3
ある日、俺はいつも通り事務所で仕事を待っていた。
何の変わり映えもない一日。
この日も依頼0のまま、仕方なく繁華街にでも繰り出そうかと思っていた。
「さて……今日は何を食うかな……。」
もう、この繁華街は自分の庭のようなもの。
『前の仕事』もこの街を拠点に活動していたので、美味い店はほぼ知り尽くしていた。
下手なグルメ誌よりも詳しいと自負している。
「よし、焼き肉にするか。」
その中で、俺は会員制の焼き肉店に向かうことにし、事務所を出ようとドアに手をかける。
その時だった。
ドアの反対側に人影が見えた。
(やれやれ……こんな時間に依頼か。ろくな仕事じゃないな……。)
俺は手を引っ込め、渋々デスクに戻った。
「遅くにすみません。『仲介屋』はここで間違いないですか?」
入ってきたのは、若い男だった。
「あぁ。仲介屋は俺だ……が」
話の途中で、思わず俺は言葉を止めてしまった。
入ってきた若い男は、俺の『元職場』の御曹司だったのだ。
相手も俺の存在に気付いたらしい。
「貴方は……なぜこんなところで……?」
俺がこの場所で個人事務所を立ち上げていることに、たいそう驚いたらしい。
少々興奮しているらしく、頬が上気している。
「貴方に頼むなら安心だ! 元……」
「俺は『ただの』仲介屋だ。前職のことは関係ねぇ。」
男が最後まで言い終わらないうちに、俺は言葉を遮るように言った。
「……そうですね。すみませんでした。」
男も、俺の意図に気付いたらしく、会釈をすると俺のデスクの前に立つ。
「そちらのソファーに。」
俺は、デスクのすぐ側にある革張りのソファーを指さし、男も素直に従い、座る。
「煙草は?」
「やめたんです。」
煙草を差し出す俺に申し訳なさそうにそう言ったので、俺は自分の側に灰皿を引き寄せ、煙草に火をつけた。
「それで……ご依頼は?」
「好きな人がいて、その人に自分の想いを伝えたいんです。」
それは、目の前の男の境遇を知る俺にとっては、あまりにも拍子抜けしてしまうような依頼だった。
「……伝えてくれば良いじゃねぇか。」
俺は仲介屋らしからぬ返答を男に返した。
実際のところ、目の前に座るこの男。男気溢れる好青年である。
自分の欲しい物、手に入れたいものは、親の力を借りずに手にしてきたほどの実力の持ち主でもある。
そんな彼が何故、俺の手を借りようとしたのか……。
「私の職場のことも、ちゃんと打ち明けたい。そして、彼女が受け入れてくれるのであれば、私は職場を去ろうと思ってるんです。」
「それはそれは……。」
そこまでの覚悟を持っているとは、と俺は思わず口笛を吹いた。
「邪魔が入ってるってことだな?」
そして、この男が俺の前に現れた理由も、この話で大体察した。
「えぇ。私は今の会社の後継者。『ある重役』が会社を去ったことで、私を担ぎ上げて次の重役になろうとする者が多いんです。余計なことをされる前に、自分の力で彼女に話がしたくて……。」
「そう言うことか。」
俺は納得した。
「私の職場の『事情』……ご存じですよね?」
向こうも俺のことを知っている。
今更、隠しても仕方ないと思った。
「あぁ。いいぜ。そう言うことなら依頼、受けてやる。報酬額は?」
「貴方の言い値で構いません。100億以上は、分割になりますが……。」
「そんなに要らねぇよ。じゃ、お前の事の顛末を見守ってから決めようじゃねぇか。」
こうして、俺はこの男の依頼を受けることにした。
依頼人の名は、拳児。
この界隈のある業種では大手の『企業』である会社の御曹司だ。
俺も昔はこの会社にいた。
地位を求める幹部たちの、その泥仕合のような争いに嫌気がさし、俺は会社を去った。
今思えば、この幹部たちを少しどうにかしてから去った方が良かったかもしれない、そう後悔し始めている。
男の一世一代の告白にさえ、ちょっかいを出そうとしているのだから。
「まずは、相手のことを教えてくれ。」
俺は、手帳を開き拳児の言葉を待った。
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