聖女は英雄の夢を見ている
りょーめん
第一部 起点
序章その1 聖女二人は出会う
たとえばの話だ。
たとえば、多くの人の助けとなり誰からも愛され大きな功績を成した後、大勢の人に惜しまれながら第一線を退き、〈大陸正教会〉の要職について、大陸の平和に貢献し、後の世にまで語られる──
誰からも認められる生を送った聖女でも、きっと幼い頃は恵まれなかった。
わたしは、そう思う。
──「とにかく、今すぐその子を連れてってちょうだい!」
雑然とした街並みの一角。
一軒家の裏口から聞こえる女性の叩きつけるような声を聞きながら、わたしは
やせっぽちの小さな女の子。
裏口から遠慮なく聞こえてくる女性の
それでも、水たまりの浮いた地面を見詰めたまま眉一つ動かさない。薄汚れた服を着た女の子。
女の子の母親に応対している修道女が何事か
それでも、母親は家の中から遠慮なしに声を張り上げていた。
「とにかくもう一時だってそばに置いておきたくないのよ!分かる?何をしたってにこりともしない!赤ん坊の頃から癇癪を起こしたり泣きもしない!」
母親の声に重なって、家の中からは赤ん坊の泣き声も聞こえた。
多分、この子の弟か妹だ。
「それどころか、絶対に知るはずのないことを私に話しかけてきたりするのよ!?目の前で突拍子のないことが起こっても、まるで最初から知っているみたいに平然としていて……」
「もうたくさん!」と、最後には泣き叫ぶような声だった。
わたしは、ため息を吐いて、そっとそばに立っていた女の子の手を握った。
その子の手は小さくて、ひんやりとしていた。
「……気にすることないよ」
わたしがぽつりと言うと、女の子が黒目がちな瞳で私を見上げた。
「これまではわたしたちツイてなかったかもだけど、これからはきっと違う」
「知ってる?」とわたしは女の子の小さな手を握り締めた。
「わたしたちこれから〈聖都〉って場所に行くんだ。そこで聖女になる為の修練を積むんだよ」
「…………」
「人の役に立つ仕事をして、きっと沢山の人に感謝される。そして、立派に勤めを果たした後は教会から役職をもらうんだ」
答える言葉はなかったけど、わたしはしゃべり続けた。
「みんながわたしたちに喜んで会ってくれる。大陸中央の国の王様とか、辺境の貴族とか、獣人種の族長、精霊種の学者……〈帝都〉の皇帝陛下とも会えるかもしれない。みんながわたしたちを歓迎して、大きなパーティーを開いてさ、きっと美味しい物もお腹いっぱい食べられるよ」
言いながら、そう上手くいくとは限らないことをわたしは知っている。
でも、この際いいじゃないか。
未来になにがあるかなんて、誰にも分かりはしないんだから。
「だからさ。今がきっと一番、ツイてないだけなんだよ」
「…………」
わたしが握り締めている自分の手を、女の子はじっと見詰めていた。
「わたし、アンナ」
わたしは自分から名乗って、ちょっと腰をかがめて女の子の顔をのぞき込んだ。
すると、ぽつりと女の子が口を開いた。
「……クロノア」
「そっか、これからよろしくね、クロノア」
わたしはクロノアと名乗った女の子の手を握ったまま、そこで立っていた。
やがて、クロノアの母親を宥めて辞去してきた〈大陸正教会〉の修道女が、大きく息を吐きながら扉を閉ざして、こちらに歩いてきた。
わたしはクロノアの手を引いて、その修道女についていった。
〇
〈大陸正教会〉の修道女はわたしたちを連れて、一度、その町の衛兵隊を訪ねた。
「今の時期は雨が多い。こちら側の街道は道も険しいし、おすすめしないな。近頃は亜人の群れが出没している情報まである」
「なるべく早く〈聖都〉に戻りたいのです。護衛つけていただくわけにはいかないでしょうか?」
「そうは言ってもな。……傭兵の口利きくらいならしてやれるが」
なんだか揉めている様子だった。
わたしは少し離れた場所に立っているクロノアの所に戻って、ぼんやり突っ立っている彼女の隣に所在なく立った。
そうしていると、不意にクロノアがわたしの手をつかんできた。
「どうかした?」
わたしが振り返り尋ねるとクロノアは無言のままうつむいた。
ひょっとしてそうかな、とは思っていたけど極端に口数の少ない子だ。
わたしの方から声を掛けたから、道中、クロノアの面倒はわたしが見る。
まあ、手がつけられない位暴れたり突然泣き出したりする心配はなさそうだ。
「平気よ。シスターに任せてたら、すぐに話をまとめてくれるから」
わたしが言っても、クロノアは浮かない顔付きのままだった。
〇
結局、別の場所で数人の傭兵を雇って、その町を離れることになった。
馬車や馬を借りる余裕なんてなくて、街道をぞろぞろと連れ立って歩く。
大人たちは体の小さなわたしやクロノアに歩調を合わせてくれはするが、なるべく急いでいる感じがした。
