第27話 夏は短し、泳げよヒロイン。

 遠くに広がる青い水平線、そして寄せては返す波の音が心地よく耳に届いてくる。空は澄み渡り、太陽の光が海面に反射してキラキラと輝いていた。

 あまりの日差しの強さに思わず手で影を作っていると、隣に立っていた可愛川さんが急に一歩前に出て、両手を広げながら大きく息を吸い込んだ。


「海だああああああ!」


 叫び終えると、くるりと振り向き俺に向けてピースをしてきた。


「匠くんも叫んでみたら?海だーって」


「周りに他の海水浴客がいるのにするわけないだろ」


「お兄さん、世間を気にしてたら生きていけませんよ」


どの口が言う。

すると後ろからいきなりドンっと背中を押された。その衝撃につんのめりそうになりながらも振り返ると、自分の身長の倍はあるパラソルを抱えた秋元さんがジト目をさらにジト目にして、唇を尖らせた。


「そんなところで止まっていないで、貸し出してもらった荷物を持つの手伝ってくれないですか?邪魔です、中谷匠」


「あ、悪い」


「わかったならいいで…うわっ!!」


 満足そうに口角を上げ、歩き出そうとしたところで足元に転がってた空き缶に足を引っかけ、体がバランスを失った秋元さんはそのまま前のめりに派手に転びそうになった。


「危ない!」と、俺が声を上げるよりも早く、後ろにいた久家が素早く手を伸ばして秋元さんの背中を支えた。秋元さんはふわっと揺れながら、ぎりぎりのところで転倒を免れた。


「大丈夫か、紅葉?怪我してないか」


「だ、大丈夫ですけど…」


 久家に声をかけられ、秋元さんはどこか気まずそうに彼の顔を見た。するとその瞬間に彼女の頬が一気に朱に染まる。


「お前自分より身長の高いパラソルとか持つなよ、貸せ。俺が持つからさ」


「義一は…久家義一は私が頼りないとでも言いたいのですか?これくらい私一人で」


「現に転びそうになってるだろ、ほら貸せって」


 何事もなかったかのようにスッと秋元さんの手からパラソルを取り、さりげなく肩に担いだ久家に秋元さんは口をすぼめる。そして、髪を耳にかけながら、照れ隠しのように目線を逸らすと、聞こえるか聞こえないかわからないほどの声でボソッと呟いた。


「…ありがと」


 そんな初々しい雰囲気を出している二人の姿を見ていた俺は、目の前で可愛川さんが俺の肩を叩いた。


「ひゅー熱いね」


「可愛川さんも働け」


「あいたっ!そういう匠くんも働きなよ〜」


 俺は可愛川さんの額に軽くチョップを食らわせた。唇を尖らせた可愛川さんが、反撃とばかりにぺちぺちと俺の肩を叩き続けるが、それを無視してアイリーさんからビニールシートを受け取る。


「海でとった魚って全部無料かな?」


「アイリー・冬美・ホワイトは電車に乗る前に焼きそばとハンバーガーを食べたのに、まだ食べる気なのですか?」


 焼きそばとハンバーガーを全部消化し終えてアイスを今まさに食べているのにもかかわらず、まだ食べ物のことについて考えているアイリーさんにビーチボールを抱えた秋元さんが呆れた顔と声色で言った。


