第五話 浄化の聖女は夜に語らう
「根拠ない話を面白半分に口にしないでください」
「叔父上」と、アドニスがアイスブルーの瞳で鋭く脇に控える口髭の男を睨む。
「ああ、済まない。つい興が乗ってしまってね」
アドニスに釘を刺された、彼の叔父らしいその男は頭を下げて椅子に座り直す。
わたしは、アドニスの叔父だというその男がなんでそんな事を言い出したか、気になりはした。
しかし、言った本人が既に何事もなかったように平然としている。
わたしは内心一つ息を吐いて、アドニスと修道長の話に意識を向けることにした。
「とにかく、西方山岳地域にはそのような厳重な監視を要する土地があり、そこには瘴気に犯された人間たち……我々が〈不死の軍勢〉と呼ぶ〈
「ええ、私もその存在については以前から存じております」
シャノア修道長はまぶたを伏せて、長机の上で手を重ねた。
「〈大陸正教会〉内部においても、その存在は問題視されておりました。しかし、近年は様々な事情が重なり、こちらから積極的な関与は……」
「今はその話をしているのではない」
アドニスが若干わずらわしげに顔をしかめる。
修道長も「はい」と詫びるように目を伏せて、改めてアドニスに向き合った。
「とにかく、近隣の領地で〈不死の軍勢〉が目撃されるようになった。今の所、近隣の住民に被害が出ることだけは抑えているが、それも時間の問題だ」
アドニスは真剣な表情でシャノア修道長を見据えた。
「このままもし〈不死の軍勢〉が〈不浄の王国〉を脱け出してくるとなれば、被害は我々、騎士団領に留まらない。その瘴気は、際限なく外へ広まっていく」
「確かに、瘴気の性質を考えれば、十分懸念される事態です」
シャノア修道長が同意を示すのに、アドニスもまぶたを閉じうつむいた。
「事態は貴方がたの考えるより切迫しているし深刻だ。今回は、迅速な対応を求めて直接訴えに参上した次第だ」
「はい、わざわざご足労いただき、申し訳ありません」
シャノア修道長はそればかりはこちらの落ち度と認めて頭を下げた。
アドニスは若干だが険しい表情を緩めて、長机の上で組んでいた手を解く。
「あけすけに言うなら、浄化の聖女、そして必要と思われる人員を速やかに派遣して欲しい。〈聖都〉から我々の領土までは長く険し道のりになるが、もし派遣していただけるのであれば、我々が護衛として同行しよう」
アドニスが要求をはっきりと口にしたのにシャノア修道長も深くうなずいた。
「はい。私の方から教会上層部に掛け合います。……事態の深刻さはお話を伺う限りでも理解できます」
シャノア修道長はそう請け合い、改めて真っすぐアドニスに向かい説いた。
「無論、ここまで事態を静観していた我々の責任も感じております。事が、瘴気の絡む問題である以上、その領分は我々〈大陸正教会〉……聖女のものであります」
その言葉にぴりりとわたしの背筋に緊張が走る。
まさかとは思うが、修道長は──
「教会上層部の反応は分かりませんが、私の方から打てる手は打っておくことはお約束します。……それでは、〈聖都〉に滞在される間は、こちらの迎賓館に部屋を用意させていただきますので、ゆっくり長旅の疲れを癒してください」
そう言うと、アドニスもさすがに「感謝します」と礼を述べる。
ひとまずそれで、会談は終わったようだった。
〇
「まさかと思いますけど修道長、わたしを彼らに同行させるつもりですか?」
わたしとシャノア修道長は、修道長の部屋に場所を移した。
そこで、茶を淹れて私の前にカップを差し出した修道長に、思わず尋ねる。
「はっきり言って、今の上層部がどこまで今回の件が深刻か理解してくれるかは、私にも読めないの」
自分もカップを手に持った修道長が、はぁ、と大きく息を吐いた。
「そんな……わざわざ、何度も書簡を送って訴えて、それでも相手が直接乗り込んできたんですよ?どれだけ切羽詰まった状況か、それで分かるんじゃ……」
アドニスの肩を持つわけではないが、わたしもそればかりは納得がいかない。
シャノア修道長は一口、カップの紅茶を啜って悩ましげに目を細めた。
「……表向きの状況以上に、裏向きの事情が複雑なの」
「ひょっとして……政治の話、ですか?」
わたしはカップを両手に持って、その内の琥珀色の飲み物を見下ろす。
「ええ。……彼らの騎士団領の成立の経緯を、アンナは知っているかしら?」
「んー、えー……ええと……」
「〈天嶺鷲騎士団〉、という大陸東部のとある都市に派遣された騎士団の功績がまずある。それを元に、ある皇女の口利きもあって長年、〈帝都〉と交渉を続けてきた」
