性悪の慈悲

 私にはある後輩がいる。その子は中学からテニスを始めた初心者なのに、どんどん上手くなっていって気づけば1番上のチームで、一番頭を務めるまでに上達していた。正直、自分が高等部のメンバーで心底ホッとした。だってもし自分が中等部のときにその子がいたら、絶対にレギュラーに入れなかったから。

 多分その子は天才の部類に入ると思う。もちろん、努力量を否定するつもりはないんだけど、努力だけではどうしても拭いきれない「差」っていうのはあるから。現に私は、その子との「差」を明確に感じている。

 小学校6年間+中等部3年間+高等部半年。対するその子は、中等部2年半。

 私のほうが圧倒的にテニス歴は長いし、努力も重ねてきたけど、それをあの子はたった2年半で埋めてきた。なんなら超えてきた。これを才能と言わずしてなんと呼ぶのか。少なくとも私は、「才能」以外の表現を知らない。

 多分。多分だけど、あの子がもし小学校から、もしくは幼稚園、保育園からテニスを始めていたら、きっと今頃はアメリカとかに行ってるんじゃないか。若干の悔しさと憧れも込めて、時々そう思ってしまうぐらいには才能がある。

 だから、そんなあの子が背負ってしまうのも、しょうがない話であるのは当然だった。


 最近漢文で習った、例え話をしながら説明しよう。

 スポーツ漫画でよくある展開。

 入部したての、スポーツ初心者であるはずの彼が、いきなりレギュラーの先輩に勝ってしまう。しかもその先輩は嫌なやつで、その先輩の横暴に苦しめられていた人は多かった。

 ではその彼は、今後の展開上どういうふうに身内から扱われるか?

 答えは簡単。

 「才能マンとしてめちゃくちゃもてはやされる」、だ。

 彼は新人ながら、初心者ながら才能だけで先輩に勝ってしまった。その先輩に虐げられてきた人からは救世主として崇められ、他のレギュラーメンバーからは目をかけられる。そうして、日々の部活で段々と「技術」も身につけていき、「才能」と「技術」、この2つで大会に勝ち上がっていく、というのが大筋のストーリー。

 このストーリーの「彼」と、あの子は全く同一の存在だ。違う点と言ったら、ウチの部活に嫌な先輩がいなかったことだけか。

 ともかく、あの子はよくあるスポーツ漫画の主人公のような、そんな才能を持っている。それだけは確かに言えるのだ。



 

 その日、私達高等部が練習用のコートで練習をしていると、突然クソボケ加齢臭コーチが練習を止めて、中等部の応援に行くぞ、と言い出した。どうやらここからさほど遠くない運動公園で中等部が大会やってて、何とウチの学校ではその大会初の決勝進出を決めたらしく、よっしゃみんなで応援したろ、というのがコーチの考えだったらしい。ふざけんな、なんでわざわざ中等部の応援に行くのか、それよりも練習したほうが良いだろ。

 まあそんな文句は当然言うこともできず、あれよあれよという間に荷物をまとめて運動公園へレッツゴー。ちょうど決勝戦が始まったところで、あの子がサーブを打ったぐらいにウチの応援チームに合流した。

 フウン、あの子ってここまで強くなったんだァ、私がいるとき上手くなってなくてよかった!とかぼんやり思いながら試合を眺めていると、急に周囲が静まり返る。その後、向こう側のチーム、正確には向こう側のチームの保護者たちが一気に沸き立つのを見て、一体何が起きたんだ、と目を向いてしまった。なんでウチはみんな静まっててなんで向こうはあんなにうるさいの?と。

 理由はスグに明かされたんだけど。


 簡単に言うと、対戦相手の子がめちゃくちゃ強かったのだ。もう本当に、中学生ですか?って疑いたくなるぐらい。

 文字通り手も足も出ない、マトモにラリーをしてもらえないし、何ならサーブを打つとき以外ボールに触っていないんじゃないかってぐらい上手かった。


 その子のことを嘘つき呼ばわりするわけじゃないんだけど、まさしく、「本当の天才」って感じ。


 だから、そのプレーを見た瞬間、私は「アッ、これは無理www」って思った。笑えるレベルで強すぎる。こんな相手にぶち当たってしまったその子が可哀想。多分そのとき、初めてその子に同情したと思う。

 ただ、そう思えるのは私が人生の半分以上いろんな相手と戦って、いろんな相手に負かされて強くなってきたからであって。だから、まだ経験の浅い、その子が追い詰められてしまうのはしょうがなかった。加えて、応援する子たちも基本Cチームとかの子達だから、無責任な声掛けで知らぬ間にその子を追い詰めてしまうのもしょうがなかった。

 全員善意で、何も知らないでやっただけ。

 それがあの子を壊してしまうとも知らず。


 結局、決勝戦はストレート負け。相手の子がダブルフォルトとかしてくれたからパーフェクトゲームは逃れたけど、ほとんど何もできない試合。

 マアこんなもんだろ、最後まで泣かないでむしろよくやったほうだよ、と思ってコートから出てきたその子を見ると、明らかに様子がおかしい。何かに怯えているような、そんな感じで目をかっぴらいて、ブルブル震えている。熱中症と勘違いした後輩ちゃんがスポドリを渡しているけど、あれは多分違う。


 


 時々いるのだ。テニスで人を殺す奴らが。そういう奴らはとんでもない才能を持っていて、ただ淡々と挑戦者わたしたちを殺しにくる。私も今までに何回か戦ったことがあるし、その度に殺されかけた。ムカついたから意地でも殺されてやらなかったけど。でもそれは、たくさん敗北を知っているからできる芸当で。

 経験歴が浅いあの子は、まんまと殺されてしまった。

 多分これから、あの子はテニスをするのが辛くなるぞ、と思った。どう乗り越えていくかな、とも。ラケットを握るたび、コートに立つたび、あいつらのことを思い出して怖くなるんだろう。乗り越えられなきゃ、テニスを辞めるだけだ。


 マア、私には全く関係がないのだけれど。

 あの子が勝手に殺されて、勝手に怯えているのだ。やめてしまえば所詮その程度、ただこれからの人生、その才能を棒に振るだけ。

 勝手にやってろ、私は自分のテニスで精一杯なんだから。

 そう思って、その日は終わり。すぐにもとのコートに戻って、練習を再開した。


 さて、それから数日後。

 たまたま、中等部のコーチに呼び出されてコートに顔を出していると、あの子もコートにいた。どうやらこないだの大会が原因で、練習がうまく言っていない様子。

 マそんなもんだろ、と横目で見ていると、頬を真っ赤にした後輩ちゃんが近づいてきて、その子にひとこと。


 『せんぱいなら絶対、に大丈夫ですよ!』


 ああ、この子はもう駄目だな、と思った。

 

 元々限界だったところを、後輩ちゃんのひとことでとどめを刺されてしまった。多分もう立ち直れない。

 だって、さっきまでまだなんとか取り繕っていた表情が、もう出てしまっている。見てみろ、今にも泣き出してしまいそうだ。


 マア、私にとっちゃどうでもいいんだけど。

 せめて可哀想、と思ってあげるだけだ。


 しょうがないだろ、だって私は性悪なんだ。

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