第16話 飲んだ水の上流には何がある?
湯舟に浸かる。
お湯が溢れて湯舟の縁から滝のように流れていく。
熱く焚かれたお湯と、私の体温がジックリと溶け合っていく。良いお風呂だ。
金属の浴槽も、よく磨かれたおかげで鏡面になっている。
卒業試験で私が疲れているのだろうと察して、足が不自由なのにも拘わらず、母が丁寧に浴槽を拭き上げてくれたのがよく分かる……私の帰りが遅いから、授与式の結果が望ましくなかったであろう事も聡く見抜いて、嫌な事をサッパリ忘れられるように熱々のお湯を張ってくれたのだろう。
風呂場の外から、ソースたっぷりのハンバーグの香りがする。私の大好物だ。タマネギとニンニク、隠し味の牛乳とケチャップの匂い。舌がバカになるほど味を濃くした特性ハンバーグ。あれが堪らなく美味しい。
でも、ああ、悔しい。
お風呂が暖かいとか、夕飯が美味しいとか。そんなんじゃどうにもならない。どうにも救われない。
冒険に立ち向かえる力が欲しい。
それだけなのに、何で私はこんなに神様に嫌われているんだろう。
「くそっ」
視界が潤んでくる。水をぶちまけた水彩画のように全部が溶ける。
私はお湯の中にザブンと潜った。
そうして力一杯叫ぶ。悲鳴のような、怒りの声を。
泡がボコボコと生まれ、顔中を伝って浮かんでいく。
肺の中身を全部吐き出した後も、私はしばらくお湯の中でジッとしていた。すると、どうした事か。瞑った目蓋を透かして、外から強烈な青い光が飛び込んできた。
驚いて目蓋を開くと、私の胸からあの藍色の炎が燃え上がっていた。お湯の中であるにも関わらず、浴槽一杯に大きくなって燃えている。浴槽の鏡面に映る私の髪は、青い光に照らされて黒っぽく見えた。
突然、知らない誰かの声が聞こえてくる。
『もしも神がいるのなら、私に許しを請わなければならない』
地獄の淵から訴えかけるような恐ろしい声。
その声の主には覚えがあった。
だが、誰とまでは思い出せない。
私は怖くなって、思わずお湯から顔を出した。
「……何、今の……」
まるで血管に川の水が流れ込んだかのように、火照っている身体の芯だけがスーッと冷たくなった。ついにはその冷たい感じが頭まで達してくると、私はある一つの邪な企みを思い付いてしまった。それはまるで天啓のように。
――メカチャック教授の研究室になら、何か私でも使えるものがあるのではないか?
そうだ。教授なら強力な魔法陣の資料を山ほど保管している筈だ。詠唱は無理でも、描いて使う魔法陣であれば私にも使える可能性がある。卒業試験では失敗してしまったが、事前の練習では上手くいっていたのだから。
そうでなくとも、劇場に頻繁に出入りしているという教授の噂を聞くに、きっとあれの設計に関わっているのは間違いないのだから、何らかの研究物を保管してあるかもしれない。
ああ、それしかない。
私は風呂場から飛び出すと、ろくに水気も拭き取らずボロボロの制服にもう一度袖を通した。
チラリと視界に映った姿見の私は、まるで私ではない誰かのようだった。
玄関へ行ってドアノブに手を掛けた時、ハンバーグの美味しそうな匂いがした。
今は、もうどうでもいいか。
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