鱗を剥がして

 そいつが苦しんでるのは知ってた。でも、助ける気にはなれなかった。だって、そいつがいなくなればあたしはAチームに上がれるから。あたし以外も多分そう思ってると思う。


 だって、そいつが倒れたとき、みんな一瞬だけ安心したような顔をしてたんだ。





 醜悪だけが残る。





 テニスが好きなわけではないけれど、1番になれるなら頑張ろう、と思ってテニスを続けている。だって「1番」が最高に格好いいから。子供っぽい、と思うかも知れないけど、この感情はきっと大人も持っているはず。1番になれなくて悔しくなるのは、全人類共通のはずだ。

 ともかく、あたしはそんなくだらない理由でテニスをずっと続けていた。惰性に近いのかもしれない。

 そいつは入部したての頃、本当に下手くそで、そのときのあたしはそいつがAチームに合流するなんて思ってもいなかった。Aチームどころか、あたしが所属していたBチームにさえ入れない、良くてCチームで3年間を過ごすんだろうって。それぐらい下手くそだったし、それだけ経験者との差があるように見えたから。

 そいつに劣ることなんてない、と思っていた。正直ちょっと見下していた。

 でも、そいつはあたしの何倍も速いスピードで成長していって、気付いたらAチームでS1を任されるぐらい上手くなっていた。あたしはその間、ずっとBチームで立ち止まったまま。

 悔しかったけど、馬鹿にはできなかった。

 あたしが見下していたそいつはずっと努力してて、あたしの何倍もテニスが好きだったし、あたしよりも真剣にプレーしてたから。だから、そいつがS1に選ばれたとき、妬む気持ちはあったけど納得した。


 「どっかで怪我して、試合に出られなくなればいいのに」


 一瞬浮かんだ言葉に蓋をして。


 そいつが苦しみだしたのはいつだっただろうか。多分、そいつが準優勝した大会以降からだろう。

 それまで部内では負け無しだったそいつが、AチームはおろかBチームのあたしにさえ負けるようになっていて、誰の目から見ても明らかな不調を起こしていた。コーチが何度かそいつを呼び出して、何度も話していたけど、それでも駄目。

 ずっと調子が悪いまんま、ただ時間が過ぎていくだけ。

 コーチがあたしたちBチームの様子を見に来るようになった。あたしたちそれぞれのプレーを見て、何かメモを取っていた。

 なんとなく、あいつはもう駄目になったんだ、と思った。

 じゃあ次は、あたしたちの誰かがAチームに上がれるんだ、とも。ちょっとだけ期待して、そのあと、自分の楽観さに笑った。そんなわけ無いだろって。どうせすぐ、あいつは調子を戻して強くなる。あたしたちがAチームに上がれることはないんだって。だってあいつは強いんだから。

 少しの期待を残して笑い飛ばす。それから、いつものようにラケットを振って、ボールを打ち込んだ。




 いちばん最初に気付いたのは、多分そいつの後輩。次に気付いたのは、多分あたしだろう。

 夏がまだ足踏みして、あたしたちを容赦なく照りつける日だった。水筒の水の減りが早くて、水道水を飲んで喉の乾きをしのいでいた日。コーチから言われた練習メニューをやっていて、その日はダブルスの形式練習。そいつがいるAチームは試合をやってて、やっぱりそいつは負けていた。

 ギラギラと苦しそうに光る目。

 なんとなく、目が離せなかった。目をそらしたらどうにかなってしまうような、そんな予感。意味もなく根拠もなく、そんな予感に駆り立てられて、そいつを見つめていた。




 肌が焦げるような気がした。




 こめかみの辺りから汗が流れて、なんの遠慮もなく目に入った。




 打球音が途切れる。




 電池が切れたみたいに、突然、そいつは倒れた。




 すぐにコートは騒然となって、そいつの周りに人が集まりだした。もちろん、あたしも。皆口々にそいつを心配するようなことを言って、水をかけたり、氷を持ってきたりする。それで、救急車が到着して、コーチとそいつが連れて行かれてしばらく経ってから、やっと練習は再開した。

 コートに打球音が響く。

 誰も何も言わない。

 あたしたちBチームは、ずっと黙ったまま。

 を言ってしまいそうで、それを言ったら終わりだ、と気付いていたから、何も言えなかった。

 誰の目にも心配が浮かんでいた。うわ言のように「大丈夫かな」、と心配をもそもそ呟いて、その後の言葉を飲み込む。

 それで、その後、何も起きることなく練習は終わり。


 その日以降、そいつは部活に来なくなった。




 「いなくなればいい」

 「あたしだって1番になりたい」

 「ラッキー」

 「もう戻ってこなくていいから」

 「ずっと邪魔だった」

 「これで、あたしも」


 自然と口角が上がっていた。「何か」に期待するような、まるで恋をしているかのように胸が高鳴っていた。ずっと思っていたことを吐き出して、吐き出して、吐き出して。喜びを抑えられない。

 取り繕っていたものを全部剥がして、むき出しのまま、笑い飛ばした。

 そうだ、いなくなればあたしだって1番になれる。最初はあいつよりもあたしのほうが強かったんだから、だからきっとできる。


 あたしだって1番になれる。


 あたしだって、あたしだって。


 1番になれるから、だから。


 ……………………だから?


 だから、あたしは、………………………。


 ………………………………。


 違う、違う違う違う。


 だってあたしはテニスが好きで、…………好きで?


 本当に好きだったの?


 ………………………………。










 ああ、やっと分かった。


 テニスを辞めるのは、あたしの方だ。

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