第二話 未来を見る聖女は引きこもっている

 異種間戦争時代と呼ばれる、数百年の長きに渡った戦乱の時代は遠い昔の話。


 今は大陸全土に及ぶ帝国の統治が始まり、百年の月日が流れている。

 去年はその百年の節目の年であり、大陸中が祝福の空気に包まれたばかりだ。


 今、わたしのいるこの〈聖都〉は祝祭を執り行う立場にあった。

 毎月のように大きな祝賀行事が組まれ、大勢の人々がこの白亜の聖堂の並ぶ〈大陸正教会〉の総本山を訪れた。


 気が付けば飛ぶように過ぎていった慌ただしい一年。


 つい二月ほど前、盛大に執り行われた帝国統治百一年目の新年の行事を区切りに、〈聖都〉も日常の姿へと徐々に戻りつつある。


 しかし、長い夢の名残のような空気が〈聖都〉の街のそこここに残っている。


 通りがかった店の入り口からなんとはなし中をのぞき込むと、眠そうにカウンターに頬杖を突いている店番がいた。


 こっくりこっくり舟をこいでいた彼の目がふと見開かれ、わたしと目が合った。

 彼はわたしの胸に輝く聖印を見ると、はっとして背筋を正し、赤面した。


 「これは聖女様、お見苦しい所を……」

 「どうぞお構いなく。〈方舟の主〉様の加護のあらんことを」


 わたしはしとやかに微笑み、威厳をもった態度で軽く会釈を送る。

 店番の男性は慌てて聖印を胸の前で切って「聖女様こそ、ご機嫌麗しく……」とへどもどする。


 (聖女様……か)


 いい響きじゃあないか。


 わたしは曲がり角を曲がって周囲に人目がなくなった所で「ふへへ」としまりなく笑った。〈聖都〉に来てから長いこと見習い扱いで、自分の能力すらはっきりしなかったけれど、これでようやく聖女として認められたわけだ。


 「でも、浄化の能力ってのが、いまいち活躍の場が限られそうだよなぁ」


 わたしは手袋に包まれた両手をわきわきと握る。

 しかも、シャノア修道長の話を聞く限り、危険な任務になるようだ。


 「……まあいいや。能力も安定しない内に任務に派遣されるわけないでしょ」


 今はそれより、せっかく聖女の地位を得たのだから、あの子に報告に行こう。


 〇


 その聖堂の建物が見えてくると、わたしは身だしなみを確認した。


 〈聖都〉の中心部から離れた区画にあるその聖堂は、他の主だった宗派の聖堂からも離れていて、ちょっと独特の雰囲気がある。


 異国風の繊細な彫刻や壁画の描かれた壁を見ながら、その聖堂の門を叩く。

 すると、内側から修道服の上に目元以外は全て隠れたヴェールを身に着けた修道女が姿を現した。


 「〈コルバン派〉の方ですね?我らが〈エゾク派〉の聖堂に御用ですか?」

 「友人を訪ねに参りました」


 わたしは聖女の聖印を見せつけるように胸を張った。

 聖女の地位を示すその金の聖印を見て、〈エゾク派〉の修道女はヴェールの隙間からのぞく目をすがめた後、内側から門を開けてくれた。


 (前はいちいち顔を合わすのにも許可が必要だったけど、こいつは楽ちんだ)


 まあ、他の宗派の聖堂の敷地で大きな顔をしているのも印象が悪い。

 後はなるべく目立たないで行こう。


 わたしは深く頭を下げてから〈エゾク派〉の聖堂へ足を踏み入れた。


 〇


 〈エゾク派〉は〈大陸正教会〉の主だった宗派の中でも、かなり異質な宗派だ。


 元は別の異教の神を奉じる教えだったのが吸収されたものなんて噂もある。

 確か、その教条もなんだか神秘的というか、異質というか。


 (『真理への探究、そして合一』……だっけか)