大陸中央から遠い、大陸西方の山岳地域の情勢だ。
わたしが全くピンと来なくとも、特に意に介した様子もなく修道長は説明した。
「それが去年のはじめ、帝国歴百年の祝賀を契機に正式に騎士団領として認められ、本格的な自治が始まった。既に政治体制も整っていたから、それ自体はスムーズに運んだのだけどね……」
それから再び、修道長は悩ましげに目を伏せた。
「ちょっと〈帝都〉……皇帝との関係が一種の緊張状態になっているの」
「帝国領で初めて高度な自治を認められた土地になったから」と、再び一口修道長は紅茶を啜る。
「えっ、それでもしかして、〈聖都〉は〈帝都〉に配慮して、積極的に騎士団領に力を貸せないとか……そういう話ですか?」
私は思わず手に持ったカップを握り締め、目を剥いていた。
修道長は疲れきった様子で小さくうなずく。
あまりの馬鹿馬鹿しさにわたしは呆気に取られかけたが──
結局そういう話なのだと悟って、内心げんなりしつつも腰を下ろした。
人と人の繋がりが大きな物事を動かす以上──結局その人同士の繋がりを無視してしまうわけにはいかないのだ。
「帝国領から自治を認められたばかりの騎士団領は政治的に微妙な立場に違いないの。だから、教会の上層部も及び腰になっている。……私自身もあくまで事態の解決に乗り出す主体は騎士団の人々であるべきだと思うのだけどね」
わたしはそれでも──傲慢な態度であったものの、真剣ではあったアドニスの顔を思い起こした。
「でも、事が瘴気の問題なら、わたしたち聖女の力を借りる他ないのでは?」
「ええ、だから……」
「力のある浄化の聖女の派遣は打診する」と、シャノア修道長は断言した。
「なんとしてでも上層部を説き伏せなければならない。でも、同時に今、打てる手を打っておきたいの。そして、今、私が個人的に頼れる浄化の聖女というのは……」
シャノア修道長は、わたしの方をじっと見詰めた。
「あなたしかいないのよ。アンナ・クロフト」
〇
修道長のちょっとした頼まれ事のはずが大変なことになったものだ。
当然、その場で答えられることではなくて、わたしは一度、答えを保留にして修道長の部屋を辞した。そればかりは修道長も答えを急がせはしなかった。
私は食堂で夕食を取った後、自室に戻ってまず大陸全土の地図を広げた。
「〈聖都〉はここだから、西部山岳地域というと……うわっ、遠い」
わたしは単純な距離だけでも測ってみて、思わずうめく。
大陸中央の〈聖都〉から単純な距離だけでも相当あるし、山岳地域というからには目的地に近づくにつれ、道も険しくなるだろう。
往復するだけで一年はかかる道のりだ。
「それに、〈不浄の王国〉……か」
話を聞くだけで腰が引ける。
力のある浄化の聖女の派遣を修道長は訴えかけると言っている。
一応、建前としてはわたしはそれまでの『繋ぎ』の役割になるのだろう。
だけど、しかし、もし──
わたし以外の浄化の聖女の派遣が認められなかった時は──
(……修道長には悪いけど、少し前まで見習いだったわたしには荷が重いや)
断ろう。
わたしはそう結論付けて、ベッドに横たわった。
心を決めた時には既に夜が更けていて、普段はもう寝入っている時間帯だった。
しかし──さすがにその日ばかりは寝つかれなかった。
「駄目だ。……ちょっと散歩でもして、気を落ち着けよ」
私はベッドから起き上がると、手早く貫頭衣を着て腰帯を締めた。
この時間はまだ礼拝堂が開いているだろうか、と思いつつランプを片手に、中庭にある礼拝堂に向かった。
やっぱり、心を静めるという意味だと祈りを捧げている時が一番、落ち着く。
礼拝堂の明かりは消えていたが、扉は開いていた。
少しの間祈りを捧げたら部屋に戻るつもりで礼拝堂に足を踏み入れた。
踏み入れて──そこに、先客がいるのに驚いた。
「誰ですか?」
とっさにランプの光を向けると「おっと」と礼拝堂の中の人影が立ち上がった。
まさか泥棒か何かか、と思って遠慮なく大声を上げようとした所で、相手が両手を挙げて「いや、驚かせてすまない」と丁寧に詫びた。
「えっ?あれ……」
わたしはランプの光の中に浮かび上がったその人影に目を凝らす。
すると、あの口髭の騎士が、まぶしそうに目を細め苦笑を浮かべていた。
〇
「いや、実はこう見えても〈大陸正教会〉の信徒でね」
一緒に長椅子に座った、その似合わない口髭の騎士は、祭壇の聖印を見上げてそんな風に説明した。
「せっかく〈聖都〉にまで来たのだから祈りを捧げておこうとね」
「それなら昼間にいくらでも時間があったはずでは?」
