私は彼を掌で受け止めた。
「おい、今ちょっと攻撃食らったろ」
「いや、少々腰が痛むだけだ。いずれ貴様も分かる」
「ハイエルフのクソジジイが何を強がってやがる。無理すんなよな」
辛いだろうに。あの怖ろしい怪物と戦うにあたり、教授はどうしても指を10本行使しなければならない。だというのに、私を守るために無理をしている。命を懸けて。
憎たらしい奴だと思ってた。
私にばかり執拗に厳しくするから、落ちこぼれを潰してやろうとしているのだと私は浅ましい勘違いをしていた。だが、思えば、この卒業式の日まで見捨てずにずっと目を掛けてきてくれたのはメカチャック教授だけだった。生徒や教員が笑おうとも、彼だけは笑わずに私の成長に付き合ってくれた。
いい人だ。こんな先生、世界中どこを探してもいないよ。
ありがとう。ごめんね。
照れ臭くて、申し訳なくて、この期に及んでも言葉が出て来ない。
だから、私は精一杯の気持ちを込めて言った。
「ねえ、教授」
「なんだ?」
「頼むからさ。死なないでよ、ね」
「ハハ。吾輩を誰だと思ってる?」
「……天才、だろ?」
「正解だ。満点をくれてやる。貴様は実技はとことん苦手だが、学習の姿勢だけは誰よりも優れているからな。流石、この吾輩が育てた自慢の生徒なだけはある」
「……うっせ」
目を固く瞑る。乱暴に目元を擦る。
それでも走る足は止めない。
「べリタ、よく聞け。ケレスはお前を狙っている」
「何でアタシなんだよ。おかしいだろ」
「お前がアリス・フロムオードの娘だからだ」
「だから、アレだろ。勇者討伐の戦争でママを殺し切れなかったから、娘のアタシをぶっ殺そうってんだろうが。アイツ、マジきっしょいなあ。親子狙うストーカーとか守備範囲広過ぎだろ!?」
「ストーカーという表現は誤りではないが、アレはそれほど生易しいものではないぞ」
教授は私の手の上で、いつもみたく襟を正しながら言った。
「お前の母親、アリスはあの怪物に殺された。それは間違いではないのだ」
「いやいや、それって教授のハッタリだろうが」
「違う。少なくともヤツの中では」
教授の目がこちらに向く。
「先程のスリットマウスの話を憶えているか。取り込んだ云々の話だ」
「あ、ああ。でも、あれ頭が混乱しちまうよ。なんだっけ。ケレスが原初精霊マリアンナを取り込んだからケレス=マリアンナ。そんで、それを更に取り込んだのがスリットマウスだっけか?」
「その認識で良い。つまり、ヤツの正体は集合体なのだがね。……いるんだよ。ケレス=マリアンナの中に、その他に、アリスを殺したいと思うヤツが」
「どういう事だよ?」
「奇妙な話だ。獲物を横取りされたと思っているヤツが、あのケレス=マリアンナの中にいるのだ。だから、終わっていない。殺された筈の君の母親、アリス・フロムオードをもう一度手ずからに殺したいと心底願っている奴がいる」
「誰だよ、それ……」
「それは……――ッ!」
手の中で、教授の砂鉄の体がかすかに崩れる。
歯噛みしながら教授は言う。
「すまない。怪物がそちらへ向かった。間もなく人形での意思疎通は取れなくなる」
「おい、おい。教授! 無事なのか!?」
「心配無用と言ったはずだ。すぐに吾輩も後を追うが、それまでに貴様は怪物と接触してしまうだろう。いいか。多少の寄り道にはなるが、今から言う通りの場所へ向かって時間を稼げ」
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