 聖堂の敷地内には研究棟が建っていたり、通路にまで書架が設えられている。

 何処を通っても古い書物の匂いがする場所。研究職が多いのも特徴だ。


 中にいる修道女はみんなあの目元しか見えないヴェールを被っていて、正直、わたしはどうしたって浮いてしまうし、いつ来ても少し緊張してしまう。


 それでも、何年も通っている間にある程度顔を覚えてくれた人もいる。

 軽く会釈を送ってくれる人もいて、わたしも彼女らに小さく頭を下げた。


 ともあれ、聖堂の片隅にある一室にわたしはたどり着いた。


 特別な用事のない限り、この部屋に引きこもっているはずだ。


 「ねぇ、いるんでしょ?入るよ」


 気配がするのでそう声を掛けて扉を開ける。

 返事はあったりなかったりだから、気にせず足を踏み入れる。


 案の定、何日も窓を開けて風を通した様子がない。空気がこもっていた。

 軽くせき込みながら部屋の中に足を踏み入れる。あくまで個人の部屋のはずだが、書棚が備え付けられていて、書物や古文書が、床の上まで散らばっていた。


 「クロノア」


 わたしがその名を呼ぶと、書物の山の中でもぞもぞとこちらに背中を向けていた少女が振り返った。


 さすがに室内でヴェールは被っていない。

 黒髪黒瞳の、痩せた小柄な少女がわたしの方をうっそりと振り返る。


 「よう、しばらく顔合わせなかったけど、元気してた?」


 わたしが話しかけると、クロノアは「まあね」とつぶやいた後で、また机に向かって分厚い何かの書物を読み始めた。


 〇


 クロノアと話す時は大体いつもこんな感じだ。


 気にするだけ無駄なので、そっと床に積まれた書物の間を抜けて窓に近づき、窓枠に積もった埃を払ってから窓を開けた。


 「……なにしに来たの?」


 部屋の中に風が通ると積もっていた埃が舞った。

 クロノアが、迷惑そうにわたしを振り向くのに、わたしは胸元の聖印を示す。


 「正式に聖女になったから、その報告」

 「……あ、そ」


 クロノアは頬杖を突いて机に向き直る。


 わたしは無造作に投げ出されていた書物を、なるべく配置を変えないように埃を払ってから置き直す。そういう作業を繰り返して、チリトリに集めた埃を窓から掃き出していると、また背中からクロノアの声がぼそりと聞こえた。


 「なんの能力に目覚めたの?」

 「瘴気の浄化だってさ。修道長から、ひょっとしたら、って言われてたけど」


 わたしが答えると、クロノアが机の上からわたしの方へ振り返った。

 窓から差し込む日の光に、まぶしそうに目をしぱしぱさせる。


 クロノアがわたしの顔をじっと見詰めているので「どうかした?」と尋ねる。


 「……別に」


 そう言って、ふいっと顔をそらす。


 あの──亜人の襲撃から辛くも生き延びた夜から、十年。


 わたしとクロノアは、最寄りの町の〈大陸正教会〉の支部に無事送り届けられ、そこから事情を話し、再び〈聖都〉を目指して旅を続けて──ようやく聖女見習いとして受け入れられた。


 その時から付き合いが続いているが、クロノアはずっとこんな感じだ。


 所属する宗派も分かれて常に一緒にいるわけではないが、クロノアが他に人付き合いをしている様子はないし、わたしはわたしでごく親しい相手というのは、クロノア以外だとシャノア修道長くらいしか思い浮かばない。


