第22話 デッドマンズ・セッション
聞き捨てならない事だ。
であれば、目の前のあれは何だというのだ。
「でも、さっきアンタが自分でそう言ったんだろ」
「そうだ。だが、明らかに違う。当時のアレはもっと化物然としていた。なにしろ原初精霊の遺体がそのまま腹部に埋まった悪魔のような姿だったんだからな。第一、人の言葉を喋らなかった……解せん。貴様は何者だ?」
勇者討伐の折、ケレス=マリアンナの正体をすぐ間近で見たのは、例のパーティだった。その一員である教授が「違う」と断言している。いよいよワケが分からなくなってきた。
なら、この女は何者なのだ。
彼女が答える。
「ケレス=マリアンナだとも。悪霊ケレスが、原初精霊マリアンナの遺体を取り込んで偶像精霊と呼ばれたように。ボクだって同じ事さ。偶像精霊が取り込まれたからボクが産まれた」
「ありえない。残された
「勘違いしているよ、アンドリュー・メカチャック。前提から何もかも間違ってる。重要な点は、たった二つだけさ。
第一に、偶像精霊は死後、すぐには君の手に渡らなかった。
第二に、偶像精霊を取り込んだのはボクじゃない。
よく考えてみなって。エルフの天才なんだろ。想像力が足りないよ」
彼女は真っすぐに私を指差した。
「遺体は、アリス・フロムオードが下らない約束のために恋人へ贈ってしまったじゃないか」
ヒュッと息が詰まる。あまりにも不意に母の名前が出たからだ。しかも、母だけでなく私の父親までもが関係している。それは間違いない。ヤツは「アリス・フロムオードの恋人」と言ったのだから。
あの女はこう言ったのだ。偶像精霊の遺体は死後、私の母に引き取られ、その後で父親へ渡ったのだと。だが、そこでもう一つ謎が生まれる。
だとしたら、なぜ私の父親が持っていた筈の遺体を教授が保管していたのだ?
つまり教授は、私の父親の所在を知っているという事にならないか。
つまり、つまり、やたらと教授が私に関わってきた理由にも関係があるのではないか。
何も分からない。そんな不安と苛立ちが、私へ襲いくる。
思わず潰れて塞がりそうな喉をなんとか開いて、教授を問いただした。
「どういう事だよ」
しかし、教授は眉間に皺を寄せて女を睨みつけたまま、何も答えようとはしなかった。
「おい、教授! なんとか言えよ!」
私たちの様子を見た女が、痺れを切らしたように言った。
「さて。そろそろ自己紹介をしよう。いつまでも『あの女』と語られるのは心外だからね。そう、かつてボクはこう呼ばれていた」
女は悪意に満ちた薄笑いを浮かべたまま名乗った。
「パーティ『デッドマンズ・セッション』所属。スリットマウス」
趣味の悪いパロディだ。死者の合奏だなんて、明らかにヒューマンズ・セッションを揶揄している。
その時、密かに壇上から下りて観客席に避難していた教頭が声を上げた。
「全校生徒に告ぐ、総員、詠唱開始!」
教授と私がスリットマウスと話している間に皆で準備をしていたのだろう。総勢五百名が一斉にスリットマウスへ向けて杖を構え、魔法を唱え始めた。基本属性ばかりの単調な魔法だけではない、昨日の卒業試験のために生徒たちが練りに練った研究の成果が集結している。
流石にこれほど撃たれれば、たとえ教授だろうが偶像精霊だろうが塵一つとして残りはしない。なにせ、血反吐の末に将来を掴み取った秀才連中の魔法だ。信頼の度合いが違う。
だが、教授の様子は違った。まるで「愚かなことを」とでも言いたげに表情を歪めながら、精一杯の声でそれを中断させようとしていた。だが、彼自身も意表を突かれていたようで、彼が静止の声を上げるには手遅れだった。
「やめろ!」
「――撃て!」
教頭が指示した瞬間、暗い観客席に満天の星がブワリと咲いた。一面、まるで芸術のような美しく眩い光に埋めつくされる。その中心にいたスリットマウスは一言嘲るように呟く。
「……ハハ。満場総立ちか」
スリットマウスは腹のコルセットピアスから布を解いた。パックリと大きく開かれた真っ暗な穴。彼女は、その更に深みへ腕を突き入れたかと思うと、そこからヌルリと銀のナイフが引き抜かれる。丸みのある刃に細かな凹凸が見られるから、あれは恐らくステーキナイフだろうか。
彼女はナイフで虚空を撫でながら、次の言葉の舌触りを確かめるように言った。
〈
それは一秒にも満たない間だっただろう。劇場の隅、壇の付け根、座席の底、あらゆる影という影から、菌糸みたいに流動する赤黒色の魔力が溢れ出した。そのグロテスクで明らかに異様なものが、一瞬にして何百個もの魔法式の形を象る。
まるで真っ赤な巨木に、いくつも目玉が実っているような。
観客席から飛来する魔法の大群。それがあの禍々しい巨木の果実に接触すると、たちまち、巨木もろとも何もかもが片端から消えた。本当はまだ何も起きていなかったのではないかと錯覚するほど呆気なく。魔法学校で勉学に努めてきた優秀な生徒たちの魔法が、まるでシャボン玉のように弾けて消えてしまった。
あっという間の出来事に誰も言葉を発する事が出来なかった。
しばらくの沈黙があって、それからスリットマウスは口唇の涎を指で拭う。
それから、彼女はまるで人が変わったように真剣かつ深刻な眼差しで劇場中の全員を見回した。
「魔法とは、人間を表す剥き出しの心だ」
乾いた笑いを交えながら彼女は続ける。
「昔は、小さな火を灯すだけのありふれた生活魔法にだって使い手ごとの癖があった。魔法は使い手そのものの象徴で、人間性の表れだ……そんな愉快でヘンテコで美しいものが……」
途端、スリットマウスの目に落胆の色と、仄暗く燃える恨みの色が差す。
「よくも、ここまで腐り果てたものだ。もはや人とも呼べぬ畜生ども」
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