序章その2 英雄の娘は弔う

 ※※※※※


 丘の上──


 地面を埋め尽くすほど、数多く古びた墓が並ぶ、その場所。


 丘の頂にはいつの時代からあるものかも判然としない古色蒼然とした霊廟がある。


 陸の上に建てられたその霊廟は、丘に眠る戦で命を落とした英傑たちの永久の眠りを物言わずただ見守っている。


 言葉を発することなく、ただ父の弔いの儀を見ている、私のように。


 〈英傑の丘〉と呼ばれる墓所の一角。そこで私の父の弔いの儀が行われていた。

 私はそこで、拳を握り締めて立ち尽くしている。


 ──「我らが同胞であったセブレス卿は〈不死の軍勢〉から、自らの領地と民草を守らんと。敢然と立ち向かった。彼の振る舞いは気高い騎士の誇りを示した」


 幼い私に代わって喪主を務めるダイダーグ侯爵の朗々とした声が響く。

 私の父は、英雄の名と共に棺に納められ、葬られる。


 戦なんてなくなった、この平和な時代で。。


 ふと私の耳に、背後のすぐ近くからささやき交わす声が聞こえてきた。


 「まだ年端としはもいかぬ身で、唯一の血縁であった父を喪ったというのに……気丈なのか、それとも情が薄いのか」

 「自分の身がどうなるか、それを考えるので精一杯なのかもしれん」

 「ああ、しかし、いずれにせよ……」


 ──情けの薄い娘には、違いない。


 密やかなささやき声に、私は両の拳をきつく握り締めていた。


 物心ついた頃からそうだった。


 表情が硬いとか、感情の動きが鈍いとか、嬉しいなら笑って、悲しいなら泣けばいいのに、とか──


 (どうしたらいいんだろう?)


 泣けばいいんだろうか、父の入った棺に取りすがって、涙をこぼせば。

 しかし──


 「彼は〈英傑の丘〉に眠る我らの猛き先祖の魂と共に祀られるにふさわしい。数々の『英雄』の名を継ぐその血筋に連なる一員だと、その行動でもって示した故に」


 父の葬儀を執り行うのはダイダーグ侯爵は父の長年の盟友であった人だ。


 父は砦の監視からもれた〈不死の軍勢〉が自分の領地に出没していたのを撃退する為に剣を手に持った。


 〈不死の軍勢〉はその名の通り、討伐しきることは出来ない。

 厳重な監視に置かれた〈不浄の王国〉。

 かの地からさまよい出た群れを追い返す以外に、この地の人々に対処法はない。


 その〈不死の軍勢〉を、父は集落から兵と共に自分へ引きつけようとした。

 そして──犠牲になった。


 だから──この〈英雄の丘〉に葬られるのだ。


 (でも、英雄、なんて……)


 そう呼ばれて、父は果たして喜ぶだろうか?


 私には分からなかった。

 戦の中で命を落とした先祖の眠る陸に埋められていく、父を納めた棺を見下ろす。


 父は穏やかな人だった。


 人と争うのが苦手で、我を通すより場が丸く収まる事を優先した。

 そのせいで損をすることも度々あり、私は子供ながら呆れてしまったものだ。


 (優しい人だったから、領民を守る為に、敵に立ち向かうのを選んだっておかしくない、けど……)


