第27話 ハンナ=ベルウッド
「……ふーん、それであの虫に喰われるところだったのかい」
「はい、その節は助けて頂き、本当に本当にありがとうございます」
「ふん、私は害虫を一匹始末しただけさね。アンタにそんな感謝される謂れはないよ」
あのあと、私はこの老婆、ハンナ婆さんのお宅へとお邪魔させてもらっている。
あの真っ白い謎空間は神域という神の住まう世界への玄関口らしい。
あそこから神達は各々自分の領域と管理する世界とを行き来している。
簡単に言うとマンションのエントランスホールみたいなものだ。
「それより! アンタもあんな虫一匹ごときにピーピー泣くんじゃないよ! まったく、誰の身体をくれてやったと思っているんだい!」
「はい、それは、はい、すみません……」
☆★☆★☆★
ハンナがいつもの仕事から帰ってくると、だだっ広いエントランスホールで何やら騒ぎが起きていることに気がついた。
このエントランスホールでは、よく色んな世界の現地人が攫われてきたり、または迷い込んだりしたりが多い。
今回もたぶんそれだろうと思いスルーするつもりだった。
ここを利用している他の住人の何人かは騒ぎに気付いているはずなのに、特に騒ぎに干渉しようとせずだんまりを決めこんでいる。
本来なら、神域であるここで騒ぎを起こせば警備の天使の一人や二人、直ぐに出てくるはず。
それが居ないということは、ここの住人である性悪女神や馬鹿な邪神といった少しやんちゃなクソガキどもが、また何かくだらないことをしているのだろう。
そんなものに自分が関わると面倒臭いことになるのは目に見えているので、ハンナはやはりスルーすることに決めた。
横をそろりと気づかれないように通り過ぎようとして、ふわっとなんだか懐かしい匂いを感じ取ると同時に、これまた妙に懐かしい胸騒ぎを覚えた。
「この匂いは……」
騒ぎの、胸騒ぎの元凶であろうものを横目でチラッと見やる。
そこで、ハンナは初めて骨を認識した。
「あの骨、スケルトンかい? ……何でこんな所にいるんだい……いや、待て、どこかで……見たような」
ハンナはじっと骨を注視する。
どこからどう見てもどこにでもいる弱っちいスケルトンにしか見えない。
スケルトンにしては自我がしっかり確立していて少し違和感があるが、稀にあるユニークと言われる亜種だろう。
自我があろうが雑魚なスケルトンには変わりはない。
大体魔力の制御はお粗末過ぎるし、何をやるにしてもちぐはぐさが目立つ。
確かに、内包魔力には目を見張る物があるし、魔法の発想は面白くどこか懐かしさを感じるが。
「……懐かしい?」
ハンナが骨を見ていると、しばらく感じたことのない感情が湧き上がる。
骨を認識しした途端、見れば見るほど心の底から湧き上がってくるこの感情は、とっくの昔に枯れ果てたものだとばかり。
遠い遠い過去の事だが1日たりとも忘れたことがない。
あの骨は、ハンナの愛する……。
そこからは早かった。
ハンナの愛した男の骨が、確かに自らの手で埋葬したはずの骨が、どこの馬の骨かわからぬ奴に墓を暴かれ死して尚利用されていることに、ハンナの心に湧き上がっていた感情が怒りに転じる。
ハンナはまず骨を今にも喰らおうとしている薄汚い虫を魔法で念入りに潰した。
虫のくせに神気を纏っていて少し生命力を見誤ったが、ゴキブリなんてこんなもんだったなと更に念入りにすり潰して。
その次に骨だ。
ハンナは最近、ここ200年くらいは使っていなかった鑑定魔法を、呆けた顔して突っ立っている骨に対して行使する。
ハンナはこの魔法が特に嫌いで、ハンナの長い人生で片手で足りるほどしか使うこともなかったが、今回は考える余地もなく直ぐに骨に使用した。
この魔法は使用した対象の個人情報を全て開示する。
プライバシーなんてものは無いに等しく、やろうと思えばその日に出した大便の形状まで分かるという、なんとも恐ろしく品の無い誰でも使える魔法なのだ。
その品の無さから今ではどこの世界でも暗黙のルールで使用が禁止されており、それを破ればどこからともなく察知した世界鑑定被害者の会が怒鳴り込んでくる。
ちなみにそこの初代会長はハンナであり、会を立ち上げたのもハンナである。
さて、まずは殺してしまう前にどうしてこんな事になったいるか骨の情報を得ようとしたハンナだが、情報を得ようとアクセスしたところで直ぐにシステムから切断されてしまっていた。
辛うじて読み取れたのは、この骨の今の主は異世界に転移してきたばかりの何も知らない日本人だということ。
虫が、特にゴキブリが大嫌いなこと。
この2つだけである。
つまり、何も有益な情報は得られなかったわけである。
これにはハンナも怒りが若干収まった。
何故ならその昔、ハンナもまた骨と同じようにある日突然異世界に転移してきた何も知らない日本人たったからだ。
自分と同じ境遇の骨に僅かなから同情し、まずはこいつの話を聞いてみるか、となるくらいには冷静になっていた。
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