第14話 フー・アム・アイ?

「大体さあ。ドミニクさんよう。騎士団勤めだったアンタが冒険なんてした事あんの?」


 ない。ドミニクはキッパリと答えた。


「だが、最高の冒険を見た」


 ドミニクはテーブルの中央をボンヤリと見つめながら言った。


「そんなに凄かったのかよ。アンタの時代はさ」


「何だ。メカチャック教授から何も聞いていないのか」


「それが不思議なんだよなあ。あんなクソデカなプライド持った教授が、そういう武勇伝を一度も自慢した事がないんだ。普通、のあーだこーだとか持ち上げられたら自慢したくなるよな。アタシなら自慢する。絶対そうしちゃう」


「ハハ。自慢か。そうか……」


 含みのある言い方だ。


 ドミニクはまたボーッとしたまま虚空に目を向けると、おもむろにポケットから万年筆を取り出す。それから、テーブルに置かれた紙のお手拭きにペン先を押し付けて、ゴリゴリと不規則な線を書き始めた。


 これは彼の悪癖だ。私は子供の頃からそれを見ていたから知っている。


 白い無地のものを見ると、無意識に塗り潰そうとする。とでも言うべきか。酷い時には私の持参していたハンカチまで塗り潰された事があって、昔話をする時には決まってこの悪癖が顕れる。


「……まだ伝説じゃない」


 ポツリと呟かれる。どういう意味だろうか。


 彼は自分の言葉を遮るように続けた。


「バンビーナ。冒険に出たいと願う君の根底には、原初精霊に会って世界の起源を知りたいという目的があるんだったね?」


「何だよ、藪から棒に。やめろよな。言葉にされると恥ずかしいから」


 彼は何気なく続けた。


「私は原初精霊に自分の起源を聞いた事がある」


 世間話を始めるような調子だった。だから、何を聞いたのか頭の中で整理する必要があった。ドミニクの言った言葉を脳内で何度も反芻している内に、私の胸の奥から、凄まじい感情の波に押し寄せられて色々な言葉が喉奥を這い上がってきた。


 その濁流の中から、私は慎重に言葉を汲み上げた。


「……それで?」


 それが精一杯だった。


 ドミニクは水煙管のチップを咥えながら、チューブを指で弄っていた。


「君の頭がパンクしないように、飽くまで聞き流しておいてほしい事なんだが……。こことは別の世界の話だ。ある母親の胎にいた双子の一人が、もう片方の臍の緒に絡まって死んでしまったそうで。だから、その女が切に願ったんだろうね。もしも無事に双子が生まれてきていたらと。おかげさまで、その祈りをテーマに創られたから、私は生まれながらに喘息持ちの病弱体質なんだとさ」


 なおも彼はブクブクと水煙管を吸い込んで、また濃い煙を吐き出した。


 高尚な理由はない。そう言い彼は続けた。


「君は世界そのものに起源、意味を求めているようだが、この世の神様ってのはそこまで好い加減な奴じゃあないぞ。一個人にさえ意味がある。下手すりゃ、冷めて不味くなったコーヒーの一杯にだって存在意義がある」


 その後に深い沈黙があった。


 ドミニクは私が何か言葉を返すのを待っていたのだと思う。だがしかし、何と言えばいいのか、先ほどまで喉笛を突き破りかねないほど渋滞していた言葉の群れが一斉に鎮まり返ってしまっている。


 ドミニクが溜息を吐く。


 重たい煙の中からヌーッと細い手が出てきて、手元のスプモーニを手繰り寄せたかと思うと、その中にウィスキーを注いでしまった。カンパリとウィスキーを使うカクテルに、オールド・パルというものがあった事を思い出した。


