第27話 運命が動き出す
彼の周囲に赤熱した岩が無数に出現する。
それらは宙でグネリと捻りながら回転を始めると、溶解して槍の形になった。
この魔法には見覚えがあった。無論、忘れる筈がない。卒業試験の日、私に向かって容赦なくブチかました殺人級の火の槍だ。確か〈
だが、今日のそれは明らかに異質だった。
規模も、込められているであろう魔力も、恐らく魔法式の構造さえ私には到底理解できないもの。
教授は魔法の名を唱えた。
〈収束劣化式・
散弾銃を思わせる強烈な一撃だった。
教授が一挙に撃ち出した赤熱の槍は十数発に及んだ。
あれがもしも私に向けられていたら一撃で即座に絶命、焦げた肉片が劇場に散らばっていた事だろう。卒業式の模擬戦で、彼が密かに攻撃魔法の名を「超劣化式」と言い差していた理由がよく分かった。しかし、今この場面ですら魔法を「劣化式」と呼んで弱体化させているのは、きっと生徒達が巻き添えを食うのを配慮した為に違いない。教授が全力を発揮するには、守るべき者が多すぎる。
実際、教授のそれはケレスを僅かに怯ませる程度でしかなかった。
惜しく思う。あともう一人。せめてもう一人、誰か味方がいれば……。
刹那、脳裏を過った人物がいた。そうだ。彼さえいれば。
それに思い当たった時、私はその人物について教授に問い質した。
「つか、何でドミニクがこの場にいないんだよ! どう考えてもアイツがいるべきだろ、ここに。カリステジア王国の元騎士団長なんだろ!? 『ヒューマンズ・セッション』のリーダーと唯一タイマン張れる実力があるんだろうがッ!」
私が苛立ち混じりに大声を上げると、教授は苦虫を噛み潰したように顔を顰めた。その表情は、教授自身がそれを一番理解していると明らかに物語っていた。
「それだけはできない」
「どうして!」
「ケレス・マリアンナにドミニクの戦闘技術を見せるワケにはいかん。それだけはダメだ。ケレスは……ヤツは……いや、あの男には、一度見たものを完璧に再現し、理解する力がある。ここでドミニクを呼べば、それこそもう我々には打つ手がなくなってしまう」
「――チッ、またわけ分かんねえ事を……」
及び腰な教授を無視して、私はケレス・マリアンナの元へ駆け出した。そして、暴発を利用した6連撃を再び放つ。
縦横無尽に跳ね回る、藍色の炎の軌跡。この足が宙を、肉を蹴るたびに全身に力が駆け巡る。骨に芯が通る。身体に馴染む。まるでこれこそが本来の私の証明魔法だったのではないかと思われてくるほどに。
蹴ったそばから暴発の威力で肉が吹き飛ぶ。
6発目を繰り出した時、ケレスの体は大きく弾かれていって壇の壁面に勢いよく衝突した。
教授の言い分とは違い、二度目となる私の攻撃は確実にケレスへダメージを与えた。
「どうだ。見たかよ。全然効くじゃねえか」
私は得意に言ってやった。だが、教授は眉間を顰めたままだった。
「貴様は何も分かってない」
その時、自分でも知らなかった怒りの声が、勝手に私の口から飛び出した。
「だったら、分かるように説明してくれよ!」
この頭の片隅で、これまで長く閉ざしていたもう一つの口。鉄糸で固く縫い上げていた口が裂けてしまったようだった。見えないふり、知らないふりをしていた不満と疑問が、この腹で煮え、喉を焼く熱い吐瀉物のように飛び出す。
お前は馬鹿なんだから知らなくていい、と言われてる気がした。
無茶をせず、大人しく身の丈にあった生き方をしていろと。
私は他の子と違って魔法が使えない、落ちこぼれ。父は蒸発、母は車椅子の生活。唯一の希望だった証明魔法にも裏切られた。私が何か悪い事をしたのか。そんな目に遭うような事をしたのか。
私の人生は、生まれつき身に覚えのない負債が多すぎる。
だから知りたい。この世界が造られた理由を。私がこの世に生まれてきた意味もひっくるめて、全てを知って、ただ納得がしたいだけなのに。誰かが邪魔をしてくる。飼い犬の躾をされている気分だ。
「勝手に見損なって。程度を決めつけて。講義の計画立てるみたいにアタシを導こうとしてんじゃねえぞ!」
