第3話
真理奈に連れられて、再び三面鏡の前に移動した。洗面器の上に頭を乗せる。
「今度はトリートメントするから」
シャワーを伸ばして、頭全体を濡らす。
ジャー。
今度は左側から。
ジャー。
「ちゃんと毎日、トリートメントしてる?」
リンスなら。
「なら、いい。一応、手入れをしているんだ~」
スプリングが押される音。
それから、真理奈の手が、髪の毛に触れる。
「これでなにもしてないとかぬかしてら、蹴ってやろうと思ったのに」
物騒な。
シャンプーのときと違って、今度は髪の毛全体にトリートメントをいきわたらせるような動き。
髪の根本から先端に向かって流ていくような、そんな指使い。
わずかに音を立てる髪の毛。
そして、指が髪から離れると、再びシャワーで、トリートメントを流す。
「わたしが髪を切ったんだから、これからもちゃんと手入れすること。じゃなきゃ。ぶっ飛ばす」
部屋を移動して、真理奈は再び美容室ポンチョをかける。
「ドライヤーしてくね~」
ブウォォォォと熱風を出す。
湿った髪に当たって、髪が風に耐えている音がする。
耳に当たって、くすぐったい。
「なに、耳が弱いの?」
そう……なのかも。
「だとしても、そんなの、知りたくもなかったんだけど」
ドライヤーの音が右から左に移る。
「そういえば、お風呂上がにちゃんとドライヤーしてから寝てる?髪、乾かして寝てる?」
いいえ、タオルで軽く拭くくらい。
「ダメでしょ。ちゃんと乾かしてから寝ないと」
お説教モードで、めんどくさい。
「いいから、聞きなね。
髪の毛を濡らしたままにすると、雑菌が繁殖したり、においの元になったりするんだけど。
それに、皮膚炎とか、フケの原因にもつながるんだけど」
ドライヤーが、頭の上の方から風を送ってくる。
「それに、いっつも寝ぐせつけて学校に来てるでしょ?今日もあったしね。
あれ、いっつも気になってたんだよね。それだって、ちゃんと乾かしてから寝れば、だいぶ抑えられんのに」
教室では話しかけてこないのに、ちゃんと見てくれてるんだな、とうれしく思う。
ドライヤーから送られてくる風が一瞬だけ、あらぬ方向へ。
「はっ!?うるさい」
真理奈はドライヤーを再び髪の毛に向ける。
「はぁ~。とにかく、これからはちゃんと髪の毛を乾かしてから寝ること。めんどくさくても、このくらいはして」
はい。
おとなしく従うことにする。これ以上のお説教は面倒だ。
「ホントにするんのかな~」
呆れているのがくみ取れるニュアンスで言う。
「さて、ドライヤーはこれでおしまい」
これで、ひとしきり終わったのだろう。
そう思って、イスから立ち上がろうとすると、
「あぁ、待って。これからがお楽しみでしょう?」
楽しそうにニヤリと笑う真理奈が、姿見に映っている。
「今のままだと、髪が短くなっただけだから」
真理奈は部屋から出ていって、再び戻ってきた。
長いノズルのついたスプレー缶を彼女は持っている。
「これ、これ、ワックス。使ったことないでしょ?」
使う必要もなかったしね。
「だから、ここで、やってみよう。ワックス童貞卒業だ」
女の子がそういう冗談を言うのは、慣れないな~、と。まして、幼なじみに言われると、余計に。
「あっは。肝が小さい男だな~。こんなことぐらい笑って受け流せっての」
はっは……。
姿見には、ひきつった顔の自分が移っている。
「そんな面白い顔しなくていいのに。はぁ、オモロい」
そんなにかな?
