第17話 メカチャック教授の研究
何だろう、これは。
魔法の道具ではない。
魔物の前肢でもない。解剖した研究材料でもなさそうだ。
何の為に。そんな疑問で私の頭は一杯になった。
だから、思わず私は好奇心に駆られてその容器の表面に触れてしまっていた。今夜、それは最大の失敗だった。早く気付くべきだったのだ。あの耳鳴りだか何だか、饒舌で邪悪な幻聴が、まるで時機を捉えた獣のように、今になってピタリと静まり返っていた事にだ。
藍色の炎が燃え上がる。 今度は胸からではなく、私の全身から溢れ出すように燃え盛る。そうして初めて分かった事であるが、この炎は私の肉体を少しも焼こうとはしなかった。
熱を感じない。
思い返せば、今日の卒業試験だってそうだったではないか。凄まじい魔力の暴発に遭ったというのに、私の身体には傷一つ付いていなかった。
何故私は、私自身の身体に棲み付く得体の知れないこの炎の、その不気味さに一度も気付かなかったのだろう。
そうしていると、私はまた別の奇怪な現象を目の当たりにした。
硝子容器の中の液体がどんどん減っている。この正体不明の左腕に吸い上げられているようにも見える。あまりの事態に、私は茫然とその光景を眺める事しかできなかった。
やがて容器の液体がスッカリ干上がってしまうと、容器が真空になったせいか、硝子の表面にピシリと罅が入った。その瞬間、容器の中でジッと硬直していた腕が動き出す。
くっ付かれていた中指と親指が、私の目の前で弾かれる。
明らかに遺体の一部であるというのに、まるで今も生きているかのようだった。
古いホラー小説の一場面みたようだろう。
だが、真に戦慄すべきはその音にあった。
単なる指弾きの筈が、その一瞬間の破裂から、まるでピアノの鍵盤を乱暴に弾き潰すような不快極まりない耳障りな音が聞こえたのだ。私の意識がグラリと揺さぶられてしまうほど、それは凄まじい圧力を伴っていた。証明魔法の授与式で聞いたパイプオルガンの音圧など比較にならない。まるで、小魚の横をクジラが泳ぎ去ったかのような衝撃があった。それが、たった一発の音にだ。
全身の内外を這い回る。蟻走感。
これが恐怖心であるという事を、私は遅れながらに自覚した。そうして混乱していた感情の整理が付くと、この正気とは思えない光景について、いよいよ真正面から正気で向き合う事になってしまって、私は叫ぶこともできず、ただその硝子容器を覆い隠すように再び紙を積み上げる事しかできなかった。
気付かない間に、体中を取り巻いていた炎が消えている。
それから、堰を切るみたく生血のような熱い息を吐いた。
ふと、積み上げた紙のうち一枚の資料に目が留まる。
題名はこうだ。
『原初精霊の魔法、
他の資料も拾い上げてみると、どれもが同じ研究に関する内容だった。中には、劇場のパイプオルガンの設計について記された資料も混じっていたようだが、それぐらいなものである。積み上がった研究資料の山を改めて見た私は、いかにメカチャック教授がこの研究について熱心だったかという事が分かった。
熱心、なぞと表現するのは生ぬるいか。こういうものを俗に狂気と呼ぶのだろう。
私は、どうしたらいいのか分からなくなった。
今夜体験した出来事の何もかもに得心がいかない。
得心がいかないから、考えがまとまらない。
考えがまとまらないから、どうしたらいいのか分からない。
私は何もかもを放り出して、研究室から逃げ出した。
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