第三話 英雄の娘は稽古をつける

 ※※※※※


 「ハウリー、腰が引けてる。剣は腕だけで持っては駄目。体の重心に乗せないといけない。振る時も、腕の力だけで振ったら腕の筋を傷める」


 私は褐色肌に巻き毛の少年が危なっかしく木剣を振るう姿に思わず声を上げた。

 しかし、へっぴり腰のまま、素振りをするのも精一杯という様子でいるのに、私は思わず後ろからその手を取った。


 「ほら、怖いのは分かるけど、体から離しては駄目」

 「ウィク……」


 少年──ハウリーの額にかかる巻き毛が汗で濡れているのに、私は目を細める。


 「……これ以上無理に練習しても本当に怪我しちゃうだけ。もうやめよう」

 「うん……」


 ハウリーは反射的にほっと安堵の息を吐いた。

 しかし、すぐにそんな自分を恥じるように身を縮める。


 ハウリーが悪いわけではない。


 私はハウリーの小柄で痩せた体を見下ろす。


 筋肉の付き方も、呼吸の弱さも、思うようにならない身のこなしも、とても剣を手に取り戦うことに向いているとは思えない。


 ハウリーには体を鍛えるにしても、もっと別の方法を教えてあげるべきだった。

 私は苦い後悔と共に木剣を片手に、彼の手を引いた。


 〇


 庭園の石垣にハウリーを座らせて、その火照った頬に井戸で組んだ水を含ませた布を当て、汗を拭った。


 「ありがとう、ウィク。気持ちいいよ」


 思わずといった様子で息を吐くハウリーに、私はふっと淡い笑みを浮かべた。


 「……外で体を動かすのは、ハウリーにはちょっと早かったかも」


 石垣に腰かけるハウリーの前に膝を突き、私は皮の擦り切れた彼の手を取った。

 「みるよ」と断りを入れてから湿らせた布でその手を拭くと、ハウリーの体が強張った。


 「ごめん、剣を握るのも、まだ先にした方がよかった」

 「謝んないで。ウィクにどうしてもって頼み込んだのは、僕の方なんだから」


 二人でいる庭園に少し気まずい沈黙が落ちた。

 だが、黙り込んでいる私にハウリーの方から笑いかける。


 「今度は部屋の中でできる、体の鍛え方を教えてよ。それなら体の弱い僕にもできるだろうしさ……」


 私はうつむいていた顔を上げて、ハウリーを見た。

 彼の純粋な笑顔に、私も強張っていた肩の力が抜けるのを感じた。


 「もちろん、そういうのもある。今度は家の中で訓練、しようか」

 「そうだね。それがいいよ」


 ハウリーがうなずいて笑いかけるのに、私の方こそなんだかほっとしてしまった。


 「じゃあ、帰ろう」

 「うん」


 私は膝に付いた土埃を払って立ち上がると、ハウリーに手を差し出した。

 嬉しそうにそれを握るハウリーと共に屋敷への道を歩く。


 ──十年前に父を喪って以来、身を寄せているオルスタイン家の屋敷へと。


 〇


 屋敷の前までハウリーと二人、手を繋ぎながら他愛のないことを話して歩いた。


 「あ……」


 しかし、不意にハウリーが屋敷の方を向いて顔を曇らせるのが見えた。

 彼の視線をたどると、扉を背に両手を腰に当てて仁王立ちで私たちを待ち構えている大柄な男性の姿が見えた。


 「ウィク……」


 ハウリーが不安げに私を振りあおぐのに、私はきゅっと唇を引き結ぶ。

 だが、私は強いて笑顔を浮かべてハウリーを振り向いた。


 「私がちゃんと事情を説明する、ハウリーは心配しないで」

 「でも……」

 「大丈夫。喧嘩するわけじゃない」


 そう言って、私はぐっと下腹に力を込めて、屋敷の扉の前で待ち構えている、この屋敷の主へと向き直った。


 「バージル、これは……」

 「ウィクトリカ、ハウリーを何処に連れて行ってたんだ?」


 私が少し考えてから話しかけようとすると、この屋敷の主──オルスタイン家の当主バージルが眉間にしわを寄せた険しい表情で私を見下ろした。


 彼の鋭い視線が私の腰に差した木剣に向く。バージルは額に手を当て嘆息した。


