第一章 それぞれの旅立ち
第一話 浄化の聖女は覚醒して、ぶっ倒れる
目を閉じて精神を集中していたわたしは、まぶたを開いた。
そうして、目の前の台座に置かれていた透明な結晶を手に取る。
「それでは、えっと、アンナ・クロフト、始めます。……万が一の時は、ご迷惑をおかけしますが、『後処理』を宜しくお願いします」
念の為に、周囲で控えている聖女──浄化の能力を持った聖女に頭を下げる。
危険な試験であることは、予め知らされていた。
それでも、これを乗り越えられなきゃ、わたしはいつまで経ってもうだつの上がらない見習い聖女のままだ。
わたしがゆっくりと意識を手の中の結晶に向ける。
それを見届けると、周囲で控える浄化の聖女たちもすぐにその能力を行使できるように身構えた。
わたしの手の中にある結晶には、ごく微量ではあるが黒い淀みが含まれている。
正真正銘の、瘴気だ。
一度、扱いを間違えたらその汚染は瞬く間に広がっていく。
当然、真っ先に犠牲になるのはわたし自身だ。
それでも可能性があると知らされれば、確かめずにはいられない。
わたしは結晶の中にある瘴気に向けて、意識を集中させる。
確かに、手応えがあった。
ぎゅっと瞼を閉じて更に精神を深く研ぎ澄ませる。
結晶の中に封じ込められた瘴気はごくごく微量の物だ。
これなら、本当にできるかもしれない。
聖女の力──人智を超えた異能の力というのは、なにより本人が可能と思えることが肝要なのだという教えもある。
つまり──なにより、わたし自身が可能だと感じれば、自然とうまくいくのだ。
少し間を置いて、わたしは目を見開いた。
(結晶の中の瘴気、は……)
澄んだ光を反射する結晶の中にわだかまっていた黒い異物を確かめる。
わたしの手の中にあるその結晶の中に封じられた瘴気は──
──確かに、跡形もなく消えていた。
一瞬、わたしは息を呑んで手の中の結晶をまじまじと見詰めた。
しかし、すぐにそれを誇らしげに高々と掲げてみせた。
「や……やったー!わたし、確かに浄化ができ……」
浄化の聖女やその場に集まった〈大陸正教会〉の司祭の方々に確認してもらうのに、私は結晶を持ったまま嬉しさと喜びを全身で表現するのに飛び跳ねた。
だけど──
「で……き……?」
不意にわたしの視界はぐにゃりりと歪んで、そのまま上下の感覚を失った
同時に骨が抜けたように足腰が立たなくなる。
「……たはーーーーーーっ!?」
気が付けばわたしは素っ頓狂な悲鳴を上げて、その場に倒れ込んでいた。
周りの聖女や教会の聖職者が駆け寄ってくる足音を聞きながら、わたしの視界は急速に明るさを喪い、そのまま真っ暗な闇に閉ざされてしまった。
〇
次に目を覚ました場所の天井には、見覚えがあった。
わたしの所属する〈コルバン派〉の聖堂、その一角にある医務室の天井だ。
頭を打ったり、どこか足腰を捻ったりした感じではない。
ちょっとまだ目の奥がぐらぐらと揺れていたが、それでも寝かされたベッドの上でわたしは体を起こそうとした。
──「まだ、無理をしては駄目よ、アンナ」
すると、額をそっとしなやかな手で押し留められた。
聞き覚えのある声に目だけでそちらを向くと、優美でおっとりとした雰囲気の──もう一人の聖女がベッドの脇に立っていた。
多分、彼女が試験会場から此処まで運んできてくれたのだ。
「えっと……わたしが倒れたの、あなたが治療、してくれたんですよね、シャノア修道長」
エレン・シャノア修道長。
わたしと同じ〈コルバン派〉の、癒しの力を持った聖女だ。
〈聖都〉に来たその日から、わたしの事を何かと気に懸けてくれる恩人でもある。
「申し訳ないです」とわたしが詫びると、シャノア修道長は軽く腰に手を当て、ベッドの上のわたしを見下ろした。
「そうね。……でも私に謝るより先に、報告することがあるんじゃない?」
「あっ、はい、そうですよね」
シャノア修道長はわたしがベッドの上で体を起こすのを、丁寧な慣れた手つきで介助する。
きっとこうして、何人も怪我人や病人を救ってきたのだ。
相変わらず優しいなあ、まだ若いのに出来た人だよなあ、なんて内心思う。
わたしは彼女の手を借りながら、クッションを背に挟んで体を起こした。
「シャノア修道長のおっしゃった通りでした」
「わたし、浄化の能力を持ってました」と浮き立つような気分で報告すると、シャノア修道長もこくりとうなずいた。
「ええ、私にも報告が来たわ。これであなたも正式に本部から聖女として認められることになる。……浄化の聖女、としてね」
「えへへへ」
シャノア修道長に告げられると、改めて嬉しさが込み上げてくる。
これで聖女の見習いから一歩先に進んで、〈大陸正教会〉に認められた正式な聖女としての地位を得たことになる。
「……まあ、まだ色々と手続きはあるのだけど、ひとまず、ね」
シャノア修道長は一つうなずいて手近にあった卓から何かを手に取る。
わたしに差し出したシャノア修道長の掌の上には、金の聖印がのっていた。
「あ、聖女の……」
実際に目の前にすると、さすがに身の引き締まる思いがした。
