第25話 狂気とかストーカーとかじゃなくて、ただの女の子なんです。

 箸を手に取り、焼き魚らしきものを掴もうとしたが指先にぬるりと滑りを感じる。焦げてるのにぬるりと滑った?どういうことだ。


「アイリーさん、これは?」


「唐揚げです」


 唐揚げだそうです。確かに唐揚げのフォルムに似てる気がする。唐揚げにぬるりとかあるのかな、もうなんだこれ。


 俺は覚悟を決めてその唐揚げを口に放り込んだ。


 その瞬間口の中に広がったのは形容し難い味だった。焦げた苦味と生臭さが同時に襲うというかもはやそれはただの炭だ。そしてそれを中和するように口の中に現れたなぜか梅干しの味、しかしそれもまた中和できずに結局炭と変わる。

 さらに追い討ちをかけるように、俺の口内で暴れ出す謎の肉片たち。


「…美味しいです」


「ほんと?」


「うん、すごく美味しい。初めてでこれはすごいよ」


 ある意味。


「あと、これもあるよ!」と、アイリーさんは嬉しそうに別の焦げた塊を指差した。


「オムレツ…のはずだったんだけど、ちょっと失敗しちゃった」


 そのオムレツを自称するものは、完全に黒く焦げて固まっていた。

 もう見た目ではそれが何だったのかすらわからないほどに。ここまで焦げていると、逆にどうやったらこんなに黒焦げになるのか知りたくなる。


「これも食べられるのかな…?」


「もちろん!見た目はちょっと失敗しちゃったけど、味はきっと美味しいと思う!」


 アイリーさんがいうならそうなのでしょう。でもさすがに命の危険を感じるので、オムレツではなく三段目の卵焼きを食べることにしよう。


 俺は三段目に視線を戻し、ぎっしりと詰まった真っ黒な卵焼きの中から、比較的焦げ目が少ないと思われる一切れを慎重に箸でつまんだ。見た目が他の焦げた卵焼きに比べて少しだけマシだったから、それに賭けるしかない。


「卵焼き、いただきます」


「はいどうぞ」


 ゴクリと喉を鳴らした後、意を決して口に放り込む。


「ん、美味しいっ!」


「ほんと?」


「うん、少し焦げてるけど初めてにしてはすごく上手だよ。ほのかに甘みがあって、卵焼きって感じの味がする」


 てっきり苦味やエグみ、焦げた風味が全面に来るものかと構えていたがそれほどでもなく、むしろ卵焼きとしての美味しさがそこにはあった。かなり焦げてるし、もちろん卵焼きとしての形は保っていないものの十分なほどの味がそこにある。


 それほどの出来栄えだ。


 彼女が料理未経験ということを考えればこれは上手な部類に入るのではないだろうか。


「よかったぁ、卵焼きはいっぱい練習したから」


「そうなんだ、すごく美味しいよ」


「ハル師匠に教えてもらったんだ」


 アイリーさんはそう言って少し照れ臭そうに笑った。そうか、可愛川さんか。思わず、彼女の名前を聞いて懐かしい気持ちになった。

 そういえば、初めて食べた可愛川さんの弁当にも卵焼きが入っていて、弁当の一口目も卵焼きだった。あの時も、こんな感じで少し焦げていたけど、甘くて優しい味だった。


「正直ね、卵焼き作るのを一番努力したし頑張ったから。褒められてすごく嬉しいな。師匠がね、熱心に卵焼きは弁当の花形とか言って何時間も教えてくれたの」


 どこか自慢気に話す彼女は可愛らしい、そんなことを思いながらふと目の前のアイリーさんの手元に視線を落とす。

 そこには、いくつかの絆創膏が貼られていた。指先や手の甲に、いくつもの小さな傷や切り傷の跡が見える。きっと、何度も何度も練習して、失敗して、それでも諦めずに作り続けたのだろう。


