第25話 G
《ふ、ふへ、ふへへ》
女は何事もなかったかのようにふわっと軽やかに立ち上がり、背中でぶらぶらしている顔をこちらへ向けてニチャァと粘性の高い気持ちの悪い顔で笑いかけてくる。
長い髪の毛が足元でうねうねと揺れていて、顔というか身体全体がべっちょりと自分の体液で汚れている。
おまけに顔は、目は白目を剥き舌はだらりと口の外に飛び出している。
「え……うわ、きもちわる」
え……うわ、きもちわる。
口でも心でも同じ事を呟いてしまうほどにビジュアルがしんどい。
ゾンビ映画でこんなん見たことあるような気がする。
この気持ちの悪い女の体液が顔中に満遍なく擦り付けられているのを思い出して、ただでさえ気持ちが悪いのにさらに気持ちが悪くなってもう全部気持ちが悪い。
さっきのゴキアフロと同等か、それ以上の生理的な嫌悪感がカサカサと骨の身体をひた走る。
そういうのが好きな奴にはご褒美だろうが、生憎と私にはそんな趣味はない。
この女、首の骨をわざとじゃないけどたまたま確実に殺すつもりで折ってやったはずなのに、当然のように死んでいないのは、やはりというかですよね~というか。
普通の生き物ならこれで死んでるはずだがここは異世界、多分に漏れずこいつも普通の生き物じゃないので普通に生きている。
こいつも私のように異世界仕様のおかしな身体になっているのか、首が折れたところでどうってことはなさそうでとても残念だ。
《ふ、へ、こんにちはぁ、ふへ、》
ちなみに私にはこいつと会話する気がないので普通に返事はスルー……スルーしたいのだが。
さっきから見てるとこいつの話し声は口で発しているのではなく、心に直接語りかけてきているようでスルーしようとしても強制的に魂に響くので質が悪い。
おまけに、当然のようにこちらの思考を読んでくるので、会話したくなくても会話しているようになってしまう。
《ふへ、無視されちゃったぁ。悲しいなぁ、ふへへ、かわいいなぁ、ふへ、たべちゃいたいなぁ》
あぁ絡みたくない、嫌な予感がする。
普通の、お願いだから普通の人は居ないのか異世界よ。
なんでこんな頭おかしい奴ばかりいるのよ。
《ふへへ、私は普通ですよぉ? 普通の、ただの、そう、至って普通の女神、なんですよぉ、》
……こんな気持ちの悪い女神がいてたまるか。
さっきは冗談で女神と言ったが、私の言う女神はもっとモブっぽい女神だ。
物語の冒頭の転生する際にチョロっと出てきて以降は出番無しのモブ女神を所望したのに、B級ゾンビ映画のゾンビみたいなビジュアルの女神はお呼びでない。
《ふへ、せっかく、貴方の好きそうな外見にしたのになぁ、つれないですねぇ、えへ、ふへ》
なんで私の好み(金髪碧眼)を知っているか謎だが、残念ながら私の好みの外見と言われても中身が伴わないものは却下である。
人の寝込みを全裸で襲い自分の事を女神とか名乗るような頭のイカれた奴なんて控えめに言っても無理寄りの無理である。
《会話……ふへへ……してくれないならぁ、外見を貴方が嫌いなモノにしちゃいますよぉ? いいんですかぁ? ふへ》
会話が出来ないのは私のせいではない。
現在進行系でお前のせいだと言いたい。
それに私が嫌いな者とは、一体誰のことを言っているのか。
ゴブ子……は別に嫌いとかではなくどうでもいいし、前世で嫌いだった奴とかだろうか。
そもそも今は人の顔を思い出せない異世界仕様な骨なわけで、なったところで嫌いと認識できるかどうか。
《いいんですかぁ? いいんですねぇ? 私は、一言も、人になる、とは言っていないんですけどねぇ、いいんですねぇ、ふへへ》
女がそう言うと、まず長い金髪が黒くなり身体全体を覆うくらいの毛量となった。
油でテカテカと黒光りしてるような、少し茶色く透けているような、見ていると焦燥感のようなものが込み上げてくる不穏な色だ。
それに何かを感じ取った私は、堪らず一歩二歩と後ずさる。
《ふ、へ、と言ってもぉ、私本来の今よりもっと美しい姿に戻るだけなんですけどねぇ、うふ、ふふ》
次に女は四つん這いになった。
その勢いで女の首がぶりんっと前方に飛び出してきて折れていた首が本来の位置に戻る。
どうやら、ぐらんぐらんに揺れていた首は今の一瞬で治ったみたいだ。
黒光りした髪の毛が身体全体を包み込み、女の身体が見えなくなる。
「え、は?」
その姿はまるで虫の繭とか卵のようで。
と、髪の毛の隙間からズルっと、虫の脚が生えた。
それも八本。
その生えた脚も黒くテカテカしていて、よく見ると産毛のようなものがビッシリ生えており、わさわさと絶え間なく蠢いている。
「――ひぃっ」
《ふ、あ、はは、アハハ、やっと、反応してくれたぁ、ふへ》
さらに、頭頂部があるであろう位置から、長い長い触角のようなものが、ぞぞぞ、と二本生えた。
《ふ、へへ、貴方に、会いたかったんですよぉ? 初めて貴方の身体を愛した時から、ずっと、ずっとふへへ。貴方の身体、美味しかったです。あのゴブリン、折角眷属にしてあげたのに、私に納めず八割以上独り占めして……もう、我慢できなくて辛くて辛くて、あのクソ眷属からの贄じゃ足りなかったんですよねぇ……どうしたら愛しの貴方に会えるかなって、直接、私の口で、愛してあげられるかなって。そうしたら、ふへ、ふへへへ、丁度近くの神域にいたから、ふへ、来ちゃった》
そう言うと、四つん這いになった女が、ゆっくりと顔を上げる。
その顔が私の視界に入―――――
「死ねぇぇぇっ!」
ぷしゅぅぅぅぅぅぅぅっぅぅぅ!!
