第26話 透明人間くんの第一歩。

「と、とりあえず俺可愛川さんの料理がどんな感じかチェックしてくる」


「うん、わかった」


 俺は、少し照れくさくなって視線を逸らして立ち上がった。長い白金の髪を耳にかけた彼女を横目に扉を開けると、次の瞬間、バサッと可愛川さんと秋元さんが床に雪崩のように倒れこんだ。


「あいたたたぁ」


「なにしてんだ、二人とも」


「なぬっ、匠くん!」


 おそらく俺とアイリーさんが喋ってる間ずっと扉の前で二人揃って聞き耳を立ててたんだろう。少し照れくさそうに頭を押さえながら可愛川さんは立ち上がり、秋元さんも頬を赤らめながら完全に気まずそうに唇を尖らせている。


「別に聞き耳立ててたとかそんなんじゃないので」


「嘘つけ」


「そうだよっ!はるたちはただ料理出来上がったよと報告しようと思ったらたまたま匠くんがドアを開けただけで」


「嘘つけ」


 わちゃわちゃと言い訳を並べて誤魔化そうとする二人を問い詰めても仕方ないと俺はため息を吐きながらも、思わず苦笑いが漏れてしまった。

 それよりもどこからかいい匂いがキッチンから漂ってきていることに気づく。鼻をくんくんと動かしながらアイリーさんは、匂いの正体を確かめようとそちらに視線を向けた。


「もしかしてこれはっ!!」


「そうなの、冬美ちゃんっ。もみじちゃんに買ってきてもらった食材と家にあった食材で、カレーパスタとサラダ、あとオムライスを作ったの!」


「なんだってぇ〜」


 アイリーさんが大げさに目を見開いて驚いたふりをし、両手で頬を押さえながらその場で軽く跳ねた。そのリアクションにつられて、可愛川さんもくすっと笑う。


「俺の家でこんなご馳走を見れる日が来るとは…縁遠いことだと思ってた」


「そんな大袈裟な」


「いやマジで」


「実はね、紅葉ちゃんがいろいろ手伝ってくれたんだよ。材料買ってきてくれたり、野菜切ってくれたりね」


「いえ、そんな…私はただ買い物に行っただけで…」秋元さんは謙虚に言ったが、彼女の頬が少し赤く染まっているのを見逃さなかった。


「冬美ちゃん弁当メインでみんなでお昼食べようかなって思ってさ、はりきっちゃった」


 服を巻くって腕の筋肉をチラつかせてどや顔をしながら言った可愛川さんの一言に、アイリーさんが驚く。


「アタシの弁当がメイン?で、でも師匠に比べてアタシは料理下手だし…」


「なに言ってんの、冬美ちゃんが頑張って作った弁当をメインにせずなにをメインにすんのさ」


 やれやれと言わんばかりに首を振る可愛川さんに思わずアイリーさんもつい口元が緩み、釣られて俺も笑ってしまう。そんな時にポケットに入れていたスマホがブブッと震えた。電話だ。


「ちょっ、匠くんだけなに手伝い抜け出してんのさ。カレーパスタ一緒に運んでよ、わざわざ煮込みなおしたんだよ。匠くんのパスタは元々の冷えたカレーとはるのスペシャルカレーミックスしてるから」