さっき衛兵の詰め所で聞いた、不穏な噂が関係しているのかもしれない。
天気はよくない。雲がどんよりと低く垂れ込めている。
今朝まで降り続いていた雨のせいで道がぬかるんでいて、あんまり順調に進んでいるという感じはしなかった。
「まずいな、この先の峠道が土砂で塞がっているみたいだ」
辺りが薄暗くなってきた頃、先行していた傭兵の一人が戻ってきてそう報告する。
「雨が降り続いていたからな。一人ずつでも通れそうにないか?」
「完全に道が塞がっちまってるよ。迂回するしかない」
大人たちの話を横目に伺っていると、またクロノアがきゅっとわたしの服の裾をつかんできた。
そうすると、傭兵のリーダーらしい人がこちらに近づいてきた。
「お嬢ちゃんたち、今夜はこの先の見通しのいい場所で野宿になりそうだ。そこまで頑張れるかい?」
「あっ、はい」
若干、困り顔のその傭兵にわたしはうなずく。
内心、雨に濡れたりしたら嫌だな、と思いはした。
しかし、わがままを言える状況じゃないのは一目瞭然だった。
「わたしは平気です。……クロノアも、平気よね?」
わたしは尋ねたが、クロノアはうつむいたままどこか浮かない表情で、かすかに目を伏せただけだった。
〇
その日はしばらく森の中の道を歩いた先の、ひらけた草地で野営を張った。
今にも雨が降り出しそうな空の下での野営だ。
傭兵の人たちが、私とクロノアの寝床に雨除けを張ってくれる。
彼らに礼を言って、その雨除けの下に入ると、既にクロノアが膝を抱えて座り込んでいた。
物音も立てずにそこにいるクロノアに少し驚く。
まあ静かなのは悪いことじゃないし、わたしはクロノアの隣で横になった。
「今日はここで寝ることになるけど」
相変わらずクロノアは返事しないが、不平や不満を訴えるでもなさそうだ。
「狭かったりしたら遠慮しないで言って。わたしはもう寝るよ」
腕を枕に地面の上に敷いた毛布の上に私は直接ごろりと寝そべる。
「明日は、次の町に着いてちゃんとベッドで寝られる。ご飯もお腹いっぱい食べられるだろうから、一晩限りの辛抱だ」
「…………」
色々と話しかけてはみるものの、クロノアはほとんど喋らない。
嫌われているわけではないだろうけど、ひょっとしてうるさいと思われてないかなとは、少しだけ思う。
「じゃあね、おやすみ」
それだけ言ってまぶたを閉じると、クロノアが隣りでぴたりと寄り添ってくる。
「私も、寝る」
「……そう」
わたしは目を見開いて、クロノアの手を握った。
「明日はいい日になるといいね」
雨除けを見ながらわたしがそう言うと、クロノアがぎゅっと私の手を握ってきた。
「明日……」
ぼそりと何かを言いかけて──でも、クロノアは私の隣でこくりとうなずいた。
「そうだね」
クロノアがそう答えてくれたことにわたしもほっとして瞼を閉じた。
〇
「アンナ!」
誰かに強く肩を揺さぶられ名前を呼ばれて、わたしは目を覚ます。
雨除けの下ではっとして起き上がると、辺りは夜の闇に包まれ──それ以上に酷い騒ぎになっていた。
「なっ、なに!?」
そうしている間にも、周りで騒いでいる傭兵たちの声が大きくなってくる。
私は昼間に聞いた衛兵とシスターの会話を思い出した。
「まさか、亜人が襲ってきたの!?」
わたしがとっさに口にすると、クロノアが何度も激しくうなずいていた。
「っ!シスター!」
私はすぐ近くで寝ていた修道女を起こそうとして──凍りつく。
修道女は何か子供みたいな小柄な影に群がられて悲鳴を上げていた。
手に手に鈍器や鋭いナイフを持った──〈
手に持ったそれらが振り下ろされる度に修道女の動きが次第に弱々しくなる。
やがて完全に動かなくなるのを見て、わたしは頭の奥が痺れたようになりながら、それでも背後のクロノアを振り返った。
「逃げるよ!」
わたしはクロノアの手を取って、素早く野営地を駆け抜けた。
周りで亜人たちの奇襲を受けた傭兵たちが次々と悲鳴を上げて倒れていくのを横目に見ながら、ぐっと歯を食いしばってクロノアの手を引いて逃げた。
来た道を引き返せば、町の衛兵に助けてもらえるだろうか。
いや、それより、ひとまず森の中に身を隠すのが先決だろうか。
いや、今はなにより──なによりも──
せめて、クロノアだけでも、逃がさないと──
そう思った瞬間だった。
何かがきらっと光って、空を切る音を立ててわたしめがけて飛んできて──
──「だめぇっ‼」
クロノアの悲鳴が聞こえて、彼女がわたしの手を強く引くのを感じた。
※※※※※
次の瞬間、わたしは不思議な物を見た。
わたしは、そのまま駆けていくわたしの背中を見ていた。
えっ?と思わず声を上げて立ち止まる。
すると、わたしの目の前にいるわたしの胸を、飛んできた矢が貫いた。
