第8話



 乗騎は飛行能力のある獣で、千石支部では仙鹿や青鸞せいらん、天馬などが飼われている。あまり数はいないし貴重なものなので、使用には原則として支部長の許可が必要だ。

 支部長から渡されたファイルをぺらぺらと捲りながら厩舎に入る。と、珍しい顔がそこにいた。

「まあ、ナギ?」

「ツキコ、久しぶりだな」

 ナギは無表情で、ひょいっと手を上げた。

 彼女はいつも、袖がだぼっとした道士服のようなものを着ている。子供のように小柄で、背には刺股さすまた。長く細い黒髪を、今日はツインテールにしていた。

 ナギは月子のチームメンバーだが、自由人というか常識から外れたところで生きていて、支部にはあまり顔を出さない。普段何をしているのかも謎である。

 寮には住んでいないので、どこぞに実家があって基本的には家業でも手伝っているのかもしれない。その場合、組織の方は副業ということになる。


「珍しいわねえ」

「支部長に呼ばれた」

「あら…。つまり、私の同行者はナギなのね」

 七央じゃなくて良かった、と呟くと、ナギがしげしげと見つめてきた。

「ツキコ、タカヤマナナオはもうめちゃめちゃにしてやったのか?」

「いいえ、まだよ」

「なぜ?」

「…なぜって、物事には適切で効果的な時期というものがあるからよ」

 ナギは、そうか、とうなずいた。それ以上追及してこないから助かる。

 チームメンバーではあるが、ナギとは格段仲が良いわけではない。が、悪くもない。

 ナギの方には人付き合いという概念すらなさそうなので、月子もあれこれと気を遣わなくて済む。楽な相手ではあった。


「色々いるんだな」

 ナギは厩舎内を物珍しげに見渡した。ここに入るのは初めてらしい。

「そうね。でも借りられるのは仙鹿が四、青鸞が一、天馬が一体だけよ」

「他のは?」

「他のは個人が所有している乗騎なの。場所を取るし管理が大変だから、ここに預けている人が多いのよ」

 身をかがめて白い虎の乗騎をまじまじと観察しているナギに、月子は「仕事の内容は支部長からちゃんと聞いているわね?」と確認した。

「サル山に宝具を取りに行くだけの仕事だろう」

 ナギがつまらなそうに答える。

 そう、先の回収隊の報告書によると、山の中腹で襲ってきた敵というのは「サルのような何か」だったらしい。二十匹かそれ以上いたというそいつらは、回収隊に「嚙みついたり引っ搔いたり」という攻撃を加えてきたと記されていた。

(サルのような、というよりサルでは??)

 報告書を読んだ時、月子も確かにそう思った。

「サル山に行くだけの仕事なのに、なぜ一度失敗しているんだ?」

「失敗したのは私じゃないわよ!?まあ、ただのサルでも集団で襲ってくれば怖いのは間違いないでしょう」

「戦闘員も一緒だったとか聞いたが」

「ええ。でも、事務員たちが大騒ぎしてパニック状態になったのかもしれないし、サルを大虐殺するのも気が引けて一旦戻ってきたのかもしれないわ」

「ふうん」


 ナギがくんくんと鼻を動かす。

「全然ケダモノくさくないな」

「獣というより神獣だもの。…ああ、いたいた。諸田くん」

 月子が呼びかけると、諸田は空のバケツを手にこちらにやってきた。

「今日は乗騎じいさんはいないの?」

「お休みなんです、腰が痛いそうで…。人手不足で困っちゃいますよ」

 若手新人の諸田はそう言って苦笑した。

「支部長から話は聞いてます。天馬以外なら使っていただけますよ」

「あら」

 乗騎にはそれぞれ特徴がある。一番スピードが速いのが天馬で、女しか乗せないのが青鸞。一番癖がなく扱いやすいのが仙鹿だ。

「天馬は調子が悪いの?」

「いえ、使う予定があるので空けておくようにとのお達しです」

「そう」

 どのみち、こちらは二人だ。二人で乗れば天馬も速度が遅くなって意味がないし、片方が天馬、片方が仙鹿に乗っても結局仙鹿の到着を待つことになり、やはり意味がない。

「仙鹿を二体でいいわ。ナギ、あなたすぐに発てる?」

「りょ」


 月子が貸出票に記名する間、ナギは穏やかな目をした仙鹿を優しく撫でていた。乗騎が気に入ったらしい。仙鹿の傍らには、果物が入った籠が二つ置いてあった。

「果物がいっぱいあるな」

「一般的なものを食べさせると『もたれる』ので、乗騎には清浄な草とか果物しかあげられないんですよ」

「ほう」

 籠を覗き込むナギ。

「バナナがある。ナギもバナナ好きだ」

「おやつに持って行きます?」

「いいのか?」

「たくさんあるんで」

 諸田は気さくにうなずいた。



 出発する時には、ナギはバナナを二房も持っていた。

「遊びに行くんじゃないのよ」

「わかってる。敵はサルだという話だから、バナナで気を逸らせるかもしれない」

 なーんてね、という言葉もなく、ナギはいつもの無表情だった。


 仙鹿は優雅に空を舞い、周雷山を目指して駆けていく。

 やがて暗い雰囲気の鋭い山が見えてきた。霧が煙り、あちこちで雷光が閃いている。

「妖怪が出そうな山ね」

 地図を開きながら仙鹿をゆっくりと駆り、二人は開けた場所に降り立った。

 空気が湿っている。重く漂う白い霧で視界も悪かった。

「いかにも『出そう』なところだ。ここで見れば、ただのサルだって怖く見えただろう」

 言いながら、ナギは背の刺股を手に取る。彼女は宝具を持っていないが、体術と刺股さばきはかなりのものである。

「仙鹿にはここで待っていてもらいましょう」

「危なくないか?」

「連れていく方が危ないと思うわ。何かあれば仙鹿は空に逃げられるし、大丈夫よ」

 仙鹿を撫で、待っているよう言い含める。仙鹿は人語は話さないが、人の言っていることはなんとなく理解できるようである。聞き分けも良い。

 それに比べて、人語で会話が出来るのに理解し合えない人間のなんと多いことか、だ。




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