「悪い、非通知で電話きたから玄関でかけ直すわ」


「ふーん、匠くん」


「なんだ」


 スマホを耳に当て、扉を閉める直前可愛川さんに返事をする。そして次の瞬間、俺の耳元に手を立てて可愛川さんは言った。


「冬美ちゃんね、匠くんに助けてもらった時怖くてろくにお礼を言えなかったから初めて作った弁当は匠くんにあげたいって張り切ってたんだよ」


「…そんなこと気にしてたのか」


「うん、だから美味しいって言われて嬉しかったと思うよ」


 可愛いとこあるでしょ?と得意げに笑みを浮かべる彼女に、俺は返事の代わりに扉を閉めてしまった。俺は、思わずその場でしゃがみこんで頭をかいてしまう。

 自分の心音を感じながら廊下の冷たい壁に寄りかかり大きく息を吐くと、電話をかけ直す。


「もしもし」


「あーもしもし?俺、俺、一条」


 俺という言葉を繰り返した時点で「オレオレ詐欺」かと思って切ろうと思ったがその続きの名前を聞いて切るのをやめた。


「一条?なんで俺のスマホの番号知ってんだよ」


「担任から聞いたんだよ、当たり前だろ」


 あの野郎、しないといけない仕事はせずに余計な事ばかりしやがる。


「それでわざわざ担任に俺の電話番号を聞いてまで俺に何のようだ?大した用がないなら今忙しいから切るけど」


「ちょいちょい待て待て。まあそんな焦るなよ」


「焦ってないよ」


 電話越しに一条が小さく笑う音が聞こえた。次の瞬間、彼は大きく息を吸い込むような音を立てて勢いのまま言った。


「今回の停学や殴られた件諸々について、本当に申し訳なかった!!」


 あまりに勢いのある、そして豪快な謝罪に俺は驚いてスマホを耳から離してしまう。それからすぐにまた耳に当て直したが、あまりの驚きで俺の口からは数秒の間声が出なかった。


「よせよ、そんな謝るほどのことじゃないだろ。第一、一条はなんも悪くないし」


「いや謝るほどのことだろ。担任に中谷のことはもちろん、アイリーも可愛川も悪くないってかけあったんだが無理だった…ごめん。せめてちゃんと謝罪をしたくて電話をしたんだ」


 一条は電話越しでもわかるほど申し訳なさそうに弱々しく言った。

 そこで俺は、何故彼が教師陣に何度もかけあったのかようやく理解する。きっと俺よりも責任感が強く、真面目な一条は俺たちに迷惑をかけたことを気に病んでいたんだろう。


「秋元や可愛川、アイリーにも後で謝るつもりなんだけどさ、一番最初になにも関係ないのに殴られたお前に謝りたくて。あの時誰よりも先に俺が動いていたら三人とも停学にならずに済んだ。ほんとに謝るだけじゃ気がすまないくらい悪いと思っている」


「だから謝るなって。ほんと…気にしてないからさ」


 扉を少し開けて、隙間からリビングを見ると秋元さんと可愛川さんがオムライスにスプーンを突き立てて何か論争を起こしており、それを宥めるようにアイリーさんが入っているのが見えた。なにやってんだあいつら。


 友達と食事を囲むなんてことは今まで俺にはなかったのでその光景を見てつい頬がほころぶ。友達?あれって友達…なのか?あいつらは、俺にとって友達なのか?


 俺は扉の隙間から俺の部屋で食事をとっている三人を見つめながら、ふと自問してしまった。それは俺が距離感を保ってきたのもあるがそもそも誰も、俺自身にそこに存在しないかのように興味を持ったことがなっかったし、誰にとっても俺は「そこにいる人」以上でも以下でもなかったから友達なんてできなかった。


 誰も本気で気にしない、それが俺だったはずだ。


 でも、今はどうだろうか。停学中に俺のことが気になって家まで来てくれる人がいるし、俺のために弁当を作ってくれる人がいて、俺や他の人のために料理を作って一緒に食べる人がいる。友達とまでいかなくてもこれは…友達に近い関係になってるのではないだろうか。


 それって、つまり俺は透明人間じゃなくて人として認識され始めているってことだろうか。気になる。俺は三人にとって何として認識されているのだろうか。


「停学中俺にできることがあるなら、なんでもしたいんだ。中谷のことだからいらないというと思うが、せめて何か」


「海行きたい」


「え?」


 俺は一条の言葉を遮るように言った。

 思わず、その発言に俺自信が驚く。一条もおそらく驚いているだろう。

 何故俺は急に海に行きたいなどと言ったのか自分ですらわからない。隙間越しに見ていると卵焼きを食べていた可愛川さんが俺に気づき、手を小さく振ってきた。


「この前カラオケ行ったメンバーでさ、海に行きたい」


 俺はもう一度言う。なんで海を選んだのかは、わからない。

 でも自分がなんなのかを知りたいと思ったから、初めて自分のしたいことを口に出して意見を言えたんだと思う。

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