――――る前に、殺す!
あれは絶対見たらダメなヤツだ!
悪・即・斬!!
サーチ&デストロイ!
Gを殺す時は躊躇ったら駄目だ!
黒い影を感じたら即噴射!
私の魔法、三種の神器が1つ、Gジェット!
気付いたら復活していた右手と左手の掌から勢い良く噴射される神々しいまでのミストは、女の、いや、巨大ゴキの身体を容赦なく包み込む!
大きなゴキブリには6〜8秒噴射し続けなければいけないのが焦れったいが、有効成分イミプロトリンの速効効果でゴキブリを秒速ノックダウンさせ、逃げる余裕を与えず駆除出来る代物だ!
念の為、こいつの身体の大きさを考えて60秒程たっぷりと噴射し続ける。
辺り一面ミストで黙々として視界が悪くなるが確実に殺すにはこうしなければ。
良い子のみんなは家でこんな噴射しないように!
「ふぅ……やったか?」
死体を、死体を確認しなければ!
そして早くその死体を処理するのだ!
でないと奴らは死体から謎のフェロモンを分泌し仲間を呼ぶ!
あんな巨大ゴキが二匹三匹と出てきたらマジで死ねる!
いや、まて、一匹見たら三十匹はいるというから油断はできない!
幸いここは白い空間だ、こんなものが大量にいたらすぐに気付ける。
「行け、ファンネル!」
直ぐに肋骨ファンネルを飛ばし視界を展開、周囲の警戒をさせる。
後先考えずに視界を展開したため気持ち悪さが頭を全力で殴りつけてくるが、それよりも目の前のこいつの気持ち悪さの方が勝っているため奥歯を噛み締めながら耐える。
そのまま辺りの視界が晴れるまで警戒を――
《ふへ》
――あ、飛んできた。自分の身の丈ほどもある、でかいゴキブリが。お腹をこちらに向けて。
「、あ……むり」
ファンネルを展開なんて、しなければ良かった。
全身の骨の視界を、360度拡げるなんて馬鹿な真似しなければ良かった。
拡がった視界で。
増えた視界で。
その全ての私の目で。
こいつを見つめる羽目になった。
まんま、ゴキブリだった。
でかいでかいゴキブリが、私の視界いっぱいに拡がっている。
上から下から前から後ろから、あらゆる角度から、その黒光りした身体の情報を私の魂に送りつけてくる。
昔、自転車に乗って走っている時に、前方から黒い影がこちらに飛んできたことがあった。
よく見るとそれはゴキブリで、お腹をこちらに向けて羽をバタつかせて滑空してきていた。
あの時も、今みたいに、すべてが妙にスローモーションに見えたっけ。
あの時は、顔にびちゃっと張り付いて、パニクって盛大に転んで酷いことになった。
心身ともに大きな傷を負った、14歳の夏。
今回はどうなんだろう。
大きな傷で済むかなぁ。
なんか食べるとか言ってるものなぁ。
異世界に来てまだ2日だというのに、なんか濃かったな。
色々と疑問ばかりだが誰か私に答えてくれる人はいないのかな。
普通に会話が出来る、普通の人でいいから。
というか、私、何でこんな目にあっているのだろう。
神とかその辺のポジションの人が私をこちらに連れてきたんなら、もうちょっと普通の異世界転生にして欲しかったなぁと思う。
テンプレに沿った普通の、当たり障りのない。
なんというか、全てにおいて行き当たりばったりというか、誰かが思い付きで適当にシナリオ書いているみたいな、そんな感じがする。
あ、もう、近ぁい。
奴が直ぐ側にいる。
ゴキブリのお腹って、キモいなぁ。
もうすぐ接触しそうだ。
まじまじと見たくなかったなぁ。
……あ、待って。待って。待って。
考えてみたらこいつ、さっき私が気を失っている時……その後も……。
今も私の顔を覆っているこの油膜みたいなのは……ゴキブリの油ってこと?
あ、むりぃ。
私に直で触ったってことぉ?
ぜったいむりぃ。
ゴキブリの口が開いた。
……これならゴブ子に喰われたほうが良かったな。
《いただきまぁす、ふへ》
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