第11話 満天の星、今際の銃声
これだけの水が壇上で流れ放題でいるのに何も音がしない。あまりに静かだ。聞こえるのは私の混乱した頭の声と、ステラが唱える魔法の言葉だけ。
「ベリタちゃん。貴方、原初精霊を探しているのね」
ステラは妙な笑顔でそう聞いてきた。
どうして知ってるんだよ。
私はそう言ったつもりだったが、それが空気を震わせて声になる事はなかった。
「取引しましょ。私のお願いを聞いてくれたら原初精霊と話すチャンスをあげる。前払いで、それに見合った素敵な魔法もプレゼントしちゃう」
願ってもない。今日はなんて幸運な日なのだろう。これが俗にいう一石二鳥だ。
私は身振り手振りでなんとか引き受ける旨を伝えようとした。だが、そうしているうちに、ステラの提案があまりにも都合が良すぎる事に気が付いて、段々と疑念が湧いてきた。
本当に大丈夫なのだろうか。精霊といえど簡単に信用していいものだろうか。
「……怪しいって思うわよね。なら、信用料として明日の昼間に少しだけ原初精霊を見せてあげる。見せるだけよ。言葉は交わせないし、意志疎通も取れない。本当に見せるだけ。あれを見てからでも遅くはないから……」
不安が残る。
だが、夢にまで見た原初精霊と会えるかもしれない。不明瞭で非現実的な私の夢に、そういう一縷の光が差している。こんな機会はまたとない。だから、多少の危険があっても飛び込むべきだ。
そうしてなんとか自分を納得させた私は、覚悟を決めてステラにきちんと向き直った。
彼女はこちらに微笑みかけた。
「じゃあ、ちょっと怖い思いをしてもらうわね」
不意に投げかけられた言葉の意味が分からず、私は茫然とした。
インクで黒く濡れた指先がおもむろに上がっていく。やがてそれが目鼻の先まで至ると、その手の親指がピンと立ち上がって銃の形のサインを作った。
――と思った直後、それは本物の銃に変わっていた。
仕組みのどこにも魔法が使われていない、鉄と火薬の原始的な回転式拳銃。その銃口が私を向いている。
撃鉄の上がる音。
何が起きたのか理解が出来なかった。ただ劇場も客席も、教授も生徒も精霊すらもいつの間にか姿を消してしまって、私は自分でも知らない所に立たされていた。
青白い月明りが差す、清らかな夜。
私は石畳の小さな広場にいる。
左方の低い鉄柵から、格式ばった独特な様式の家々が立ち並ぶ街が一望でき、そこいらにテーブルと椅子が設置されているから、もしくはレストランのテラスだったのかとも思われる。右方に一階建ての質素な建物がある。その磨り硝子の向こうには暖かい明りが見えていて、沢山の人の談笑が微かに聞こえる。
私はここで何をしているのだろう。
そんな事が頭によぎると、正面から男性の声が聞こえた。
酒と煙草で喉が焼けているが、よく響くバリトンの声。
『声も姿も名前すらも忘れてしまった。だが、君への想いだけを覚えている』
欠けた月を背負った男。銃を向ける右手が震えている。
『本当にすまない。君が生きていて嬉しいのに、僕は君を殺さずにはいられない』
銃声がして、満天の星が視界一杯に映った。
あの昏い空の色には見覚えがあった。
……。
…………。
ハタと我に返ると、私は壇上で尻餅を突いていた。
私は蒼白になった顔面を撫で回してみたが、どこにも異常はないようだった。
呆気に取られている私に、ステラが屈んで囁きかけてくる。
「……ある男が、銃で女を撃ち殺すところを観たわよね。その結末を変えてほしいの。それが私のお願い」
ステラが念を入れるようにこちらの顔をジッと見つめる。
微かに唇を寄せて、私の頬に柔らかな感触を残した。
一つ忠告してあげる、と去り際に彼女はこう言い残した。
「夢もドラマも、雨で荒れた川と同じ。渡り始めたら歯向かってくる。足を取られて命を浚われたり、見えない淵に呑まれるかも。だけど、貴方にそんな事を言っても無駄かもね。川の真ん中で産み落とされたようなものだから」
ステラの姿からスーッと色味が薄れていく。やがて透き通った水の精霊像になると、もう彼女の意識はここにはないようであった。
壇上に溢れ返っていた水が引いていく。劇場に滴る雨粒が緩やかになってきて、段々とオルガンの音が息を吹き返してくる。それと同時に、客席のざわめきと、教授のくたびれたような声が聞こえてきた。
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