第2話

 ターバンのように頭にタオルを巻かれて、部屋を移動する。


 フローリングがペタペタと鳴る。足の裏にワックスが引っ付いてくる。


「湿った足でフローリングは歩くもんじゃないね。気持ち悪い」


 彼女は少し、しょんぼりとした表情を見せる。


「うわ、なに喜んでるの?」


 別に。同じこと考えてたってすこし、おかしかっただけ。


「こんなところで、少女マンガみたいなこと言われても、ぞっといないの」



 「ここ、入って」


 彼女が木製のドアを開く。


 室内は冷房が効いていた。顔の周りにわずかに残った水滴が気化して、少しひやりする。


 部屋をの中は、スペースに余裕のある本棚があって、引き出しのついたタンスがあって、壁に時計がかかっている。


 ここまでなら、普通の部屋と変わらない。


 けれども、異色なのは、中央に置いてあるキャンプに使うような、折り畳みのイスと、その周りを囲うようにして、床一面に並べてある、新聞紙。


 それに、イスの正面に大きな姿見がある。


「あぁ、これは、髪の毛が床に落ちないようにしてるの」


 そういう配慮か。


「これ、うちだと、パパとママがよくこうして髪の毛を切るから。まぁ、この家のルールみたいな?感じだね」



「さ、イスに座って」


 言われたとおりに、イスに座る。正面には細長い姿見が置いてあった。


  真理奈は美容室ケープをもってきて、目の前でばさーっと広げる。


「これに両手を通して」


 本当に、美容室に来たみたいだ。


「ふっ……。お客さん、今日はどうしますか~?これ、1回言ってみたかったんだ」


 ヘアスタイルに詳しくないので、すぐに答えは出なかった。


「どうせ、特にないでしょ?」


 図星。でも、言い切られるのは釈然としない。


「だって、その髪見たら、わかるよ。ってか、2か月も髪切ってないやつに、模範解答は求めてない」


 彼女は僕の髪を少しなでる。子供あつかいされているみたい。


「大丈夫!かっこよくて、最高にクールで、ハイカラで、ヤングで、イカす髪型にしてやるよ」


 少し声を高くして、からかうように言った。


 不安だ。


「冗談。こっちも別にカットするとき、スタイリングするときは、真面目にやるよ。じゃないと、失礼だしね」


 真理奈の鋭い視線を姿見越しに見た。


「顔動かすなよ」


 真理奈はクシとバリカンを取りだす。


 右側にまわって、髪の毛のくしをスーっと入れる。


「いや~。女の子みたいだよ。髪質に関して言えば。神様はあらゆる人に少しくらいは才能を分けて与えるのね」


 髪の毛にしか才能がないみたいな言い方されると、悲しいな。


「事実でしょ?」


 言い返す言葉が見つからない。


「冗談だよ。少しはあるよ。いいところ……」


 さらに、クシを3回通して、今度は、もみあげの下側からクシを入れる。


 そして、クシの上からバリカンを当てる。


 ウィ~ン、という音がくすぐったく、反射的に背中が伸びてしまう。


 彼女はすぐさまバリカンを離す。


「ちょっと、動くなっての。失敗したら、どうする?」


 ごめん、とあわてて謝った。


「もう1回いくから。我慢してよ」


 くすぐったいのに、耐える。


「そうそう、いい感じに耐えるじゃん。ガンバレ、ガンバレ。はっは。これじゃ煽ってるみたい」


 あごの骨あたりから、耳の上まで、じっくりと、あるいは、ねっとりとバリカンが動いていく。


「はい、右側のバリカンは、おしまい。今度は左側をやるからな」


 彼女は左側に回る。


 そして、バリカンの音も右から左へと流れていく。


「今回はツーブロックにする。お前の今までの、なっがい髪型だと、ダッサイから。それに、短いほうがいいでいしょ?手入れも楽ちんだし」


 そんなにひどいヘアスタイルだったのか。自覚があったとはいえ、ショックは大きい。あと、割と言葉で刺してくる回数多くない?


「まぁ、夢だからねぇ。わたしの」


 真理奈の夢はスタイリストだったと、思い出す。


 だから、許せないのだろうか?


 自分の髪を、無下に扱ってるのを。


「いんや、違う。許せないってことじゃないけどさ……」


 姿見越しの彼女から、自信のような、覇気のような、勢いのようなものが消える。そして、寂しさがにじみ出ているように見えた。


「お前、自分がクラスでどう思われてるのか、知ってる?」


 それは、考えたくない。

 

