第9話 ゴブ子

 いきなり喰われるとは思わなかった。


 ゴブ子の様子がおかしかったので何かあるかなとは思ってはいたが、まさかあそこから右手を食べるという行動に繋がるとは……流石の骨もこれにはびっくり。


 しかし、右手を噛み千切られたというのに、この骨の身体は殆ど痛みを感じないらしい。


「……あら、綺麗な断面だこと」

「ぎゃう〜♡」


 パクっと持っていかれて、手首から先が無い自分の右腕を掲げ繁々と眺める。


 普通、骨を噛み千切ったらもっとゴリッ、とか、ボキボキっ、とか音が鳴ると思うのだが、スンって感じでほぼ音が鳴らなかった。


 物凄く切れ味の良い刃物でスッパリと切断したみたいに、とても滑らかな綺麗な断面をしている。

 ……痛みを感じないって、余りにも綺麗に切り過ぎて身体が切られたのに気付いてない、とかじゃないよね?


 それと、関係ないけど断面を見て気付いたが、鶏の紫の血が浸透しているのか、骨の表面だけでなく骨の中まで紫色になっている。

 今更だが大丈夫なんだろうかこれ。

 血を浴びるとか病気になりそうで怖いんだが。


 でもちょっとだけ、紫色の骨とかかっこいいと思わないでもない。

 あと、さつまいも食べたくなった。



 気になるのは、ゴブ子のギザギザの前歯がそんな鋭さを持っているとしたら、日常生活も危ういんじゃないだろうか。


 舌って無意識に前歯に触れていることあるし、そんな切れ味が良いなら少し触れてしまっただけで直ぐに口の中が血塗れになると思うのだが。


 私の右手が美味しかったのか、うっとりとした顔で頬に手を当てて身体をくねくねしているゴブ子を見てみるが……うわ、凄く気持ちが悪い、いや、至って平気そうだ。



 さて、先程推測した通りゴブ子の力は私や鶏以上なのは確定した。


 鶏の蹴りにも傷一つつかない私の身体を噛み千切り、というか切断しバリバリと咀嚼し、注意を向けていたにも関わらず右手を掴まれるまで存在を感知出来なかった上に右手を喰われるのにも反応出来なかった。


 圧倒的に力の差がある気がするが、これが異世界転生だとして最初に出会ったゴブリンがこの強さってどうなんだろうか。


 私の知っているなろう系異世界ファンタジーでは、最初に出会うゴブリンは異世界転生のチュートリアルモンスターだと聞いていたのだが……。


 そもそも私と同じ転生者だしなんか気持ちが悪いし色々話が違うじゃん。


 ゴブ子が転生者で私より1ヶ月程早くこちらに来たとはいえ、こんなに差が出るくらい強いのは何故だ?

 それとももしかして、この世界のゴブリンはみんなゴブ子程度の強さなのだろうか。


 ゴブ子の強さが一般的なゴブリンの強さの標準だとすれば、そこで未だにビクンビクンしている鶏はただの野生の鶏くらいの立ち位置かもしれない。


 まぁ、何でもいいが早いとこ対処法を考えなければ。

 色々無駄なこと考えている間に右手の余韻に浸っていたゴブ子の意識が戻ってきたみたいだ。


 ゴブ子の次の行動が読めないがまた食べられたらたまらない。

 何とか時間を稼いでその間に何がいい案が浮かべばいいな。


「あー、ゴブ子さんや……あ、ゴブ子っていうのは私が勝手につけたゴブリンさんの名前ね。嫌なら他の呼び方にするけど……あ、いいのね。じゃあこれで呼ぶわ。でね、なんで、急に私の右手を食べたのかなって。いやね、人っていきなり右手を食べられたりするとね、びっくりするのよ。だからといって今から食べますね、とか言われても困るんだけど」


「……」


「なにかのっぴきならない事情があるんだったらね、ちゃんと事前に相談してくれれば、まぁ、本当は嫌だけど右手……の小指……の爪くらいは融通してもいいかなって、骨は思うのよ」


「……」


「あ、やっぱり会ったばかりの人にそういうのはないかな? ごめんね、そうだよね、初対面の人にデリケートな相談とか出来ないよね。私若い子の考えとかあまり分からなくて、なんかごめんね?」


「……」


「……あのー、ゴブ子さん? なんでじりじり近づいてくるのかな? それに、何で何も喋らないのかな? さっきまでぎゃうぎゃうと喧しく、いや楽しそうにいっぱい話していたよね? なんか喋ってくれると私も安心するのだけれど」


「……」


「……おい、それ以上近づくな。あと、人が下手に出て話してんだからよー、なんか言えやクソゴブリ――あ?」


 気付いたら視界からゴブ子が消えていて、視界が半分無くなった。


「え……は?」

「ぎゃう☆」


 ゴブ子の楽しそうな声が、聞こえる。

 それと、ゴリゴリバキバキという咀嚼音。


「な、ん……「ぎゃっぎゃっぎゃっ♡」ぐべっ!」


 後ろを振り返ろうとしたらゴブ子の声が足元から聞こえた。

 と、同時に何故か身体のバランスを崩し、紫色の血が染み込み少しぬかるんだ地面に顔から倒れ込んだ。


「ぐぅ、くそっ、なにが……」


 顔を上げ、左手で自分の顔に触れる。

 本来そこにあるはずの顔の左半分、左の眼窩辺りから上がぱっくりと無くなっている。


「……ま、じか」


 ゴブ子は私から少し離れたところでこちらに背中を向けて蹲り、バキバキとたまに嫌な音を立ててはその度に身震いしている。


 やばい。


 私は、ゴブ子がいつ動いてもいいように、それはもうめっちゃ集中していた。

 だと言うのに、まったくゴブ子の動きが、恐らく私の頭の左半分を通り過ぎざまに齧っていったのであろう動きが、全然なんにもコレッポチも分からなかった。


「……あかんわ、逃げな」


 骨の身体になり精神的動揺があまり感じられなくなったが、エセ関西弁が出てしまうほど私は焦っている。

 痛みがない分逆に冷静に、この後の私がどうなるか理解してしまう。


 というか冷静じゃなくてもわかる。

 私、食べられてまう。


 ゴブ子が向こうを向いて私の一部を食べている間に出来るだけ遠くへ――


 行こうとして立ち上がろうとしたら、右足の膝から下が無い件。











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