第5話



 闇の中から意識が浮上する…。

 まぶたが重く、目を開けることはできない。

 誰かの声がする…。七央と、支部長?

 少しばかりの薬品の匂い。医務室?


「まーったく、なんたる様だよ」

 支部長・日野九郎の呆れ声。

「すみません、油断しました」

 七央が謝っている。怒られてやんの、ざまあ。

 表情筋がぴくりとも動かず、笑ってやれないのが残念だ。

「オレは仲良くしろって言ったんだぞ。せっかく上手いこと天灯祭りに誘い出せたってのに、結末がこれじゃあなー」

「でも支部長、変な妖異が現れるなんて思わないじゃないですか…」


(仲良くしろ?誘い出せた??)

 月子の眉がピクリと痙攣する。だが七央も支部長も、言い争いに夢中で気付いていない。

「変なのが現れるまでは、ちゃんと仲良くしてました。月子ちゃんも、手がこういう形になったりして…」

「なんだその手付き」

「悲鳴が聞こえなかったら胸を揉まれてたと思います」

「どういう形で仲良くしてたの??」

「でも、揉まれてたら月子ちゃんを平手打ちしてたかもしれない」

「それじゃあ結局失敗じゃないか」

 支部長が身じろぎしたのだろう、ギイっと椅子がきしむ音がする。ベッド横のぼろ椅子に掛けているようだ。

「おまえたちのチームは、支部の一番手と二番手なんだぞ。そのうち連携して仕事をする機会もあるだろう。その時に円滑に仕事が進むように、日頃から友好関係をだな」

「はいはい、前も聞きました。まずはリーダーの私と月子ちゃんが仲良くすることから…ですよね」


 月子は、体がずんと重くなったような気がした。

 つまり、七央が月子を天灯祭りに誘ったり、祭り中に見せた笑顔は、支部長に「仲良くしろ」と言われてやったこと。『仕事』だったのだ。

(どうしよう)

 まぶたを閉じ、じっと横になったまま、月子の脳内だけがぐるぐると回り出す。

(なんでこんなにショックを受けて…)


 プライドが高く、つい虚勢を張ってしまう月子には、取り巻きはいても「友人」がいなかった。

 同じチームになったミヤミヤが単純バカで明るい性格だったから彼女とは上手くやれているものの、それ以外では誰かと親しくなるような機会もない。仮に機会があっても、素直になれないこの性格では友人の新規開拓はできないだろう。


(…友達になれるかもしれない、と思った?)

 まさかそんな。ちょっと一緒にお祭りに行っただけで。

(三条月子がそんなにチョロいわけないわ)

 ショックを受けた頭が冷めていくにつれ、投げやりな気持ちになり、それから怒りが沸いてきた。

(…別にぃ?私だって、七央の弱点を探るために話に乗っただけですし?)

 一瞬でも好意を持った分、揺り返しの憎悪は激しく燃え上がる。


 そうとも知らず、支部長と七央はやりとりを続けていた。

「だいたい、別に仲が悪いわけでもないです。距離感と妙な視線を感じることはあるけど」

「特別良くもないだろう?もっとこう、パジャパとかする仲になって欲しいわけ。オレは」

 ギシギシと椅子がきしむ音。支部長が子供のように体を揺らしている気配。

「百合は尊いし、あわよくば百合の間に挟まりたい」

「何言ってるんです??」

「うぐぐ」

 苦しげな声が聞こえるのは、七央が支部長の首を締め上げているのかもしれなかった。

「いや、しかし感謝しろよなー。オレが駆けつけてなかったら、三条も宮野も重傷を負ってたはずだぞ」

「支部長は来てなかったじゃないですか。来てくれたのは紫炎くん」

「オレもいただろ?!鳥をやったじゃないか」

「支部長っていつも鳥だけで、本体は現場にいませんよね…」


 どうやら、月子が意識を失う直前に見た鳥は支部長の使い魔で、紫の闇は紫炎が使ったヴォイドゲートだったようだ。紫炎も事情を知っていたのだろうか。

(つまり、支部長と七央のチームがぐるになって、私を篭絡しようとしていた…ってことかしら)


 月子はカッと目を見開いた。

「支部長」

「うわビックリした!!」

 腹筋の力だけで、すーっと上体を起こす。

「動きが気持ち悪い!!」

 怯えた支部長は傍らに立つ七央に抱きつき、七央から脳天にゲンコツを食らっていた。

「支部長、余計なお世話です。私たちはプロなんですから、日頃の付き合いがなくても仕事中はちゃんと連携に努めます」

「はあ?…ああ、ええ…?話、聞いてたのか」

「おかしいと思ってはいました。大して仲良くもないのに、どうして急に天灯祭りに誘われたのかと」

 月子はギロリと七央を睨み、人差し指を突き付けた。

「言っておくけど、『あなたのことをもっと知りたい』というのは、あなたの中の脆弱で堕落した部分を暴いてやりたいって意味よ!」

「ええっ。私は、支部長に言われたのとは関係なく月子ちゃんと仲良くしたいと思って…、」

「だまらっしゃい!」

 月子は一喝した。


「だいたい、怪我人の枕元でヤイヤイうるさいのよ!」

「今一番うるさいのは、間違いなくおまえだぞ」

 まあ落ち着けって…と支部長がなだめてくる。

「おだまり、支部長!その二ヤけた面、見ているだけで腹が立つわ!」

「えええ…」

 支部長は右手で自分の頬を撫でた。

「オレ、ニヤけてる?」

「まあ、おおむね」

 七央がうなずく。

「私はもう少し横になっていたいの。出て行ってもらえる?」

 ツンとして言うと、二人は顔を見合わせてからすごすごと立ち去った。

 医務室を出る直前、七央がちらりとこちらを振り返ったが、気付かないふりをする。

 パタン、と扉が閉まった。


(連中の策略にハマるところだった。絶対に仲良くなんかしてやるもんですか)

 月子は、フン、と鼻息荒く横になった。

 今まで、支部長の前でも七央の前でもそれなりに猫をかぶっていた。それが良くなかった。「月子にはつけ入る隙がある」と彼らに思わせたのだ。

(これからは、廊下で遭うなりビンタ、という勢いでやらせてもらうわ)


 そう決めると、心が晴々としてきた。

 月子は医務室の薄い布団を口元までかぶると、穏やかな眠りに落ちていった。






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