私が当然の欺罔をぶつけると口髭の騎士は「いやあ」と苦笑した。
「アドニスの奴が露骨に機嫌が悪くなるのでね。昼間はほぼ行動を共にしているし、できればこうして、夜中にこっそり」
「アドニスには黙っていてくれ」と、口髭の騎士は笑って言う。
「それはいいですけど……」
わたしはなんだか意外に思えてその騎士の横顔を見詰めていた。
そういう反応に慣れているのか、口髭の騎士はちらりとわたしにアイスブルーの瞳を向けて微笑んだ。
「アドニスはもちろん、昔から自分を知る者にも意外に思われるよ。信仰に目覚めるような者には全く見えなかったのだろう」
「はあ」
正直、今でもあんまりそういう雰囲気には見えない、とは口にしなかったが。
「では、何が原因で入信されたのですか?」
軽い世間話程度のつもりでそう尋ねてみた。
その口髭の騎士はふと、黙り込んでわたしの方を振り向いた。
ひょっとして何か、まずい質問だったかと思っていたら、その口髭の騎士はわたしの手元の辺りを見下ろした。
「ところで、昼間も目に付いたのだが、その手袋は?」
「ああ、これは、聖女の能力を制御する為の魔装具です。不用意に能力を発動しないように身に着ける」
わたしの両手を覆う薄手の手袋を、口髭の騎士は何故かじっと見ていた。
だが、ややあって「なるほど」とうなずき口髭の騎士は顔を上げた。
「何か厄介な能力をお持ちなのですか?」
「ああ、いえ……わたしはただ、制御が利かない未熟者で……」
使ったらその場で昏倒してしまう、とはさすがに言えなくてわたしは言葉を濁す。
しかし、口髭の騎士はうなずき、また祭壇の聖印へ目を向けた。
「自分が〈大陸正教会〉の信徒となったのは、若い頃に経験した大きな出来事が原因でしてね。……その時出会った人々、目の当たりにした物事……その時の経験からこう思うようになった」
「どのように?」とわたしが問うと、口髭の騎士は微笑んだ。
「運命は残酷だ。しかし、必要な人や物を必要な時と場所に集め、結果としてなるようになるものなのだ、とね」
「はあ……」
少し要領を得ない話で、わたしは首をかしげた。
しかし、口髭の騎士はさして気にした風もなく、言葉を続けた。
「その運命が誰の意志に沿って動いているかと思ったら……」
「〈方舟の主〉様、ですか?」
私が確かめると、口髭の騎士は皆まで言わず、ただ祭壇の聖印を見た。
〈方舟の主〉様がこの世界に顕現された姿を模したとされる、
「つまらぬ話に付き合っていただいて、良い時間となりました。聖女殿」
やがて、口髭の騎士は満足した様子で立ち上がり、そう告げた。
「夜も遅い。聖女殿もお部屋へ戻られた方がいいですよ」
恭しく会釈をして口髭の騎士はあっという間に礼拝堂を出て行こうとする。
わたしは呆気に取られて、夜の闇に消えるその背中を見送っていた。
しかし、ふと気が付いてその背中に声を掛けた。
「あの、お名前は?」
すると、口髭の騎士はにこやかに微笑み振り返った。
「これは失礼を。俺の名はフェルス……フェルス・ソールティス」
「ああ、フェルスさん。〈方舟の主〉様の加護のあらんことを」
わたしが胸の前で死因を切って軽く頭を下げると、口髭の騎士──フェルスも恭しくこうべを垂れた。そして「それでは」と、にこやかに告げて去って行った。
あの口髭の騎士、フェルスが〈大陸正教会〉の信徒だったのも意外だったが、案外と気さくで面白い話相手だった。
それになんだか不思議と彼の言葉は心に残った。
「運命は残酷だけど、必要な人や物を必要な時と場所に集め、結果としてなるようになるものだ、か……」
わたしは不思議と胸に響くその言葉を自分でもつぶやき、再び祭壇の聖印を見た。
〇
その後部屋に戻っても、結局寝付くことはできなかった。
枕元のランプを灯し、あれこれと思い悩んでいる間に、窓の外が白み始めた。
〈聖都〉にあるあちこちの聖堂から鐘の音が聞こえ始めて、わたしは心を決め、ランプを消して立ち上がった。
その足で、シャノア修道長の居室まで向かう。
わたしは一つ息を吐いてからその扉を叩いた。
「あの、シャノア修道長。起きていますか?アンナです」
わたしが名乗ると、内側から扉が開き、シャノア修道長が顔を見せた。
彼女も身支度を整えたばかりのようで、少し驚いた顔をしている。
「あの……騎士の人たちに頼まれた任務なのですけど……」
わたしは、覚悟を決めて、ゆっくりと口を開いたのだった。
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