第15話 冒険の理由

 フロムオード診療所。


 私の家だ。


 それはカリステジアで最も人通りが盛んな往来にある一軒の診療所。方面から取り寄せた薬草も売っているから、近くを通れば独特な匂いがする。昔は傭兵ギルドの依頼も兼ねて現地調達へ行っていたらしいのだが、今となってはその術がない。ここに来る客といえば、当時から馴染みのある古株ばかりだ。


「ただいま」


 玄関扉を開けると、正面には簡素な診療設備があって、その両端に薬瓶や薬草を陳列した棚がある。日中も陰になって涼しい所だから、ああいう品の保存にはうってつけの環境なのだろう……それというのも、見上げれば高窓がある筈なのだが、頭上には、乾燥させて使うための薬草が何十種類も吊るされているからだ。初診の患者が、間違って花屋に入ったと勘違いして戸惑うのはよく見られる光景だった。


 奥の方から、ゴロゴロと木床を転がる車輪の音が近付いてくる。


「ベリタちゃん、おかえりなさい」


 車椅子に乗った白衣の女性が、帰宅した私を暖かい笑顔で迎える。


 アリス・フロムオード。


 私の母親だ。


 まだ四十路だというのに老婆のような白い髪をしている。私が物心付いた時にはまだ綺麗なブロンドの髪をしていた憶えがあるのだが、年々、まるで花が枯れていくように弱っていく。顔付きにしても、すっかりくたびれている。


 痩せ細って、骨張っている。


 母は冒険者をしていた時に頭部を深く傷付けてしまったせいで歩けなくなったらしい。昔は方面を旅する有名な回復魔法の使い手だったそうだが、引退した今ではこのような有様だ。


 その負傷の原因は「」と呼ばれた戦いにあった。


 およそ30年前、カリステジアと、敵国ハイゼンバグの間で勃発した抗争だ。カリステジアから魔王討伐の為に旅立った勇者が、あろう事か、敵側に寝返って反旗を翻した事が全ての元凶であったとされている。


 アイデクシェ・ハイゼンバグ。それが勇者の名前。


 彼はカリステジア王家から賜わった聖剣と力を使い、この国を侵略しようとした。それを返り討ちにしたのが、正にあのヒューマンズ・セッションである。勇者を超越したもの、という由縁はそこにあるのだ。


 その栄光の陰で負傷者の治療に尽力したのが、私の母アリス・フロムオード。


 寝食も忘れ、数百名の命を救うために奔走したのだとか。本来ならば、アンドリュー・メカチャック教授と同様、高位の魔法使いとして国に仕える事を認められる筈だった。だが、あの戦争の決着間際に、窮地に立たされたハイゼンバグが自滅覚悟で放った生体兵器というのが実に恐ろしい怪物だった。


 偶像精霊ケレス=マリアンナ。


 その正体について、どの文献にしても名前の他には何も情報が記録されていない。


 僅かにでも存在を証明付けるものがあったり、後世に記録が残ってしまうと、「この世は誰かの想像や欲望をテーマに創り出されている」という世界の原理上、無邪気な原初精霊が気紛れに復活させかねないからだ。


 少々脱線した。


 つまり何が言いたいかといえば、このケレス=マリアンナが放った攻撃の巻き添えを食らったせいで、母は今日の様子になってしまったというわけである。精霊の揺籃に行って、お気に入りのスプモーニも呑めない。外へ出る事も叶わない。


 理不尽というか。不条理だろう。


 授与式でメカチャック教授が言っていた、原初精霊の定義を思い出す。


『神とドラマツルギーに従属するもの』


 その後に、ドミニクが酒場で言っていた言葉が追いかけてくる。


『一個人にさえ意味がある。下手すりゃ、冷めて不味くなったコーヒーの一杯にだって存在価値がある』


 私は聞かねばならない。


 人の為に尽くした私の母が、何故このような仕打ちを受けるのか。


 それはどういう了見なのか。


 従って、この世界は何の為に生まれたのか。私は甚だ疑問に思う。


 それを聞かねば納得がいかない。


 だから、私は冒険に出て、どうしても原初精霊に問い質さなければならないのだ。


「どうしたの。ベリタちゃん。ボーッとして……」


 考えごとが煮詰まり過ぎて、要らぬ心配を母に掛けさせてしまった。


「ううん。何でもなーい。ママ、お風呂ってもう湧いてる?」


「いつでも入れるわよ。お夕飯の準備しておくから、よく暖まってきなさいね」


「ママ最高! 超愛してる!」


「……おバカさんね。変な言葉遣いしないの」


 キッチンに向かう母を見送りながら、私は脱衣所に向かった。


 制服は泥だらけで所々破けている。よくもまあ、ここまで容赦なく叩きのめしてくれたものだと教授が恨めしくなる。私はさっさとそれを脱ぎ捨てた。


 姿見の前に立つ。


 背高で可愛げのない女だなと自分でも思う。170センチはある。今時の男子にはこういうデカい女は受けが悪いそうで、一度も色目を遣われた事がない。小さくて可愛げのある、胸が豊満な女はいつの時代でも男にモテモテだ。ぶっちゃけ私ですら惹かれる。けれど、そういう女性像は私には合わない。そうなった自分を想像すると何だか寒気を感じるほどだ。


 とはいえ、私の体だって豊満の部類だろう。


 筋肉が発達しているとも言える。腕と脚が太い。チクショウ。


 だが、美容には気を遣っているから肌の白さには自信がある。


 髪の手入れだって、2週間おきに美容院に通っているのだ。この素敵なウェーブボブを維持するために。しかし、小遣いは大体それで吹き飛ぶのであるが……。


 髪と言えば、この赤髪。サクランボのような真ッ赤な髪色の事だが、実はコンプレックスだったりする。どうせなら当時の母みたいなブロンドの髪が良かった。ただし、私がそうやって愚痴をこぼすと母は決まって「私の大好きな色よ」と言ってくれた。母が好きと言ってくれるなら、それで良いと思うのだ。


 だが、こうして裸のまま姿見の前に立つと、いつも気付かされる事がある。


 私はきっと父親に似ているのだ。


 母を独りにしたクソ野郎に……。

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