 「ハウリーを連れて外へ行くなら、私かアルマに必ず声を掛けろと言ったはずだ」

 「父上、それは僕が無理を言って……」


 見かねて横から口を挟もうとするハウリーを、私は片手で制した。


 「ごめんなさい。言いつけを無視したわけではない。ただ……」

 「言い訳はいい。ハウリーは君とは違うんだ。赤ん坊の頃から体が弱い」


 バージルは険しい顔で私を見下ろした。


 「ウィクトリカ、君だって知っているはずだ。ハウリーが赤ん坊の頃、君だって家族として大切にすると約束したはずだ。それを忘れたのか?」

 「それは……」


 事情も聞かずに一方的に責める口調に、私は思わず唇を噛んだ。


 その時──


 「父上、ウィク……まって……えほっ、けほっ……」


 背後から聞こえてきた弱々しく咳き込む声に、私もバージルも同時に振り返った。


 「ハウリー!」「大丈夫!?」


 とっさに振り返ると、ハウリーが地面に膝を突いて胸に手を当て、苦しげにせき込んでいた。私とバージルは同時に彼の元へ駆け寄った。


 「ハウリー!」


 バージルが息子の小柄な体を抱え上げる。

 私は先日〈土精霊ノーム〉の薬師にもらった薬があるのを思い出す。

 発作が起きた時に飲む薬のはずだ。

 私は屋敷に飛び込み、一目散にハウリーの部屋へと駆けた。


 ハウリーの部屋の棚から薬の入った瓶を探し出し透明な飲み薬を匙に取る。。

 そうしている間に、バージルが素早くそっと息子の体をベッドの上に横たえる。


 「ハウリー、これ〈土精霊〉の薬師さんから貰った薬。覚えてる?……ほら、口を開けて、少しずつでいいから、飲んで」


 私が少しとろみのある透明な薬をハウリーの口口元に運ぶ。

 ハウリーは苦しげに目を細めつつ、それでも私の差し出した匙を口に含んだ。


 「体を楽にしろ。そうだ……父さんとウィクがついているからな」


 ハウリーの額を太い指でなでて、バージルが心配そうにのぞき込む。

 今は言い争いをしている場合ではない。

 私もバージルと二人で、ハウリーの顔をのぞき込む。


 すると、ハウリーがうっすらと目を見開いた。


 「父さん……ウィク……。ぼくなら大丈夫、大丈夫だよ……」


 私たちを気遣うようにそう、かすれた声で告げてハウリーは瞼を閉じた。

 しばらく、私もバージルも彼の様子を息を呑んで見守っていたが、ハウリーは一つ大きく息を吐いた後、規則正しい寝息を立て始めた。


 ハウリーの容体はひとまず落ち着いたようだった。


 私もバージルも、大きく息を吐いてその場にどっと腰を下ろした。


 「ああ、よかった。本当に……」


 バージルが額に手を当て脱力したようにつぶやいた。

 私は彼を振り返って、ぐっと顎を引いて口を開く。


 「ハウリーには、私がついている。あなたは、まだ仕事があるんじゃないの?」

 「しかし……」


 バージルは私の顔を見詰めて、一瞬、迷うように口を閉ざした。

 だが、すぐに考え直した様子で小さくかぶりを振り、うなずいた。


 「分かった。食事はアルマに持ってこさせる。ハウリーのことは頼むが、ウィクトリカ、君もくれぐれも無理をするなよ」

 「うん、分かっている」


 私はうなずき、眠っているハウリーの手を取る。

 バージルはその様子を見届けて、そっと足音を立てず部屋の扉を出て行った。


 〇


 ハウリーの看病をしている間に、外は日が落ちた。


 枕元のランプに火を灯し安静にしているハウリーの顔を見ていると、こんこんと軽く扉が叩かれる音がした。


 私は一度、握っていたハウリーの手をそっとベッドに戻して、部屋の扉を開ける。

 すると、そこには、この屋敷に一人いるきりのメイド──猫の獣人種のアルマが銀灰色の体毛に覆われた顔を少し心配そうに歪めていた。


 「ああ、ウィクトリカ様。ぼっちゃまのお加減はいかがです?」

