第四話 浄化の聖女は遠方の客を迎える
帝国歴百一年目の〈女司祭の月〉、〈聖都〉は駆け足に春めいてきた。
わたしは正式に浄化の聖女としての地位を〈大陸正教会〉に与えられた。
といって、普段の待遇だったり生活が劇的に変わるわけではなく──
代わりに、日々の修練はより浄化の聖女の役割に特化した内容となった。
普段の聖堂でのこまごまとした仕事や日々の生活。
その上に浄化のイメージを掴むの為の精神鍛錬と──そこまではいいのだけど、護身の為の肉体的な鍛錬まで加わった。
これがひたすらに、きつい。
浄化の聖女の任務は、自身が危険な状況に巻き込まれる可能性が高い。
その為に、時には〈シカリィ派〉の〈
(いや理屈は分かる。……分かるけどさあ……)
早朝から〈聖都〉の外周をひたすらに走らされたその日の昼。
わたしは、こんな風だったら浄化の力なんて目覚めない方が良かったかな、と食堂の隅で昼食を食べ終わった後、パンパンになった太腿をさすっていた。
「アンナ」
すると、不意に食堂の入り口から名前を呼ばれ、顔を上げた。
「シャノア修道長」
シャノア修道長に呼ばれて、さすがに無視するわけにいかない。
わたしは固く強張った腰を伸ばしつつ、シャノア修道長の元へ向かった。
「何か御用ですか?」
「突然にごめんなさい。前に頼みたい事があるって言っていたの、覚えている?」
わたしは思わず首をかしげた。
確かに少し前、そんな事があったような──
「ほら、遠方からの客を迎える場に、あなたも同席して欲しいと……」
「……ん?あ、あー。そういえば……」
「急な事で悪いけど、先ほどその方々が聖堂を訪ねていらしたの」
わたしは思わず目を剥いた。
「本当に急な話ですね」
「向こうにも色々と事情がおありのようだから。午後の修練は免除しておくから、今から私と来てくれないかしら?」
午後は戦闘訓練だったはずだ。きつい修練が休みになるのはありがたい。
「ええ、もちろん。修道長のお役に立てるなら……」
わたしは一も二もなく答えかけて──
──その頼まれごと、断った方がいいと思う。
「……あ」
「アンナ?」
ふと、クロノアの言葉が脳裏に蘇ったわたしは反射的に口ごもった。
そんなわたしの様子をいぶかしそうにシャノア修道長が眺めた。
「あー、いえ、その……」
クロノアが理由もなくそんな事を言うわけがないのも、分かってはいる。
だけど──
「いえ、なんでもありません。そのお客様を待たせるわけにいかないんですよね?すぐ行きます」
わたしがうなずくと、シャノア修道長は心底助かるとばかりに息を吐いた。
「ありがとう。本当に助かるわ」
彼女の安堵した顔を見ると、やはりわたしには断れそうになかった。
〇
〈コルバン派〉の聖堂の敷地にある迎賓館にシャノア修道長と共に向かった。
外部に対し開放的な雰囲気のある〈コルバン派〉は、外からの来客を迎える機会もそれなりにあるのだけど、今回、シャノア修道長が任された来客とは誰だろうか。
今からでも聞いておこうか、とシャノア修道長に声を掛けようとした。
「あの……ん?」
シャノア修道長のぴんと伸びた背中に声を掛けようとした。
しかしふと、迎賓館の窓の前に若い修道女が群がっている様が見えた。
それを見て、シャノア修道長が腰に手を当てる。
「あなたたち!そんな所で何をしているの!?」
シャノア修道長が一喝すると、修道女たちは悲鳴を上げて慌てて蜘蛛の子を散らすようにその場を去っていった。
「はあ……もう全く」と、シャノア修道長が呆れ顔で息を吐いて、迎賓館へと入っていく。わたしはちらりと修道女たちの群がっていた窓を見てから、後に続いた。
どうやら、あそこから例の来客の姿を覗けたらしいが──
とにかく、わたしはシャノア修道長と共に来客のいる一室に足を踏み入れた。
「お待たせ致しました。あと、修道女たちが騒がせたようで申し訳ありません」
わたしの位置からは客人が二人、長机に着いている姿が見えた。
その向かいにシャノア修道長がうやうやしく詫びてから腰を下ろす。
わたしは修道長の後に続いて、立って控えているべきかどうか迷ったが、修道長が軽くこちらに目で示すので、その隣に心持ち身を引いて椅子に座った。
そして、改めて来客の姿を見た。
修道女たちが騒ぐはずだな、と内心思う。
シャノア修道長の向かいに座っているのは、貴公子然とした端麗な容姿をした若者だった。
青い軍服を
「西部山岳地域の騎士団領より遠路はるばるご苦労様です」
修道長の言葉に、わたしは相手の素性が分かって、なるほど、と得心がいった。
相手は大陸の西方にある山岳地域に自治領をもつ騎士たちだ。
〇
「〈西方騎士団領〉より遣わされた、アドニス・ソールティスです」
青軍服の若い騎士が折り目正しく会釈をして名乗った。
「ご丁寧にどうも。私は〈大陸正教会〉〈コルバン派〉の聖女エレン・シャノア。こちらは……」
「単刀直入に申します」
修道長の言葉を強引に遮って、青騎士──アドニスが一方的に口を開いた。
