第9話 彼女は讃美歌を好まない

 卒業試験合格についての賛辞を述べたり、これから生徒たちが向かう進路について格式ばった挨拶があった。随分と勿体付けた言い回しをするから、興奮した生徒たちは静かに目をギラギラさせていた。勿論、私もその一人だったが。


 その締め括りに、証明魔法についての説明があった。


「――さて、講義では既に散々教えた内容ではあるが、改めてこの証明魔法について説明をさせてもらう。これは通常の魔法とは全く異なった原理をもつ魔法だ。そもそも魔法を構成する式がない。したがって、天才である吾輩をもってしても、諸君がこれから得る魔法を模倣する事はできないのだ。


 簡潔に述べると、これは『高位の精霊が、諸君の生涯にまつわる劇的体験ドラマや因果をもとに、1つの生命に題名タイトルを与え、作品として昇華するオリジナルの魔法』だ。


 1個の生命に1つだけ。


 言うなれば、これまでの生涯の道のり全てが、1つの魔法の式となる。


 君という人間をあらしめる。君という1個の生命をする。


 だからこそ、この魔法は〈証明魔法〉と呼ばれている」


 壇上に立つ教授が、9本の指で魔法陣を描く。


 その魔法陣は明らかな異彩を放っていた。あの闘技場で見た〈鉄の巨人〉の魔法陣とよく似ている。本のページを切り取ったような、人間には理解ができない文章。


 それと同時に、壇上のパイプオルガンが独りでに音を奏で始めた。


 讃美歌のような曲調だ。神聖な感じの中に、童話めいた不思議な雰囲気がある。


 時折、讃美歌らしい和音が崩れて音が転ぶ。


 会場中に音が響き渡ると、やけに空気が湿り気を帯びてきた。やがてオルガンの巨大なパイプ群から、ポタポタと雨が降るように水の雫が落ちてくる。


 リズムに合わせて雫が落ちる。


 魔法を使う教授は、まるで本物の指揮者のようだった。


 彼は腕を動かしながら説明を続ける。


「本来の証明魔法とは、精霊と出会うか、このカリステジアの隣国の精霊像へ赴かねば得られないものだ。かくいう吾輩も過去に運よく精霊と縁を結べたので、このように便利な指を手に入れた。だが、毎年毎年、卒業生のために修学旅行を用意していてはキリがない。……そこで、吾輩が一時的に精霊の偶像を呼び出すことで諸君にその機会を与えてやる」


 その言葉の意味を瞬時に理解できた人は、この場にいなかった。


 当然だ。現代の常識において魔法とは、どこまでも自然現象に依存した代物なのだから。


 燃やしたり水を流したり、土を隆起させ、時に風を吹かす。そうして簡単に分類され、単純化され、ややこしい説明がいらぬものだ。例えば、演奏された曲を聴いてみて、これは讃美歌だな、あれはジャズだなと聴き分けられるように。


 精霊の偶像を呼び出す?


 もはや魔法の範疇を超えている。


 少女が穴に落ちて別の世界に迷い込む物語のように。魔女に眠らされたお姫様が真実の愛で目を覚ます物語のように。どこまでも童話めいている。


 教授がしている事は尋常ではない……のみならず、生徒がこうして驚愕している理由は他にもあった。


 音楽と魔法。これについて私は断じて無視できない心当たりがある。


「これじゃ、まるで原初精霊……」


 劇場全体が、メカチャック教授の振る舞いに目を釘付けにされていた。


 ふと、脱いだまま膝に掛けておいた制服の裾が揺れている事に気が付いた。風だろうか。いや、密閉されているから風はない。だが揺れている。そうかと思えば、途端に横殴りの突風が吹いた気がした。しかし、やはり風が吹いているのではない。


 内臓も、心臓も、小刻みに揺れている。


 これはパイプオルガンの音圧なのではないかと、遅れて気が付いた。


 横にある巨大なパイプが空気を震わせている。けれども、音が聞こえない。


 それでも音圧を感じる。


 人間の耳では到底聴き取る事もできない音色が、会場を一杯に満たしている。


 私は確信した。これは観客に聞かせるための音楽じゃない。原初精霊が歌声に乗せてそうするように、教授もまた音色にのせて魔法を詠唱しているのだ。


――突然、この広大な劇場の中でもハッキリと聞こえる女の声がした。


「ハイエルフのアンドリュー・メカチャック。悪いけど、この選曲は好みじゃないの」


 途端に演奏の音が鳴り止んだ。雫の落ちる音ばかりが際立って聞こえる。


 制服の裾はまだ揺れていた。


「ほら、良くなった」


 不思議な光景を見た。瞬く間に壇場に女が現れたのだ。まるで、散歩する人間を撮影した日常写真から、その姿だけを切り取って貼り付けたかのように。 


 女は菜の花色のポンチョを着ていて、秋の雨雲みたような色の髪と瞳をしていた。


 荘厳な雰囲気の劇場にはそぐわない、私と大して変わらない年頃に見えるパステルカラーの女。


 この時、誰もが「この女こそ紛れもない精霊である」と謎めいた確信を持っていた。そんな明言がなくとも、そうと信じさせる不思議な力が彼女にはあったからだ。


 彼女は教授の隣まで来ると、興味深そうに彼の顔を見つめた。

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