矢に深々と胸を貫かれたわたしは、どさりと力なく人形のように地面の上に倒れて横たわった。地面を、わたしの胸から流れ出た血が真っ赤に染めていく。
意味が分からない。
目の前で倒れているわたしは硝子玉みたいな目で虚空を見詰めて事切れている。
じゃあ、今、ここで死んだわたしを見ているわたしは、一体──
※※※※※
「アンナっ!」
クロノアに強く手を引かれて、わたしはその場に立ち止まった。
すぐ目の前の地面に、とすっ、と鋭く空を切って飛んできた矢が突き刺さる。
わたしは間一髪すれすれの所を掠めていったその矢を、呆然と見下ろしていた。
立ち尽くすわたしの手をクロノアが力一杯引いた。
「逃げようっ!」
クロノアの必死な顔を見返して、わたしは我に返ってうなずき返す。
そして、二人でつないだ手を決して離さないように握り締めて、夜の闇を駆けた。
〇
クロノアは懸命にわたしの手を引いて走っている。
その小さな体のどこにそんな力があったのか、きつくわたしの手をつかんで、そして暗闇に包まれた森の中をためらうことなく進んでいく。
「クロノア……道が、分かるの?」
迷いなく茂みを突っ切り、木々の間を駆け抜けるクロノアの背中をわたしは息を切らせながら追う。
クロノアはその質問には答えない。ただ火の点くような勢いで呼吸を繰り返し、懸命にわたしの手を引いて全速力で森を駆ける。
足元もおぼつかない暗闇の中、そんな事をすれば最悪ひどく転んで大怪我をしかねないはずなのに、クロノアの足取りは危なげない。
──まるでどこに足を運んでどこを進めば安全か、最初から知っているみたいに。
わたしはそんなクロノアの後を追うのに必死だった。
亜人の群れは今もわたしたちを追いかけている。
彼らの気配が森の奥から伝わってくる。
(でも、本当に……)
本当に、わたしとクロノアの足で逃げ切れるんだろうか。
木々の間から矢を射かけられているのを背中に感じる。
空を切って、わたしのすぐ後ろを〈小鬼〉たちの放った矢がかすめている。
もうこれ以上は体力がもたないと感じて、膝から倒れかかった時だった。
突然、目の前が開けた。
石畳の敷き詰められた広い街道だ。
そして、そこを松明を手に、武装した兵士の隊列が通りがかるのが見えて──
──「助けてっ!助けてくださいっ‼」
わたしはクロノアと共に、その武装した兵士たちの隊列に飛び込み、必死でその身に迫った危険を訴えたのだった。
〇
兵士に助けられ、呆然としている間に夜が明けていた。
わたしたちは、近隣の町や村の衛兵で編成された亜人の群れの討伐隊と行き合って救助された。
わたしたちを追っていた亜人の群れも目の前で打ち倒された。
わたしたちが事前にその存在を知らせたお陰ですぐさま態勢を整えた討伐隊は、負傷者を出しながらも亜人の群れを掃討したようだった。
「あの……わたしたち〈聖都〉に向かう所で、それで、この先の森の中で野営を張っていたんですが、そこを、突然襲われて……」
昨日と打って変わって晴れ渡った空の下、わたしは討伐隊の兵士に事情を説明した。そこへ周囲の状況を確認に出ていた兵士の一人が口添えをする。
「その子の言う通りだ。この先の森の草地で、数人の傭兵と修道女が死んでいるのを見つけた」
「……っ!」
「俺たちが通りがかった所に偶然逃げ込んでこなきゃ、君達もそうなっていた」
兵士は「運が良かった」とつぶやいて、そのままわたしたちの前から離れていく。
わたしの話を聞いていた獣人種の兵士が気の毒そうにわたしとクロノアを見下ろした。
「事情は分かったよ。君たちの身柄は近くの町の〈大陸正教会〉の支部まで送り届けさせてもらうよ。そこから改めて〈聖都〉に向かえばいい」
「……ありがとうございます」
私がこっくりとうなだれるように礼を告げると、その獣人種の兵士も離れていく。
(偶然……運が良かった……)
本当に、そうだろうか。
わたしは、先ほどから呆然としてわたしの手を握っているクロノアを見た。
クロノアは黒曜石のような艶やかな瞳で食い入るように前を見詰めている。
亜人たちの死体が道端に積み上げられ、やがて森の中から丁重に布に包まれた人々の亡骸が運ばれてくる。
その場に積み重なった『死』が処理されていく。
「これから……どうなるんだろう?」
わたしがぼそりとつぶやくと、クロノアがうつむいた。
「……分から、ない」
(分からない……か)
わたしはぼんやりとクロノアの言葉を胸の
そして、他にどうしようもなく、街道の石垣に腰を下ろした。
クロノアも隣に腰を下ろして、二人で淡々と事後処理を進める兵士たちの姿を見守った。
クロノアが寄りかかってくるのに、わたしはふと彼女を振り返る。
わたしの肩に顔をもたせかけ、クロノアは静かな寝息を立てていた。
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