第7話 爆発と未知と不良娘の明日は
蹴りを防ごうとした教授の傘が折れ曲がる。
成功した、と喜ぼうとした……その束の間の出来事だった。
ブーツの靴底から藍色の炎が溢れ出る。
虚空に伸びた雷の枝へ、まるで水に落とした絵の具のように藍色がサッと滲んで広がっていく。靴底に刻んだ雷魔法の魔法陣が、ジリジリと不吉な音を立てて燃えていくのが感じられる。導かれ損なった魔力が暴発する兆し。
浅知恵を使って筋肉にも魔法の電撃を通したのが良くなかった。右脚の内側から尋常ではない勢いで膨れ上がる熱。足全体がキツく張り詰める感触。
私の脳裡に、最悪の想像が過った。
「――やばッ……」
暗くなる。
朝と夜の境界で空を染める薄明けの藍色が、風に揺らぐヴェールのように広がる。
その幻想的な光景に目を奪われた瞬間、視界にチカチカと白い星が浮かび上がった。
これが、暴発の衝撃による軽い脳震盪が生み出した幻だと気付けたのは、この体が弾き飛ばされ、数回の後転を繰り返した後だった。喩えようのない衝撃だ。奇妙な事に、痛みも感じない。
闘技場の内壁にぶつかった私は、そこで初めて体感を取り戻したようだった。投げ出した四体と背筋を打つ鈍い痛み。背中全体にジーンと伝う痺れと、肺の中身をいっぺんに吐き出す息苦しさ。
という事はつまり、興奮で痛覚が麻痺しているわけではなかった。幸いにも目立つ傷などはなかったが、それにしても奇妙である。あれほど激しい魔力の暴発に巻き込まれていながら、体のどこにも、火傷一つですら見当たらないのはおかしい……いや、そんな事よりも今は……。
「教授!」
途端に教授の安否が心配になってきた。とても不安だ。
あんな制御不能の致命的な大爆発のせいで、うっかり怪我を負わせてはいないか。
しかし、教授のいた方に目をやると、それが大変な杞憂だった事を思い知らされた。
――闘技場の中央に、巨人がいる。
身の丈五メートルはあるだろう。金属の全身甲冑を身に纏った巨人が、教授に覆いかぶさるようにして跪いている。あの大きな暴発を間近で受けてなお、それは悠然とそこにいた。
「――〈
シンと静まり返った会場の中で、教授の声がハッキリと聞こえる。
それは教科書にも過去の文献にさえも載っていない未知の魔法だった。土の魔法か、水の魔法か、雷、あるいは火か。そもそも、そういった域の範疇にある魔法なのか。
教授が〈鉄の巨人〉と魔法の名を呟いた後の事。彼がその指で宙に描いたであろう魔法陣が消える寸前、その形を土煙の隙間から目に捉えた。それは彼の
異形の魔法陣だ。
この5年間、講義の傍ら、ページが膨らんでしまうほど図書室の蔵書を読み漁っていたが、それでも全く見覚えがない。ただ一つ分かるのは、あれは陣というよりも文書のようであった。
教授にかしずく鉄の巨人。綻びすらない美しい姿を見て、私は静かに観念した。
あれには勝てない、と。
教授がササッと手を振ると、たちまち巨人の姿は崩れてただの砂に変わった。
その後、彼が厳しい目つきでこちらへ歩いてくる。
その鬼気迫る表情を見て、私はどうも弱気になってきた。
「あっ、いやその。今のはちょっとした手違いっていうか……」
焦る、焦る。
この大事な卒業試験でまさか候補生がロクに魔力も制御できないという大失態を晒したとなれば、もうこれは拳骨では済まない。情けなくとも私は必死に言い訳をして、全身全霊で保身へ走った。
「なんかこう必殺技的なやつ考えたんスけど。結果、ギャグになっちゃったみたいな……ハ、ハハ……」
迫る、迫る。地の底の獄卒みたいに冷めた顔の教授。
あ、終わりです。何も聞いてもらえない。
「クソッッッ! 煮るなり焼くなり好きにしやがれ! これが
悔し涙が滲んでくる。私は覚悟を決めてギュッと目を瞑った。
…………。
………………。
「怪我はないか?」
「はい?」
「怪我はないか、と聞いている」
「は、はい」
「そうか」
とんだ肩透かしを食らった。
泥だらけになった私をそっちのけで、教授は何やら考え込んでいるようだった。
「……直撃したのに怪我はない。衝撃は受けている。だが、内臓も無事……斥力、青黒い……」
「何ですか、先生。ちょっと怖いんですケド」
ブツブツと独り言を呟いている彼は、完全に私の存在を忘れてしまっていた。
「ねえってば。先生!」
私が強く呼びかけると教授は吾に返ったらしい。
「ああ、失礼。君の合否判定がまだだったな」
「それで、どうなんスか。やっぱり不合格?……え、何その顔」
教授の表情がとても苦々しくなった。下唇と上唇が思い思いの方向に歪んで、目元にキツい皺を作っている。美しい種族の代表格みたいに世間に伝わるハイエルフが間違ってもしていい顔じゃない。
その後で教授は絞り出すように言った。
「まあ、並みの生徒よりは健闘したな」
「ほお」
「苦手を克服するために工夫した点も評価できる。失敗はしたが」
「うッせえな」
「想定外の事とはいえ、吾輩に5本以上の指を使わせたわけだから……」
「あと一押しッ!」
教授が大きな溜息を吐く。
それから呆れたように鼻を鳴らした。
「ベリタ・フロムオード。君を合格とする」
「よっしゃあああああああああああ!!!」
達成感のあまり思わず私が声を上げると、観客席からも似たような声が湧いた。
カリステジア魔法学校、卒業試験。私は本日初の合格者となった。
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