 その戦いの中で命を落とし、それをほまれとする事は決してないのではないか。


 ──私には分からない。私はうつむいて拳を握り締めた。


 父を気高い英雄として扱い、その誉れを湛える人々。

 非業の死を遂げた父を偲び、私に悲しむ姿を見せろという人々。


 大人たちに囲まれている間に、私はすっかり自分の気持ちを見失っていた。


 悲しみに打ちひしがれて、子供らしく涙を流せばいいのか──

 それとも『英雄の娘』らしく毅然と受け入れればいいのか──


 私の心だけを置き去りに、厳かな空気のまま父の弔いの儀は続いた。


 〇


 弔いの儀が終わった後、私は父の葬られた墓の前で立ち尽くしていた。


 集っていた人々は既に、丘の上の霊廟に戻ってそれぞれに帰り支度を始めている頃だろう。


 私だけがただ一人その場に残ってたたずんでいた。

 そうしたら、本当の自分の気持ちが分かるかもしれない、と思って。


 ──「なあ、少しいいか、君」


 すると、不意に声を掛けられて私は顔を上げた。


 「君は、セブレス殿の娘の……ウィクトリカ、だね?」


 弔いの儀に相応しい黒い軍服に身を包んだ、浅黒い肌の大柄な男だった。

 葬儀の最中に見かけた気もするが、はっきりとは覚えていない。


 少し呆けていた私だが、見苦しい姿を見せたくはなかった。

 姿勢を正して、見上げるほどに大きなその男性に背筋を伸ばして向き直る。


 「はい、そうです。この度は父の弔いに参列していただき……」

 「いや、いいんだ。私に気を遣ってくれなくていい」


 素早くそう言って私の言葉をさえぎったその人を、私はぽかんとして見上げた。


 「突然の事で辛かっただろうに、儀式の間、君は落ち着いて取り乱す様子もなかった。立派だと思う」

 「そんなこと……」


 ただ自分を見失っていただけだ、と言おうとして口ごもる。

 言葉を失う私を見詰めて、その人は地面へと視線を落とした。


 「だが、もし……無理をしているのだとしたら、私に気を遣う必要はない」


 浅黒い肌に短い髪のその人は、真っすぐな気遣いを私へと向けているようだった。

 再び、目を上げて私を見詰める眼差しは、真摯しんしな光を帯びていた。


 「私は若い頃にセブレス殿とも親交があった。……まさか彼がこんな亡くなり方をするとは思いもしなかった」

 「そうなの、ですか?」

 「ああ。……彼はなにより、争い事が苦手だったから」


 並んで父の墓を見下ろすその人の横顔に、私は思わず目を遣った。


 「若い頃、私とはその点で意見が合わなかった。その時の私は、我を通すよりその場が円満でいることを望む彼の態度が柔弱なように思えたから……」


 懐かしそうにそう口にした後で、その浅黒い肌の騎士は、私を振り返り、はっと目を見開いた。


 「いや、すまない。故人を貶めるようなことを言うつもりではなかった」

 「いえ……」

 「ただ、無益な争いを避けるというのが、その時の私には分からなかっただけだ」


 「彼は、賢く優しい人だった」とその人はしみじみと父の葬られた墓を見詰めた。


 「あの……それで、私に何か?」


 何か用があってわざわざ葬儀の後、声を掛けてきたのではないか。

 私がそう思って尋ねると、その人は改めて私に向き直った。


 「私は君の父君だけでなく、祖父とも係わりのあった者だ」


 そう言って、その人は精悍せいかんな顔つきになる。

 何かとてつもなく大きな出来事を経験した、一人の人間としての顔。


 「私の名はバージル・オルスタイン。君の祖父が団長を務めた〈天嶺鷲騎士団〉に所属して、彼に多大な恩義を受けた者だ」

 「バージル……オルスタイン」


 私がその名をつぶやくと、バージルと名乗ったその人は深くうなずいた。


 「実は私も、去年家族を亡くした」

 「えっ……」


 静かに私を見詰めるバージルが「だからというわけではないが」と、太い腕をそっと所在なさげに組んで、深く息を吐いた。


 「葬儀の最中の君の様子が気にかった。……周りの者の目を気にして、どう振る舞えばいいのか分からないでいるように見えたから」

 「…………」

 「私も、家族の葬儀の時まるで同じだった。家族の死を悲しめばいいのか、それとも領民の前で嘆き悲しむ姿を見せない方がいいのか結局分からないまま、自分の気持ちを見失ってしまった」


 「不器用だよな」と自嘲の苦い笑みを浮かべてバージルは改めて私を見た。


 「だから、もし、君も私と同じだとしたら……不憫ふびんだと思ったんだ」


 「だから」とどこまでも真っすぐに、バージルは私に申し出る。


 「……ウィクトリカ・コンデンズ。私は君の力になりたいんだ」


 一瞬、私の反応を窺った後で、バージルはゆっくりと口を開いた。


 「君さえよければ、私が君の身元を引き受けようと思う」


 私は一瞬、迷った。


 バージルの言葉に裏はないように思える。

 彼はあくまで私に共感を示して、その上で困っているようなら力になりたいと申し出てくれているようだった。


 だけど──

 



             ≪バージル・オルスタイン≫

      ≪彼は信用できる人だから、今はこの申し出、受けた方がいい≫



 ──「ウィクトリカ?」


 私は、ふとぼうっとたたずんでいる自分に気が付き、我に返った。

 顔を上げるとバージルがいささか心配そうに眉根を寄せていた。


 「いえ」と私は小さく息を吐いて、それで──


 ──「父を喪い、天涯孤独の身の上です」


 私は深く、バージルに向けて頭を下げた。


 「どうかよろしく、お願いします」


 こうして私──ウィクトリカ・コンデンズは祖父に恩があるというバージル・オルスタインと知り合った。


 天涯孤独の身となった私は、彼の家に引き取られることになったのだった。

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