そして、事件は起こった。


それは、拳児の誕生日の前日のことだった。

ほたるが『狂犬』一味に攫われたのだ。

それも、拳児の目の前で。


「若は考えが甘すぎるんですよ。『この業界』、堅気の人間と同じように恋愛とかを考えちゃいけねぇや。女は自分が上にのし上がるために役立つ奴を、自分の力で奪う。それが上に立つ者のやり方だ。ずっと見てたんですけどね、じれったいったりゃありゃしねぇ。少しばかり手ぇ、出させてもらいますよ。」


その場に俺はいなかった。

大学の構内にまでは流石に悪い輩は入ってこないだろう、そう思っていたのだ。

拳児からその話を聞いて、俺は自分の楽天的な考えを悔いた。


そうだった。

『この仕事』は、一般的な考えの通用しない輩が集まるところなのだ。

いつの間にか俺は、一般人の考えで安心しきっていた。

大学の構内には、侵入しないだろう。

思い違いだった。


そんな事は気にしない、それが『この業界』のやり方だった。


事務所に飛び込んできた拳児から、ほたるが攫われたことを知った俺は、すぐに街に出た。


「心当たりのある場所は?」


「分からないです。『狂犬』は街でも多くの廃ビルを所持しているので……。」


『狂犬』の表の顔は不動産会社の社長。

街の中でも特に地価の上がりそうな物件―廃ビルを安値のうちに買っておき、それを法外な値段で売りつける。

購入しても、『狂犬』との関係は切れない。

購入した相手に、彼は本性を明かし、この場所は自分の縄張りだとして、これもまた法外な『土地代』を定期的に巻き上げるのである。


「アイツの所有しているビルは、全部で15か所……」


拳児の顔色が、みるみる変わっていく。

絶望にも似たその表情に、俺は小さなため息を吐いた。


「……1ヶ所、出向けば済む話じゃねぇか。」


「え?」


俺の言葉に、拳児は不思議そうな表情を浮かべた。


「ヤツの事務所に殴り込めば、すぐにわかるぜ、アイツの居場所。」


俺は、昔から頭であれこれ考えることが苦手だった。

何でも喧嘩で白黒つける方が手っ取り早い。

その気概を『元会社』のボスが認めてくれて、俺は幹部にのし上がった。


「貴方らしいっていえばそれまでですけど……今では『狂犬』は三大幹部と言われるほどの大幹部ですよ?」


「だから何だ。俺にとってはただの『他社の輩』じゃねぇか。それに、ほたるが攫われてるなら、形振り構ってられねえだろ。」


そう、今回は『一般人』も関係しているのだ。


「怖いなら、事務所で待ってろ。俺が一人で片付けてやるからよ。」


昔の拳児であれば、俺の言うことを聞き、事務所で待機していたかもしれない。

しかし、拳児は首を振ると真っ直ぐに俺の瞳を見て言った。


「いいえ、俺も行かせてください。これは、俺の問題だ。」

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