第25話 教授の願い

 謎が一つ解けた。


 何故、この劇場の設計に教授が深く関わっていたのか。頻繁に出入りしていたのか。


 つまり、この魔法学校における『証明魔法の授与式』という一大イベントの成立は、いわば副産物だった事になる。雨の精霊ステラが住まう隣国へ生徒を行かせるのが面倒だとかいう弁解は真っ赤な嘘で、本命はこの研究のため。


 だとすれば、あの授与式でステラがいとも簡単に教授の劇場を支配してしまったというトラブルも納得がいく。彼女にとっては些細な悪戯だったのかもしれないが、この劇場という施設は初めから彼女ありきの装置であったという事なのだから。


 とんでもない執念だ。


 いや、胆力と言うべきか。仮にも創立に国が関わっている学舎を好き放題に改造してしまうとは、恐れを知らないのかこの男は……いや、いや待て。これだけ大規模な装置なのだから、設計にあたり国が知らないワケがない。すると、これは……。


 途端、ステラの冷たい声色が聞こえたので私の体がビクリと震えた。


「つまり、これを使ってアカシを殺そうとしたのね」


 また「アカシ」という何者かの人名が出た。


 昨日の授与式で私と見間違えた誰かだろう。アカシとは女性なのだろうか。滅多に人前に現れない精霊と、方面を旅していた教授との接点から察するに、恐らくは『ヒューマンズ・セッション』のパーティの一員だと考えられる。彼女は他にも「ローガン」「マーガレット」という名を口にしていたが、仮にその人物たちも一員だとするのなら、メカチャック教授を含めて挙げられた名前だけでも四名。あと一人は誰なのだろうか。


 いや、違う。そこは重要じゃない。


 ステラが今言った通り、教授がアカシなる女性を殺そうとしたのが事実なら。彼は『ヒューマンズ・セッション』の仲間に手を掛けようとしていた事になるではないか。それは何故だ。


 巡る、巡る。我ながら筋肉で出来ていると思っていた脳が妙に聡くなっている。


 教授がステラの問いに答えた。


「吾輩に言える事は1つだけだ。アカシの物語ドラマを変えたい。だから、力を貸してくれ」


「本気で言ってるの? 私たち精霊は、神とドラマツルギーに従属するもの。一度神に定められたドラマを否定するだなんて……」


 張り詰めていた表情をしていた教授は、フッとステラに笑い掛ける。


「それもまたドラマだろう?」


 一瞬、彼が私を見たような気がした。


「屁理屈」とステラ。


「何とでも言え」


 ステラは微かに逡巡してから、不服そうな表情をしながらも彼に答えた。


「いいわ。力を貸したげる。それで勝算はあるんでしょうね?」


「いや、勝てない。絶対に勝てん。無理だな。あの化物に勝てるとでも本気で思っているのか」


 自信たっぷりに敗北を宣言するものだから、ステラは呆気に取られていた。


「ええっ、そこは勝てるって言い切るとこでしょうが……」


「そう見損なってくれるな。作戦はある……さあ、お喋りはここまでだ。皮肉にもドラマに囚われたもう一匹の怪物が、待ちくたびれているぞ」


 視線の先に、退屈そうに大人しく待つスリットマウスがいる。胸の下に腕を置いて、立てた指で頬杖をしている。目元を細くした表情は実に不満げだ。


「……ああ、話は終わったかな。まったく原初精霊の縛りってのは不便だね。詰まんない話を遮る事もできない。ルール違反だから。はあ、ドラマなんてクソ食らえだ」


「――おう、その意見には賛成だぜ」と私。


 隙を窺ってスリットマウスの背後まで忍び寄っていた私は、彼女のがら空きな背中に向かって〈装甲貫通〉を放った。


 私の蹴りを振り向きざまに目で捉えたスリットマウスは、先ほどと同じようにステーキナイフを振るい、赤黒い魔力の塊を地面から突き出した。


「ふうん。隅っこでガタガタ震えてた小娘ちゃんが何の用……?」


 私を挑発した直後、スリットマウスが初めて動揺した表情を見せる。


 ナイフを振るっても、あの臓腑はらわたから凍り付いてしまいそうな演奏が聞こえてこない。私の体をズタズタに引き裂こうとした魔力の凶器が、突然泥のように崩れてしまったのだ。


「――オラァッ!」


 渾身の蹴りを叩き込む。藍色の炎が爆発する。暴発の斥力に弾かれた私は腰を捻って半回転。スリットマウスとは真逆の虚空に向かって、また靴底の魔法式に魔力を込める。今度は蹴りを放つのではなく、ただ魔力の暴発を引き起こすためだけに。


 昨日の卒業試験から既にこの技の構想はあった。


地獄に落ちろリップ・バン・ショット


 私はピンボールのように弾かれて再び彼女へと飛び掛かる。もう一回、もう一回と蹴りを叩き込む。スリットマウスの正面、頭上、背後にかけて藍色の爆炎が弧を描く。暴力的な全六発の蹴撃を彼女の全身に浴びせかけた。魔力による追撃は……こない。


 どうやらステラと劇場装置の力は問題なく噛み合っているようで、スリットマウスの〈歓びよ、人の輪よ〉は不能になったようだ。私はそのまま檀下の二人の元へ着地した。衝撃を緩和させるために最適な接地をしても、流石にこの高低差では足がビリビリと痺れる。


 思わずしゃがみ込む姿勢になったところを、ステラが私の頭を優しく撫でた。


「ベリタちゃん。期待を裏切らないセンスの良さだねえ」


「当然。魔法学校の面目丸潰れを忍んで鍛え上げたのはこの吾輩だぞ」


「ヤあ、どうかな。あの足技にはすごく見覚えがあるけど」


 教授が鼻を鳴らして笑う。


 氷のように冷たかったステラの表情も今は和らいでいる。


 だが、まだ悠長に話している場合ではない。


「なあ。一般人ならアレで死ぬだろうけど。つか、殺す気でやったけどよオ。勿論、あんなんじゃくたばらねえんだろ? あのバケモンはさ」


「生意気だぞ、フロムオード君。だが、その通りだ。単純な暴力ではヤツは死なない」


 壇上にスリットマウスが佇んでいる。


「――おかしいな。とてもおかしい」


 怪我どころか火傷すらない。埃屑一つ見当たらない、綺麗な姿の彼女がそこにあった。「おかしい、おかしい」と何度も呟きながら彼女は怪訝そうに私を見ていた。


「血と魂は彼らが分けたものだ。なのに、肉が違う。そこの娘が散々甘えてくる間に気付いたよ。よく考えれば奇妙な話だね……ボ、ボク……ボクが、ボクが彼女を殺した時、彼女はまだ妊娠していなかった。というか、まだを解決できていなかった」

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