第10話 雨の精霊
「あらま。久しぶりに再会したと思ったら。30年も経ってない筈なのに、魂が数千年以上も老けてる。でも、見た目は変わってないのね。そんなに
教授は彼女には目もくれず、淡々と説明を続けた。
「諸君らには見えているかね。彼女は精霊の中でも雨を司るものだ。大方、その目には彼女が何処からともなく瞬間的に現れたように見えたはず。その認識で構わない。
精霊というものを表現するなら、『肉体をもつ現象』といったところである。
彼らの定義はこうだ。魂はあるが死なず生きてもおらず、意志を持つもの。かつ、原初精霊のように万物を創造しうる程度の権能は持たず、限られた権能の中で、神とドラマツルギーに従属するもの」
「ねえ、シカトしないでよ。ローガンとマーガレットはどこなの?」
「説明はここまでだ。証明魔法の授与を始める。まずは番号順に……」
「何だよもう。そんな態度じゃ私にも考えがありますからね」
雨の精霊が、壇上から生徒たちを見渡している。
そんな時、予想外の事態が起きた。私の胸ぐらに藍色の火が灯ったのだ。魔法を使ってすらいないのに、あの忌まわしい暴発の兆しが起きている。
精霊の目がこちらへ向いた。
突然、何やら喜びに満ちた笑顔を浮かべたかと思うと、彼女は壇上から一息に飛び降り、座席の間にある通路を走って私のすぐ目の前までやってきた。
「アカシ! アカシ! 生きてたのね!」
精霊は私の左手を取って大切そうに包み込むと、この目を真っすぐに見つめた。
「いや、あの。アタシの名前はベリタなんです……けど……」
「ねえ聞いて、アカシ。あの子はちゃんと生きてるの。『ヒューマンズ・セッション』の皆も待ってるのよ! だから貴方がそんなふうになる必要は……」
「だからアタシは――ッ」
私達の声を遮る凄まじい怒声が聞こえた。
「そこまでだッ!」
その声の主はメカチャック教授だった。遠目に見た彼の顔は、病人のように青褪めていた。しばらく刺すような緊張の沈黙があって、それから教授はハタと我に返ったらしく、気まずそうに咳ばらいをした。
「ステラ。彼女の左腕をよく見たまえ」
恐らく、ステラとはこの精霊の名前なのだろう。
ステラが私の左腕へ視線を落とすと、やがてその表情にゆっくりと落胆の色が差し始める。そして彼女は何かを言い掛けるような、躓くような言葉の調子で私に謝った。
「……人の……貴方、そうだったのね。驚かせてしまってごめんなさい……」
「いや、全然気にしてないッス。その人はアタシに似てるんスね」
「うーん?」
ステラが、戸惑う私の顔を両手で包み込んでジーッと目の奥を覗き込んだ。
「あのあの。マジで近いんで離れてもらえると……」
肌荒れ一つない瑞々しい肌だ。こうして近くで見ると、恐ろしく可愛い顔立ちをしている。思わず委縮してしまうほどである。これが俗にいう「吸い付きたくなるような美女」なのだなと思って、自分の顔が赤らむのを感じた。
ステラが密かに耳打ちする。
「貴方のお胸から出てるその藍色の炎。それが何なのか、もうアンドリューに教えてもらった?」
「何って。アタシが魔法をしくじると出てくるやつじゃ……?」
「ああ、そう。そういうふうに教えてもらったの。アンドリューがそんなに貴方を大切にしてるなんて驚き。でも、今の答えで全部分かったわ。そんなに彼が貴方に執着する理由もね」
それからステラは壇上にいる教授に向かって言った。
「この子から始めましょうか」
そうして彼女が私の手を引っ張って席から立たせたかと思うと、次の瞬間、私たちは壇上にいた。視界の端には、黙ったままステラを睨みつける教授がいる。一番されたくない事をされたというような苦々しい顔をしていた。
「やっぱりね。タネが眠ってる」
教授を向いてそう言ったステラの笑顔に少々薄気味悪さを感じつつ、彼らの話す言葉の真意が分からない私は、混乱して忙しなく目を泳がせていた。戸惑う私の様子を見たステラは、また嬉しそうに笑った。
「何が起こってるのか理解できない時、目をキョロキョロさせるのは癖なの?」
「えっ、分かんないですけど」
「そう……せっかくの才能が、悪い癖に留まってるのね。勿体ない」
嘆きながらも、ステラの表情は優しげだった。
いいわ、と彼女は続ける。
いつの間にか、その手には1つの小さな瓶が握られていた。青色と金色のラベルが貼られたインク壺。彼女はそれの蓋を回して開けると、中身に人差指を浸した。
「死ぬに死ねず、生きようにも生きられず――」
魔法の詠唱。
恐らくはそう。或いは単に独り言だったのかもしれないが、いずれにせよステラが唱えた言葉は、凡そ魔法などとは程遠い、全身の肌が粟立つような含みを秘めていた。
「――想い人を探し求める亡霊の、末路を別ち語る者。やがて歓喜の和に至る者。今、雨の精霊がその因果の名を呼び起こそう」
私の胸元でまだ小さく燃えている青黒い炎に、インクで濡らした指が向けられる。
どんどん近付いてきて、今にも触れそうな所までやってくる。
思わず後退ると、足元で水溜まりを踏む感触がした。それから、靴の中に水が浸み込む感じ。
奇妙に思い、足元に目線を注ぐと、いつの間にか辺りは浅い川のように水で一杯になっていた。壇上から座席のほうの床へ水が流れて行く様子はまるで滝のようである。一体どこからこれほどの水が現れたのか、私は足元を流れる川を目でさかのぼり、その源を確かめた。
巨大な鍾乳洞を思わせるパイプ群。
その先端から雫が落ちている。他にも石膏像や、天井の模様の凹凸を伝わって落ちている。
それは突然降り荒ぶ雨のようであった。
だが、それには音がなかった。
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