軽く手を、パン、とたたく。
「さて、やりますか。シャレオツにしてやんよ」
スプレーをシャカシャカと、よく振って、さかさまにする。
手にシュー、と白い泡を出す。
それを手のひら全体に広げる。泡がプスプスと、小さくはじける音が聞こえる。
「じゃ、やってくから」
頭の上から、わしゃわしゃと、握るように髪の毛をつかんで、ワックスをつけていく。
「こうするとね、頭皮に直接ワックスがつかないの。
……。
わたしはワックスを他の人につけるの、やったことないから、そんなに、うまい人みたいなつけ方ができないの。ごめんね」
謝られても、なにがよくて、なにがダメなのか分からない。
「でも、まぁ、頑張ってつけるから」
応援してる。
髪の毛全体ににワックスがついてきて、剣山ほどではないが、まとまって、尖ってきた。
「お前、もとが悪くないから、簡単にかっこよくなるのな」
不意打ちを食らった。
「まぁ、それを生かせよとは思うけど」
落とすなら、持ち上げないでほしい。
彼女は僕の目の前にやってくる。
さっきよりも近い。
今日、一番近い。
「まぁ、今後も生かせるように、何個か言っておこう。ワックスの選び方とか、つけ方とかさ。自分でできるように、やり方は知っておいた方がいいでしょう?」
うなづく。
「何回も言ってるけどさ、うらやましいくらいに髪質がいい。……いや、マジでうらやましい。だから、ワックスはハードのやつのじゃないと、弱いかも。それから、ムースの方がつけやすいよ。今、使ってるようなやつな」
手に取って、目の前で振って見せる。
「それから、前髪はこうして、つけるといいかな」
彼女は僕と姿見の視線を邪魔しないように、左側に移動した。
真理奈はそんなことは気にせずに、前髪を親指と人差し指でつまんで、ギシギシと、こすり合わせる。
「こう、10本ぐらいまとめる感じで、つけること」
そのくらいだったら、できそうだ。
「うん、やってみて」
彼女は前髪を作っていく。
ギシギシ。
「クラスの子からどう思われてるかって話ね……。嘘だから。ちょっとだけだけど」
決まりが悪そうに、彼女は言った。
「さて、最後。眉毛を整えようか」
眼前に彼女がいて、圧倒される。体温が伝わってくる距離感。心臓の鼓動すら聞こえてきそう。
というか、目の前に胸がある。文字通りの目と鼻の先に。
「目閉じて、開いたら殺す」
照れ隠しなんだろうけれど、ほぼほぼ殺意しか感じ取れない。いや、本当に殺意しかないのかも。
とにかく、おとなしく、それに従うことにした。
真理奈はカミソリを取りだして、眉に当てる。
「眉の形だけでも整えておくと、かなり印象変わるから。まぁ、自分でやるのは大変だろうけど」
ちょっとずつカミソリを動かして、少しずつ眉毛を剃っていく。
ジョリ。ジョリ。
「……。さっきの話だけど、クラスのみんなと話してるとき、アンタの話が出るのは、嘘」
僕のことなんて、誰も気にしていない。
当然……なのだろう。だって、女の子と話したことがほぼないのだから。話題の上っているという部分で疑問に思うべきだった。
「いや……。そうじゃなくて……」
真理奈にしては、歯切れが悪い。
「わたしが話題に出してる」
目を開いたら、きっと真っ赤な顔をしている彼女が姿見に移っているんじゃないか、と想像する。
ジョリ。ジョリ。
「だって、……悔しくない?幼なじみがそういう話題の上らないの。しかも、そういうポテンシャルはあるのに」
何度も言われてる。
『もったいない』
『そんなに、悪くない』
「話題に出したら、みんなさっき言ったみたいな反応だったよ。だったら、もっとかっこよくなってもらいたいって思ったの。いいでしょ?幼なじみとしても、鼻が高いしね」
で、自分がセットしたいと思ったの?
「そう思っちゃったもの、仕方ないじゃん。やると決めたらやるの。スタイリストとして、あなたをかっこよくしたい」
恥ずかしいセリフをこうも言えるのは、僕が目を閉じてるからか。
彼女がスタイリストになりたい理由は――僕だったのか。
「はい、これで、完成。もう、目を明けていいよ」
僕は姿見をまじまじと見た。
ヘアカタログにも負けずとも劣らない、きまった髪型をした僕がいた。
さっき見たSNSの写真のように、かっこよくなっている僕がいた。
「うん。結構よくなったかな。我ながら上出来」
本当にそう思う。
真理奈は僕の両肩をたたいてから、耳元で言った。
「かっこいいよ。多分、今までの中で、一番。うん。ホントに」
耳に息がかかるのが、むず痒い。
彼女は本当にそう思っているようだ。
「最後に言っておくけどさ」
なんだろう。
「付き合ってくれて、ありがとう」
そのくらいは、お安いごようだ。
「あと、また、ダサくなったら殺す」
……。
彼女は手厳しいなって思うけれど。
それでも、かっこいい自分を維持するために、少しは頑張ってみようと思った。
それが、僕なりの真理奈の夢の支え方なんだ。
幸い、どうやって維持するかの話は聞けているしね。
「これで、みんなに自慢できる幼なじみだ」
この2か月後、髪が伸びすぎたと思っていたら、彼女に蹴られたのは、また別の話。
ときどき口の悪い幼なじみに髪を切ってもらう話 愛内那由多 @gafeg
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