 まあ、つまり──あれからずっと、この縁は続いているわけだ。


 わたしが窓から身を乗り出して埃の臭いのする寝具を叩いていると、気が付けばクロノアが近くに来ていた。


 「……また、大きくなってる」


 一生懸命、背中を伸ばしているわたしの姿を見て、クロノアがぼそっとつぶやく。

 わたしは苦笑した。


 「ご飯が美味しいからね。クロノアもたくさん食べなきゃ大きくなれないよ?」

 「……アンナが大きくなり過ぎなだけ」


 「私だって成長してる」と、不満げにクロノアは唇を尖らせる。

 こういう年相応の素振りを見せられるのも、わたしの前位なのだろう。


 わたしは窓枠に腰を下ろして、クロノアと向き合った。


 「クロノアは今、何やってんの?異能の研究の手伝いをしているんだっけ?」


 クロノアはわたしと違い、〈聖都〉に着いて一通り試験を受けた後ですぐさま聖女の認定を受けた。


 彼女の能力は──予知。


 かなり珍しく、そして貴重な能力らしい。

 なので人間の異能を研究する〈エゾク派〉が直接申し入れをして、クロノアを引き取り、その研究と実験をクロノアの同意の元で進めているとか。


 とはいえ、かなり不安定な能力らしい。

 ほとんど制御が利かず、予知できる内容もまちまちだと聞いている。

 主に眠っている間──夢を見る時にその能力は発揮されるそうだ。


 (多分、あの夜のことも、ある程度、知ってたんだろうな……)


 わたしは、出会った時のことを思い出し、クロノアのあの時の様子を思い起こす。


 そうであるなら、あの時の振る舞いもあくまである程度だけど説明できる。

 まだ幼かった彼女には、どうしたらいいかも分からない事も多かっただろうし。


 ──「今は、夢を、見てる」


 ふと、物思いにふけっていたわたしは、クロノアの返事に我に返る。

 自分の能力の実験の話だろう。


 「えっ?夢……なんの夢?」

 「女の子の夢」


 たまにクロノアは、わたしには理解の及ばない事を言う。


 「えーと、それって、大事なことなの?」

 「ええ、とても」


 「英雄になる女の子の夢だから」と、クロノアがつぶやく。

 

 正直、わたしは疑問符を頭に浮かべるしかない。

 まあ、分からない事を言われたからといって、いちいち困惑してたら、クロノアと会話は成り立たない。


 「わたしには分かんないけど、クロノアがそう言うなら大事なことなんだね」

 「うん」


 クロノアはそればかりは確実なことだと言わんばかりに深くうなずいた。


 「多分……」


 そうして、クロノアはうつむいて自分の握り締めた手を見下ろした。


 「多分、私たちにも係わりのあることだから……」

 「そうなの?」


 わたしは何気なく尋ねたが、クロノアはそれ以上は口ごもってしまった。

 気にはなるけど……無理に聞いても答えは返ってこないだろう。


 わたしは一通り埃を払ったクロノアの室内を見渡した後で窓を閉め直し、部屋の扉へ向かった。


 「じゃあ、今日はこの辺で帰るわね。修道長からは休むように言われてるし」


 「それじゃね」とわたしはクロノアに軽く手を振って、彼女の部屋を出る。

 と──


 「……修道長に、何か頼まれなかった?」


 扉を出ていく間際、ふとクロノアが問いかけてきた。

 わたしは思わず彼女を振り返ったが、クロノアは本を読み進めていて、こちらを見てはいなかった。


 ただ──少しばかり問い詰めるような彼女の声音が気にかった。


 「えっと……」


 おおっぴらに答えていいものかどうか迷ってわたしは答えに窮する。

 そうしていると、クロノアは再び淡々と口を開いた。


 「その頼まれごと……断った方がいいと思う」


 クロノアがこういう事を強く言うのは珍しい。

 ただ、わたしも世話になっている修道長の頼み事を無下にはできないわけで──


 「そうだね。断れたら、断っとくよ」


 そう答えを曖昧に濁して、わたしはクロノアの部屋を去った。


 〇


 部屋に戻るとシャノア修道長の言い付け通りに体を休めた。


 日が落ちると、やはり力を行使した疲れが残っていたのだろう。

 自然と瞼が重くなってきて、ベッドに横になると途端に眠気が襲ってきた。


 ずるずると眠りに落ちながら、わたしはふと思い出す。


 (女の子の夢……英雄になる女の子の夢、か)


 今夜も、クロノアはその子の夢を見るのだろうか?


 そんな疑問と共に、わたしの方は夢も見ない真っ暗な深い眠りのふちへと沈み込んでいったのだった。

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