 「大丈夫、今は落ち着いているみたい」


 「そうですか」とアルマはほっと胸をなで下ろし、運んできた盆を両手に持って部屋へそっと入ってきた。


 「旦那様に言われてお食事を運んできました。ウィクトリカ様も、あんまり根を詰めすぎないように、とおっしゃっていましたよ」

 「ありがとう。助かる」


 私はアルマに礼を言って、盆から卓に置かれるスープとパンの食事を見やった。

 正直、食欲があるわけではないけれど──


 「ウィクトリカ様も気が動転して、大変でしたでしょう。少しでも腹に食べ物を入れておくと、気持ちが収まりますよ」


 アルマが微笑みかけるのに、私も「そうだね」とうなずき、パンを一かけら千切って口に入れた。そうすると、空腹が今更ながらに感じ取れた。

 ぐるぐると私の腹が鳴るのを聞いて、アルマがくすりと微笑む。


 「……ほんとに助かる」

 「そのようですね」


 アルマは微笑みながら「それでは」と言い置いて部屋を出て行った。

 私は一度、卓に向かって手早く食事を済ませ、改めてハウリーの横たわるベッドに向き直った。


 窓からは月の光が差し込んできている。

 じっと、ハウリーの寝顔を見守っていると、不意にその目がぱちりと見開いた。


 「ん、うん……?あ、ウィク……?」

 「気分はどう、ハウリー?苦しかったり辛かったりする所はない?」


 私が尋ねると、ハウリーは枕の上でふるふると首を左右に振った。


 「もう平気。……それよりごめんね、僕のせいで父上と喧嘩になってしまって」

 「あなた、そんな風に考えていたの?」


 私は思わず呆れてしまって、済まなさそうなハウリーの顔を見詰めた。

 枕元に灯されたランプの明かりの中、私は小さくかぶりを振った。


 「そうじゃない。私がきちんとしていたら、ハウリーに苦しい思いをさせる事もなかった。バージルの言う通り……私の考えが足りなかった」


 私は、この屋敷に来た時、バージルに紹介されて初めて見た、まだ赤ん坊だった頃のハウリーを思い出す。


 揺りかごの中で、静かな寝息を立てる、小さな男の子。


 「家族のことなんだから、私がちゃんと見ておくべきだった」

 「ウィクトリカ……」


 私が膝の上で拳を握り締めるのを、ハウリーはきゅっと眉根を寄せた。


 ──「じゃあ、さ。今度はウィクが僕に付き合ってよ」

 「えっ?」


 思わぬハウリーの言葉に、私が顔を上げると、ベッドの上でハウリーが微笑んだ。


 「ルクティーレ男爵の庭の温室で南方群島の珍しい花があるんだってさ。それを、見に行きたい」

 「花……南方群島の……?」

 「うん。とても珍しい綺麗な花なんだって評判だよ」


 「駄目かな?」と、ハウリーが上目遣いに私を見てくる。

 私は正直、花なんて見て楽しいのだろうか、と困惑していたが──



         ≪花くらい一緒に見に行ってあげなさい≫



 「……分かった。それなら、また天気のいい日に、馬車を出して一緒に」


 私がうなずくと、ハウリーは「やった」と嬉しげにベッドの上で声を弾ませた。

 どうやら本当に嬉しかったようだ。「約束だよ」と私に確認する巻き毛の少年に、私は苦笑を浮かべて彼の肩に毛布を掛けた。


 「うん、約束する。だから、今日はゆっくり休んで。……また明日」

 「ウィク、僕楽しみにしてる。……今から出かけられるように、ちゃんと体に気を遣うから」


 私はハウリーの言葉に微笑むと、彼の額にこつんと軽く自分の額を当てた。


 「分かった。私も楽しみにしている」


 それを聞いて、ハウリーは私をその澄んだ瞳で見つめて目を細めた。


 「やっぱり、ウィクは優しいな。今度は父上とも一緒に……」


 二人とも、とても優しい人だから、とハウリーは満足げにうなずいた。



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