第2話


「まあ、こんなものかしらね」

 鏡の前でくるりと回り、月子は呟いた。

 紺地に蝶を散らした浴衣。緩くウエーブする髪を今日は結い上げて、玉の簪を差している。

 別に男と行くわけでもなし、過剰にお洒落する必要はないのだが、祭に行けば人目もある。誰の目から見ても「さすが三条月子さん」と言われる自分でいたい。

 それに、手抜きした格好で行って七央に負けるのも嫌だった。


「あら」

 待ち合わせ場所に行くべく寮を出ると、ミヤミヤと鉢合わせた。

「お、三条ちゃんだ。やっほー」

 赤い浴衣を着たミヤミヤが、軽く手を振ってくる。彼女は単純でアホだが、月子にとって素のままで付き合える唯一の友人である。

 実はミヤミヤは三日ほど前に、「三条ちゃん、あーしと天灯祭り行く?」と誘ってくれていた。月子は先約があるからと断ったのだが、彼女は他で一緒に行く相手を見つけたのだろうか。

 月子の疑問を感じ取ったのか、ミヤミヤは親指で後ろを指した。

「あーしの今彼」

「イマカレ?」

「そう。三条ちゃんが先約あるって言ってたから、天灯祭り用に作った」

 からりと言うミヤミヤ。

 彼女の後方に視線を向ければ、少し離れたところに男が立っていた。

 知らない男だ。月子の目に男の顔は「へのへのもへじ」に見えた。

「そう。健闘を祈るわ」

「三条ちゃんもねー」

 月子の連れが誰なのか知らないミヤミヤが、にやつきながら肘で小突いてくる。

 残念だが、今の月子はそんな浮ついた気分ではない。むしろ戦場に赴く兵士の心持ちである。


「それはそうと、あなたお祭りにそんな無粋なもの持って行くつもり?」

「はえ?」

 ミヤミヤは月子の人差し指の先を辿り、己が手にしている赤い槍に目をやった。一閃すれば軌跡を炎が彩る、彼女の宝具『火尖鎗かせんそう』だ。

「だってェ…、いつ何が出てくるか分からないじゃん?妖怪であれ幻獣であれ、そいつが人間の生気を餌にするタイプの化け物だったら、人がたくさん集まる天灯祭りはスイーツパラダイスだよ」

「それはそうだけど」

「それにほら、化け物は出なくても痴漢とか出るかもしんないし!」

 元気よく言ってウインクを飛ばしてくるミヤミヤ。

 戦闘狂なところがある彼女としては、戦う可能性が少しでもあるのならばその機を逃したくないのだろう。それに、たしかに痴漢避けにはなりそうだ。

 じゃーねー、と手を振るミヤミヤに手を振り返すと、月子はちょっと考えてから寮の中に戻った。

 幸い芭蕉扇は、浴衣姿で手にしていても様になる。



 祭り会場前で合流した七央が、シンプルな白いシャツとショートパンツ、サンダルという格好だったので、月子はいささか拍子抜けした。

 こうなると浴衣姿の月子の方が、お祭りを楽しみに気合いを入れてきたように見えてしまう。

(こういうところも嫌なのよ…。本人に悪意はなくても、結果として私のプライドが傷付けられるというか)

 さらに面白くないことに、合流してすぐに七央の肩に鷹が舞い降りた。

 鷹は七央の耳元に嘴を寄せて何事か囁くと、幾枚かの輝く羽にぱっと姿を変えて散り、消えてしまう。

「どちらからの伝言?」

「ん、支部長」

 七央は言葉少なにそう答えた。

 日野支部長は七央に何らかの連絡を寄こしたらしい。その内容は月子の知るところではないが、支部長が肩入れし、密命を下すのも七央なのだと嫌でも思い知らされる。


 憮然としながらも、月子は屋台を食い荒らしていった。

 かき氷→たこ焼き→りんご飴→焼き鳥→わたがし、と来たところで、本命の焼きトウモロコシを買い求める。

「トウモロコシは座って食べたいわ」

 月子は訴えた。歩きながらだと食べ辛いし、そろそろ足も疲れてきた。

「どこか座るところあるかな」

 七央がきょろきょろと辺りを見回す。彼女の手には、まだかき氷のカップが握られている。

「いい場所を知ってるわ。ついて来て」


 七央を引っ張って来た場所は、お祭り会場の中心部からだいぶ離れた、ひっそりとしたただの茂みだった。ここにはちょうど良い高さの大きな平たい石が数個ある。

「椅子にちょうどいい!」

「そうでしょう」

 それぞれ石に腰を下ろすと、月子はトウモロコシにかじりつき、七央は既に飲み物と化したかき氷を啜った。

「月子ちゃん、よく食べるんだね」

「えっ?!…いえその、お昼を食べ損ねたものだから」

 本当は昼もがっつりトンカツなど食べたのだが、伏せておく。

「食べてる時の月子ちゃん、幸せそうで可愛い」

「そ、そうかしら。まあその、可愛いとはよく言われるわ」

 七央がにこにこと見てくるので居心地が悪い。

 この温和なお人好し、月子の食べ歩きにも楽しげに付き合い、聞き上手だし少し天然で放っておけないし、おまけに文句のつけようがない美女だ。

 月子が月男だったら即落ちしていたに違いない。危なかった。


「あの…、あなたのチームメイトの葵さん。彼女の武器、優雅よね」

 居心地の悪さを誤魔化すように話を変えてみる。

黒琵琶くろびわ?」

「そう、それ」

 黒琵琶は支援型の宝具で、周囲にいる味方の宝具にえぐいバフを乗せる。

「あれは厄介だわ。もしあなたが葵さんの敵なら、黒琵琶をどう制圧する?」

 七央は、うーんと唸って空になったかき氷カップを覗き込んだ。

「宝具を破壊するのは困難だから、やっぱり使い手の葵を昏倒させるのが早いよね」

「でも彼女、だいたい後方に下がってるでしょう」

「うん。敵に狙われなくて、味方に支援が届くぎりぎりのところに居てもらうことが多い」

 言うと、七央はそのへんから棒きれを手に取って、草の生えていない地面にガリガリと図を描き出した。

「このへんに葵がいるとしたら、このあたりにもう一人配置して、防御に回れるように…、」

「敵が複数の場合は…、」

「宝具の相性を考えると…、」

 しばしああでもない、こうでもないと議論する。雑談として戦術を論じるのは、月子にとって初めての経験だった。

(…楽しい)

 ミヤミヤは単純おバカすぎて、何でも「あーしが壊す!」で終わってしまうし、仕事上の戦術ならともかく「もし〇〇だったら」という架空の設定で議論を交わしてくれる相手、しかもそれが鋭く的を得ていて話が弾む相手などそうそういない。

(嫌だわ、困るわ。楽しいと困るのよ…)


 困惑してなんとなく上空を見上げた月子は、夜空をぽつりぽつりと彩り始めた小さな灯りに気付いた。

「天灯が上がり始めたわよ」

「本当だ」

 しばし無言で空を見上げる。…天灯など見飽きたと思っていたが、綺麗なものは何度見ても綺麗だ。

「これ、後片付けが大変そうだねー」

 ロマンのないことを言う七央だが、彼女の視線も上空に釘付けになっている。

 七央と並んで座り、天灯を見上げる静かなひと時が、月子には妙に心地よかった。





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