「今回、我々が直接〈聖都〉に参上したのは、度々、書簡にてお伝えした件に納得がいく回答が得られなかったが故です」
口調こそ丁寧だが冷ややかさを隠さないアドニスの声に、修道長が口をつぐむ。
緊張した表情で向かい合うシャノア修道長の横で、わたしは内心鼻を鳴らした。
(うわ、貌はいいかもしれないけど、いけ好かない奴だなあ)
「失礼ながら貴方がたは事態の深刻さを過小評価しておられる。我々の度重なる警告に耳を貸さず、徒に悪化する事態を放置した貴方がたの責任は決して小さくはないことをまずは……」
(あー……分かった。わたし、嫌いだ、こいつのこと)
口振りからして何か頼み事を持ち込んできたと思われるのに、それが人に物を頼む態度だろうか。
事情はあるにしても、ここでシャノア修道長をいびっても始まらないだろうに。
自然とわたしの顔までしかめ面になるのを感じた。
それでも、言葉を続けようとしたアドニスに思わず耳を塞ぎたくなった時──
──「アドニス」
アドニスの脇に控えていた人物が、ふと静かに彼の名を呼んだ。
それまで特に存在を主張せず、わたしもアドニスの方に目を奪われていたが、改めてその人物に目を向けた。
アドニスの血縁なのだろうか、似たような色合いの金髪と瞳をした男だ。
こちらもよく見ると整った顔立ちをしている、のだが──
なんだか人を小馬鹿にしたような、似合わない口髭がまず目につく。
その上、見ているだけで気の抜けるようなにこにこ笑顔を浮かべていた。
「こちらの方々にそれを言っても始まらない。今はとにかく、我々の状況を
「……はい、確かに」
一瞬、目を見開いたアドニスが案外あっさりと矛を収めてこちらに向き直った。
「……〈大陸正教会〉の上層部に数年前から我々は度々書簡を送っておりましたが、その内容についてはご存じですか?」
「ええ、はい。私が伝えられたのは、あなた方をお迎えする直前のことでしたが」
アドニスははぁ、と深々と息を吐いて、長机の上に手を組んだ。
「我々はその問題に長年、対策を講じてきました。聖女殿も、噂程度には耳にしたことはあるのではないですか?」
「……ええ、はい」
シャノア修道長はため息交じりにうなずいていたが、わたしは話が読めない。
横から質問するわけにもいかないので、黙って話を聞いていようと思って耳を傾けていると、ふと視線を感じた。
顔を上げると、あの似合わない口髭の騎士がわたしを見ていた。
別に睨まれているとかではない。
ただなんだかわたしの方を注視していて、正直居心地が悪い。
しかし、わたしと目が合うとその口髭の騎士はまたへにゃっ、とかすかに微笑んで改めて修道長にアドニスと同じアイスブルーの瞳を向けた。
「我らが〈騎士団領〉には昔から……それこそ異種間戦争時代より、厳重な監視を行ってきた土地があるのです」
再びアドニスが口を開いて『頼み事』の説明を続ける。
わたしは慌てて、そちらへ耳を傾ける。
「その土地の名は……〈不浄の王国〉」
その名を告げると、アドニスが確かに──そのアイスブルーの瞳に恐怖の感情をにじませるのが見えた。
私もちらりと横を窺い見ると、修道長が緊張に固く顔を強張らせていた。
「古の王の呪法により瘴気が溢れる大地と化した、かつての人間の王国です」
瘴気の溢れる大地。
その言葉に、わたしは自然と自分の両手を握り締めていた。
「瘴気を含んだ雨が降り続ける不毛の大地が広がり、〈不死の軍勢〉が相争う、呪われた土地です」
アドニスが重々しく告げる言葉に、うららかな春の陽射しの中にある迎賓館の一室に、暗い陰鬱な影が落ちるのを、わたしは確かに感じた。
「その汚染の元になっているのは、強大な力を持った六体の〈
──「〈不死なる六王〉」
その時、横から、口髭の騎士が重々しく口を挟んだ。
「我々は長年〈不浄の王国〉の中で永久に互いを相手に戦を続ける、その〈不死者〉たちの動向を、無数の防衛拠点を造って監視しておりました」
口髭の騎士が淡々と説明する言葉を受けて、改めてアドニスが背筋を伸ばし、わたしたちに鋭い目を向けた。
「以前であれば、一部のはぐれた〈不死者〉がさまよい出るだけで済んでいた。それなら我々の力だけで押し返せる。……だが近年になって状況が変わった」
「どうにも、我々の動きが読まれているような感じなのですよ」
アドニスの言葉の間に口を挟んだ口髭の騎士の言葉に、わたしはどきりとした。
「何故か防衛拠点をすり抜け、統率の取れた動きで我々の裏をかいて、騎士団領に脱け出してくる。……最初は偶然かと思ったそんな動きが、ここ十年辺りで頻度を増して起こるようになりましてね……」
「どうにも気味が悪いものですよ」と、口髭の騎士は肩をすくめる。
「まるで、未来を予知する者が〈不死者〉の群れを操っているみたいでね」
口髭の騎士が軽く口元を歪めながら告げた言葉に、わたしは背筋を震わせた。
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