 ドミニクはそれをグイッと一息に飲み干したようだった。


「しかし、まあ……ハハ、最悪の魔法を貰ったな」


「ンな事は分かってるよ」


「でも、きっと意味がある。冒険に出ればいずれ分かるさ」


 ドミニクが私を励まそうとしている。この時、私は初めてそれに気が付いた。


 それが分かって、惨めになった。


「絶対に無理だよ。こんなクソみたいな魔法じゃ何もできない……」


 悔しい。悔しいな。


 それしか言葉が思い浮かばない。


 その時、ドミニクが凄まじく大きな声を出した。


「何を腑抜けたこと抜かしてんだ。タマ付いてんだろ?」


……思わず私は固まってしまった。


 周りの人間も驚いてこちらを見ているようだった。


「アッ……えっ……玉は付いてないッスけど……」


「ハハハ。いや、すまない。君の親ならそう言うと思ってね」


 ドミニクが快活に笑う。


「アタシのお母さんはそんな汚い言葉使わないッ」


 ムッとした私は、彼の手から水煙管のチップを奪い取ると勢いよくそれを吸い込んだ。


 それがまた甘いこと。角砂糖十個分じゃ足らないほど甘い。強烈なバニラの香りと、仄かにチェリーの風味がする。私は爆発するみたいに噎せ返った。


 この様子を見て、更にドミニクが笑う。


「君に煙草は似合わないな」


「うるせえよ」


 ひとしきり笑った彼は、この手から優しくチップを取った。


「これは親友の受け売りなんだがね。悩ましい決断をする時は、こう思う事にしているそうだ」


 三秒前の自分に従う。彼はそう言った。


「そうすれば、たとえ荒れた川の中にも飛び込めるんだとさ」


「いや、でもそれって結局後悔する事になるじゃん」


「そうだとも」


 ドミニクは諭すように、なおかつ凛とした気配をして続けた。


「真に正しいと思うなら、後の苦痛はどうでも良い事だ……自分を信仰しろ。こうすべきだと考えた過去の自分に殉ずる。それ自体はとても簡単な事だ……だが、自分の信念に揺らぎがあれば、あらゆる後悔が牙を剥く。死ぬほど苦しい思いをする羽目になる。覚悟とはそういうものだ」


 私は少しばかり気圧されてしまった。


 小さい頃から叔父のように可愛がってくれたドミニクの表情が、一人の偉大な男の顔に変わって見えた。一瞬だけ、過去にタイムスリップしたように感じた。当然だ。


 肩書きこそ目を背けたくなる字面満載だが、紛れもなく、彼もまた伝説の生き証人なのだから。


「でもさ。やっぱり自信が無くなっちまったんだよ。不思議だよな。前までは、いくらバカにされたって立ち向かえる根性があったけど、今は本当にダメだ。頼みの綱が切れた。もう昨日までのアタシが、本当に自分だったのかすら疑わしいよ……もー分かんない。アタシってヤツが分かんないよ……」


 私は自棄になってテーブルに突っ伏した。


「おいおい。冒険者になるんだろ。そんなふうに腐るなよ」


「他と一緒にするなよな。どうせドミニクにはアタシの気持ちなんて分かんないんだ」


「ハハ。アタシの気持ちときたか。そのアタシってのは、何処のどいつなんだ?」


「揚げ足取んじゃねえよー……クソッタレがよー……」


 思わず頭を抱えた。胸の内をおっぴろげにしてしまって、まるで丸裸になった気分だ。恥ずかしいやら情けないやら、もういっそ酒に溺れて全部忘れてしまおうか。


 そうしていると、ドミニクの方から紐を千切るような音が聞こえた。


「ほら。証明魔法の代わりになるかは知らないが、これを持っていくと良い」


 腕の隙間からヒョッコリと顔を覗かせてみると、突き出された彼の手に十字架のペンダントがあった。傷だらけで鈍く輝いている。


「これ何なの」


「マカブルの十字架といってな。昔、私の親友が使っていた武器なんだ」


 その瞬間、硬貨一枚ほどの小さな十字架が、一メートルほどの剣の形に変わった。それから次は手斧の形になって、更に旋棍トンファーの形にまで変わると、元の小さな十字架に戻った。


「見ての通り。伸縮自在、変幻自在の武器なんだ。別に特殊な能力があるわけでもないがね。大きくなったり、小さくなったりするだけだ。自分が誰だか分からなくなった今の君には、丁度いいだろう?」

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