教授との喧嘩はこれまでも度々あった。でも、それは建前や交流の一環のようなもので、いつもじゃれ合うような軽口を叩き合っていただけだった。私はアンドリュー・メカチャック教授との関係を腐れ縁などと思いつつも、叔父というか、ある意味、父に代わる育ての親みたいに思っていた節があったのかもしれない。だから、彼に本気の怒りをぶつけたのはこれが初めてだった。
だが、教授はこんな乱暴な言葉で挑発されるような男ではない。伊達に長生きではないのだから。彼はいつも冷静で物事を論理的に組み立てる。だから今、どんどん悲しそうに曇っていく教授の顔は意外だった。反論もせず責めを受け入れている。
言いたい事をぶち撒けたら、頭に昇り詰めた血が一気に引いた気がした。ハッと我に返った。そもそも、今日の彼はずっとおかしかった。時折見せる、滅多にない優しい目、泥臭く足掻くような表情、彼には似合わない絶望に満ちた顔。今なら分かる。今日この卒業式の間、教授には諦観とも言えるような悟った空気が漂っていたのだ。
「何だよその顔……何で全部自分が悪いみたいな顔してたんだよ、アンタ」
その時、黙っていたステラが口を開いた。
「ねえ、アンドリュー。エルフの悪い癖が出てるんじゃない?」
「貴様……」
「万年引きこもりの苔生しエルフ。現代じゃ最高の魔法使いだとか持ち上げられてるくせに、独りぼっちの人間は無力だって事を未だに学ばないんだね」
まるで子供が図星を突かれたみたく、教授の表情には苛立ちの色が浮かんだ。
「とっくに学んだよ。だが、もう『ヒューマンズ・セッション』は死んだ。吾輩だけが無様に生き恥を晒している。分かっているさ。分かり抜いている。しかし、この最悪の物語にベリタまで巻き込んでしまったら、あの世にいるアイツらに申し訳が立たない……これは取り返しのつかない孤独なんだ。こんな大きなものを、この子に背負わせるわけにはいかない……」
「それは違うよ」
嘆く教授の言葉を、ステラが切り捨てた。
「ベリタ・フロムオードの物語だ。君は、この子が成長するまでそれを預かっていただけ。過保護もここまでくると愛を感じるね。でも、もう良いんじゃないかな。べリタちゃんに物語を返してあげる時がきたんだ。それに、もうそのお膳立ては昨日したつもりだけど」
「昨日……?」
訝しげに聞き返す教授。やがて彼は目を丸くしてステラを凝視した。呆れた感じの溜め息を吐き、手の平でまた乱暴に顔面を揉みくちゃにして、目を鋭くしたり、顔の皮で峡谷のごときシワを作ったりした。そうして、また心底忌々しそうにステラを見て、嘆きの境地から流れ出すような溜息を吐いた。
「これでもまだ神の筋書き通りというわけか」
教授は何かの判決を出す
「フロムオード君。君は、校内で
「……知ってる」
霊廟とは、このカリステジア王国の成立もしくは存続のために身を捧げた先達が埋葬されている場所だ。この魔法学校が、近隣の諸国にも特別視される理由がそこにある。例えば、称賛され弔われてきた数ある功績の中でも、ヒューマンズ・セッションの旅路に同行した一人の運び屋の話はとても有名である。
それというのも、勇者討伐の戦争を見越したカリステジアからの要請を受けた彼は、各国の要人たちへ支援を求める書状を密かに届け果せたのだ。その功績がなければ、今頃近隣との友好関係を築いたうえで、この国は今日のような理想的な黄金時代を迎えてはいなかっただろう。そういう救国の英雄たちが眠っている場所が、この魔法学校にある霊廟だ。
「そこに向かえ。べリタ・フロムオード」
そう言った教授は私を見ていなかった。悩みや葛藤でキツく顰められていた目元は、穏やかに解れていて、今はもう一心に澄み切っているように見えた。
「すまなかった。君に何も明かしてこなかった事を謝罪する」
柄にもない事だ。謝罪だなんて。
吉とも不吉とも分からない未体験の予兆が、唸りを上げて私に存在を知らしめる。巨大な堤防の罅割れから、水が滲みだしているのを見付けたみたいに。決壊を模した様相の運命が、私に向かって動き出す。血の匂いを嗅ぎ分けた獣のように、一心不乱に迫りくる。
教授は言った。それは今、彼が私にする最後のはなむけだった。
「行け。全ての答えがそこにある」
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