わたしが自然と背筋を伸ばすと、シャノア修道長は厳かな手付きでわたしの首にそれを掛けてくれた。
「これは、あなたが生まれ持ったその力を、多くの人の為に役立てることを誓った証。……その重みを忘れないようにね」
シャノア修道長の言葉を噛み締め、わたしは自分でもその金の聖印を手に取った。
聖女の証の、金の聖印。
「……はい」
わたしが息を整えうなずくと、シャノア修道長も微笑みうなずき返した。
〇
「後、これも使うといいわ」
そう言ってシャノア修道長が差し出したのは、薄手の白い手袋だ。
「これは……?」
「扱いを間違うと危険な能力だったり、制御が不安定な時に使う魔装具──といっても気休め程度の物だけどね」
わたしはひとまずその手袋を受け取り、両手に着けてみた。
あんまり邪魔にならないといいな、と思っていたが、これなら普段の手作業程度は問題なさそうで、安心する。
「アンナの場合は、力を行使したら倒れて気を失っちゃうみたいだからね」
「はい……あの、精進します」
わたしが気まずさに背中を縮めると、シャノア修道長はくすりと笑う。
しかし、すぐにその表情をすっと引き締めた。
「分かっていると思うけど、瘴気の浄化能力はそれだけで人の役に立つ貴重な能力だけど、それと同時に自身の危険とも隣り合わせの能力でもある」
真面目な話だ。わたしは改めてシャノア修道長に向き直った。
「そもそも『瘴気』がどういう存在か、アンナは説明できる?」
「えっと……この世界に満ちる力、魔素、の一種と言われています」
「そう。しかし瘴気の性質は精霊種が扱う他の魔素と比べても、極めて異質なの」
シャノア修道長はふと自分の周りを見渡して、机の上にあったインク壺と紙を一枚採って、私のベッドのそばにあった卓の上に置いた。
「普通の魔素はそれを感知し操る精霊種を通してしか、人間やその他の環境に影響を及ぼすことはない」
「でも瘴気は違う」とシャノア修道長はインクを真っ白な紙の上に垂らす。
「瘴気はそれ自体がおのずと周囲の動植物、環境に影響を及ぼす。まるでそれ自体に本能があるかのように振る舞い、増殖し広がっていく」
インクの黒い染みが紙の上に広がっていく。
そのまま広がっていこうとするのを、シャノア修道長はすっとインク壺を除けてインクの染みが広がるのを止めた。
「一般的には、物理的に封じることでしか瘴気の増殖は止めることができない。瘴気そのものに働きかけられるのは……アンナ、あなたのような浄化の聖女だけなの」
うわ、思った以上に責任は重そうだ。
わたしがごくりと唾を呑み込む姿に、シャノア修道長は目を細めた。
「浄化の聖女の能力が重宝されるのはその為。一度、瘴気に染まってしまった人や動物、その亡骸、土地を元に戻せるのは浄化の能力だけだから」
そう言って、わたしの顔をシャノア修道長はじっと見詰めた。
「……しょ、精進します」
わたしは、ぎくしゃくとうなずいた。
がちがちに強張った顔を見て、シャノア修道長はふっと微笑んだ。
「とはいえ瘴気は、他の要因が絡まない限り大規模に増殖はしない。自然発生したとしても大抵はその影響も限られたものになると思う」
「そっ、それなら、そうそう深刻な事態にはならなそうですね」
「脅かさないでくださいよぉ」とわたしが笑うと、シャノア修道長も明るい笑みを浮かべて立ち上がった。
「私はそろそろ行くわ。アンナも、今日はもう普段の仕事は休みにしてあるから、部屋に戻って体を休めるようにね」
シャノア修道長はそう言って、わたしの背中を労わるようになでた。
「あっ、はい。お世話になりました」
わたしはその手の温もりを感じながら、やっぱり優しい人だなあ、とシャノア修道長の顔を見上げた。
だが、次の瞬間シャノア修道長は若干、表情を曇らせた。
「ああ、それと、アンナ……」
「はい、なんですか?」
シャノア修道長は少しだけ
「しばらく後の事になると思うけど、こちらでお客様をお迎えする予定があるの」
「へえ?何処か遠方からのお客様なんですか?」
興味を惹かれてわたしが尋ねると、シャノア修道長は「そうなの」とうなずく。
「そのお客様の相手を、大聖堂の方から頼まれてね。……相談事があるらしいのだけど、アンナにも同席して欲しいの」
「それは構いませんけど……」
「どうしてわたしが?」と尋ねようとしたが、シャノア修道長はそのまま「お願いね」と席を立って医務室を出ていってしまった。
まあ、忙しい人だからわざわざ引き止めるのも悪い。
わたしはそのまま彼女を見送った。
そうして、一つ息を吐いて改めてちょっと自分の体の具合を確かめてみた。
多少、頭が重い感じがするが気分は悪くないし、手足も問題なく動く。
「せっかく聖女になったんだ」
わたしは自分の胸元に輝く聖女の聖印を見下ろし、浮き立つような気分になる。
「あいつにも見せびらかしに行ってやろ」
ベッドの上でにっ、と笑ってわたしは床の上に足を下ろした。
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