 その時、少し離れたところであずきちさんと共に浮き輪に空気を入れていた鮎川さんが首を傾げなから俺たちに向かって叫んだ。


「アイリーちゃーん、ちょっとこっち来てくんないかな?私英語読めなくて、あずきちも英語読めないし」


「お、オウーイエース。オッケーイね〜。それではタクミ、モミジ、さらば。どうやら海に来て早々アタシは死ぬようだ」


 カタコト日本語で返したアイリーさんは手元のアイスをパクっと一口で平らげると、芝居がかった声で俺たちに敬礼をした。


「健闘を祈る」と俺も真面目に敬礼を返した。


 アイリーさんはそのまま笑顔で敬礼を続けながら、鮎川さんのいる方向へ駆け出していった。


「あの人、まだエセ外国人やってるんですか?」


「さぁ」


「まだバレてないと思ってるんですか?」


「さぁ」


 その姿を、秋元さんと俺は肩をすくめながら見送り、視線を海に移した。

 今日は快晴で、まさに海日和だ。青い空が果てしなく広がり、波が静かに寄せては返す音が心地よく耳に届く。

 俺が海に行きたいと言った後、一条がすぐさま坂本以外のみんなに連絡をとり日程を調整してもらい、今日に至る。まったく、一条様様だ。


 電車に揺られながら約二時間。海に着くや否や、あらかじめ予約しておいたパラソルやビニールシートなどの遊具を取りに行ったり、場所取りをしたりとひたすら忙しかったがみんなテキパキ動いたため、案外早く準備を終えた。


 俺はパラソルを開き、敷かれたビニールシートの上に荷物を置く。すると隣にいた久家が同じように荷物を置いて、そして俺と同じタイミングで腰を下ろした。

俺と久家は互いに顔を見合わせると、思わず笑い合う。


「やっと一息つける」


「はぁ〜そうだな。それより俺も付いてきてよかったのか?見るからにこの前のカラオケメンバーで来てるわけだろ。部外者の俺が紅葉と友達ってだけで、参加していいものかと」


「別に構わないよ。だって久家って秋元の友達だろ。それにこういうのは多ければ多いほど楽しいものだし」


 膝についた砂を払いながら言う久家に、クーラーボックスからジュースを取り出していた一条が、それを久家の前に置きながら言う。

 ほんといいやつだな、一条は。こりゃアイリーさんと鮎川さんという美少女が惚れるのもわかる。


「それにしても女子たちはどうした?あと吉田くんも」


「紅葉が脱衣所で水着に着替えてくると言ってたが…吉田は知らん、あいつ結構勝手だからな」


 ジュースを喉に流し込みながら久家が言うと、一条が目を伏せる。


「なぁ、三人とも男として聞きたいことがある。正直に言ってくれ一番誰の水着が気になるか?」


「「ぶふっ!はぁ!?」」


 あまりにも突然すぎる問いに、俺と久家は思わず飲んでいたジュース吹き出してしまう。一条は真面目な顔で続ける。


「女子たち5人がわざわざ水着になるんだ、気にならないわけないだろ。だから正直に言ってくれ」


 何が嬉しくてこんな真っ昼間の海水浴場でむさ苦しい男共と水着談議をしなくてはならないのだろうか。


「俺は…やっぱりアイリー・冬美・ホワイトかな」


「おー久家さん、その心は?」


「や、やっぱり、あの中でも一番スタイルが良いし、正直言って…あの胸の大きさで、気にならないわけがないだろ」


 久家は顔を少し赤くしながらも、隠しきれない本音を口にする。その言葉に一条が満足そうに頷いた。


「なるほどな、正直でよろしい。確かにアイリーは抜群のスタイルだからなぁ。だが俺としては、案外秋元が気になる」


「秋元さん?」


「そう、ああやって静かな図書館少女が開放的な水着になるってのが一番、いとおかしなんだよ」


 なに真面目に語ってるんだ、こいつら。煩悩の塊かよ情けない、今頃清少納言がいとおかしがそんな使われかたをして草葉の陰から泣いてるよ。


 俺は決してこいつらと同列の人間ではないと軽蔑の眼差しを向けていると、突然後ろから手が伸びてきた。そしてそのまま力強く抱きつかれる。


「たーくみくん」


 な、なんだ。この背中に当たる肉のない骨っぽい感触と甘い石鹸の香りは……。 

 も、もしかして今日きた女子の誰かか?俺とこんな近い距離のやつなんて一人もいなかった気がするがもしかして……。

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