 真理奈はバリカンの電源をオフにする。髪の毛が小さな山を作っていた。


「うん、文字通り足の踏み場もないね。こりゃ」


 蹴って、足場を作る。


 その間、僕の脳内には彼女の言葉が、リフレインしていた。


『お前、自分がクラスでどう思われてるのか、知ってる?』


「怖いかお~」


 そういって、彼女は両頬をすーっとなでた。


 表情筋が少し柔らかくなった気がした。


「そんなに悪い話じゃないから」




 今度はハサミを取りだす。


「じゃ、ハサミでカットしていくから」


 今度は頭の上部にクシを入れていく。


 何度かクシを通してから、左側からハサミを入れていく。


 シャキン。シャキン。シャキン。


 真理奈は腰につけていたポシェットから、小さな霧吹きを取りだした。


 シュ。シュ。シュー。


「私がスタイリストになりたい理由でもいい?さっき言わなかったし」


 今度はさらに頭頂部にハサミを入れる。


 シャキン。シャキン。シャキン。


「SNSやってると、髪型を変えるだけで、びっくりするほど垢ぬける人とかいるでしょ?あれ、すんごい、かっこよかったんだよ」


 真理奈はいったん手を止めて、ポケットからスマートフォンを取りだす。


 彼女は無意識に顔を近づける。真横、文字通りの目と鼻の先に、真理奈の顔がある。


「これとか、すごくない?」


 スマートフォンは写真が表示されている。そこには画面の上と下に男の人が映っていた。


 上には、眼鏡をかけて、耳もおでこも髪で隠れて、いかにもファッションとか興味がないみたいな男、下には、さっぱりと髪が短く、どことなくサッカー選手を思わせるそんな男がいる。


「わかると思うけど、これ、同一人物だからね?これ見たときに、うわ、すっごって思ったんだ」


 スマートフォンからハサミにもちかえて、再び髪に霧吹きをする。


 シュ。シュ。シュ。


 シャキン。シャキン。シャキン。


「で、これがうらやましくなっちゃった」


 そういう真理奈は少し頬が赤く、声もどことなく小さく感じる。作業のスピードもゆっくりになってきた。


「なんか、こういうの……。いいなって思った」


 再び、声量が戻る。


「魔法使いみたいじゃん。さえない人を、こう、かっこよくするの。でなけりゃ、モブみたいな子を、かわいくしたりするの」


 シンデレラの魔法使いのみたいに。


 シャ。シャ。シャ。


 ハサミの音が止まり、彼女は後頭部の髪を切るために移動した。


「理想は、かっこいい人を作りたい……かな。で、いま……。やめた」


 小声で、後半の方はハサミの音か、声が遠くなったのか、聞き取れなかった。


 シュ。シュ。シュ。


 それからサー、と髪をとかす音がした。


 けれど、彼女が夢に向かって、進むべき方向に向かって、歩いているのを感じる。


「今までも、練習用のマネキンはやってたけどね。やっぱり違うよ。感覚がね」


 彼女はハサミを止めずに、髪を一心不乱に切る。




「さて、だいたいおわり。次は前髪だ」


 彼女は僕と姿見の間に移動する。さっきよりも、近い。


 ハサミの音がさっきよりもハッキリと聞こえる。


 それから、


「ふ~」


「あっ……」


 という、吐息が聞こえてくる。距離が近くなった分、彼女の息遣い、呼吸の音が、鮮明に聞こえてくる。


「んっ……」


 色っぽいな。


「顔が赤いよ。わたしのせい?そう?」


 今度は呼吸を殺しているようだ。


 室内にはハサミの音しか響いていない。


「お前がクラスで、どう思われてるのかって話、聞きたい?」


 聞きたくない、けれど、聞きたいとも思ってしまう。ポジティブな動機ではなく。ネガティブ好奇心といった感じ。


「実はそんなに悪くないんだよ」


 意外だった。てっきりみんなに嫌われているものと、好かれていないものだと、思っていた。


「いいわけじゃないからな。勘違いすんな~」


 また、あげて落としてくる。


「誰がクラスでかっこいいかって話、女子同士でするんだよ」


 クラスの、あるいは学年のどの子がかわいいのかって話を、男子同士でもする。


 その反対があってもおかしくない。


 けれど、その可能性について考えもしなかった。


「そこで、お前の名前が出ることもあるってだけ。おめでとう」


 実感がないので、うまく喜べない。


「梨歩とか、真希とかの反応は『意外とイケメン?』って感じだったしね」


 ハサミの音がやむ。


「ほかの子にしたって、同じような反応だったよ。まぁ、それが生きてはないけれど」


 目を開くと、頭部がさっぱりした自分が姿見の中にいた。


 彼女がふ~、と息を吐く。


 それがわずかに右耳に当たり、切ったばかりの髪を動かす。


「あっ、悪い」


 耳の先が熱くなる。


 真理奈が少し、視線をそむける。


 すぐに姿見をみながら、


「うん、いいね」


 と、声に自信がある様子で言う。


「どう?後ろこんな感じ」


 ハンディミラーを目の前の姿見と合わせ鏡にして、見せてくる。


「だいぶ、さっぱりとしたんじゃない?」


 彼女は美容室ケープと取って、バサバサと何回か振って髪を落とした。




 彼女はさっき、


『スタイリストになって、かっこいい人を作りたい』


 と、言っていた。


 それを聞いて、僕は疑問に思った。


 それだけで、スタイリストになりたいと、思うのだろうか?


 本当は真理奈は、自分スタイリストになって、変えたい人がいるんじゃないか?って。


 僕はいま、その練習台にしかなっていないないんじゃないかって、不安になった。

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