「ってタクミはこんな話聞きたくないよね…アタシなんかの努力とか、まあ努力して当たり前って感じだし」


「そんなことないよ」


 また俺から視線を外し自虐的な態度で笑うアイリーさんに、俺は首を横に振って否定した。アイリーさんは、いつも俺と話す時微妙に視線を逸らして居心地悪そうにする。


「もしかしてだけど…俺のこと嫌い?」


「そんなことないよっ、好きでも嫌いでもなくなんとも思ってない!!」


「あっそう」


 それはそれで傷つくな。まあ俺は興味を持たれないということを目指しているのだけれども、それでも心臓がチクリと痛むのはどうしてだろうか。


「じゃあ、男が苦手とか?」


 そう言った瞬間、耳をりんごみたいに真っ赤に染めて傷ついた両手で顔を覆って俯いた。


 あれ?この反応どこかで見たことがあるな。

 そうだ、可愛川さんに吉田くんについて言い当てた時こんな感じで恥ずかしそうにしてたっけ……ってことは。


 そこまで考え俺は気づいた、自分がとんでもない地雷を踏み抜いたことを。ビンゴか。


「アタシね、元々の学校に来る前まではハルキとか師匠みたいに陽キャじゃなくて…むしろ自虐的な感じだったから男の人とあまり話したことなかったの」


「でも学校ではふつーに俺や他の子たちに話しかけてたし、名前で呼び捨てにしてたよね?」


「それは、外国人キャラを被ってたからですっ!!あの時は嘘のフリで忙しかったからもうそれどころじゃなくてどうにか人にフランクリーに話続けたけど、今は完全にタクミの前だし素だから」


 なるほど、そういうことか。確かにアイリーさんの性格は学校でのそれとは全然違う。でもその説明だとしっくりくる。


「かなり切羽詰まってたって感じだね」


「英語喋れるフリしてたけど見た目ハリボテのコテコテの英語力ゼロの日本人だし…まああんな事件起こしちゃったからもうエセ外国人キャラはもう無理だろうけど」


 言っているうちにあの出来事を思い出したのかアイリーさんの肩はプルプルと震えだし、血が引いて少し青ざめた顔がさらに青ざめている。

まあ、エセ外国人キャラはあんなにペラペラに日本語を喋ってる姿をクラス全員に目撃されてるし、続けるのは無理だろうな。


 それよりスタンガンを持って暴れ回る印象の衝撃が強かったから、おそらくあの人には近づいてはいけないキャラが定着するのはまず間違いない。

 それは可愛川さんも同様だろう。


「やっぱりアタシ如きがマナツさんみたいな本物の陽キャになれるわけがなかったんだ。だから可愛川さんはすごいよ、停学になってから一緒に過ごしたりしたんだけど可愛川さんって日頃から誰にも見えないところで努力してるんだよ。


それを見た瞬間さ、敵わないなって思っちゃった」


 アイリーさんはそう言って自嘲気味に笑う。俺は、そんな彼女に何の言葉をかければいいのかわからなかった。


 慰めの言葉も、否定の言葉も違う気がする。


「嫌なことや苦手なことから視線を外すのは悪いことではないと思うよ。それは一種の自分を守るための防衛反応なんだと思うし、多分人間としては当然のことなんだ。現に俺もいろんなことから視線を逸らしてきた」


 そう、気づいていなかったけれど俺はずっと逃げてきた。

 自分の弱さから、他人の強さから、そして現実から。だからアイリーさんが苦手なことから視線を逸らしてしまうことを否定はできなかった。でも、視線を逸らすってことはきっと悪い事ではないと思う。


 それで俺は生きてきたから。


「でもアイリーさんは自分を卑下するほど弱くないと思う。むしろ強いよ、可愛川さんもそうだけど他人を守るために自分の仮面を捨てて身を呈す。スタンガンはさすがにやりすぎだけど、でも自分が守ってきたものを人を守るために捨てるって誰にでもできることじゃないよ」


「やっぱりスタンガンはやりすぎだった…?」


「やりすぎだった」


 そこだけはさすがに否定できない。


「それに可愛川さんが努力してるって言ってたけど、アイリーさんも料理が全くできない状態から短期間でここまで弁当を作れるのはすごいよ。これはアイリーさんが努力した結果だろ?すぐ完璧になるのは難しいと思うけど、ゆっくりゆっくりとりあえず一個ずつのことを努力していけばアイリーさんの目指す完璧美少女になれるんじゃないかな?まあ俺の持論だけどね」


 そう言って箸で卵焼きを掴み口に運ぶ。


「うん、美味い」


 それから数秒、彼女は根負けしたように目線を俺に向け口を開いた。


「タクミっ!!」


「え?あ、なに?」


「これからはさ、男の人ととかと話すためにタクミで練習していいかな?タクミとなら怖くない気がする…」


 アイリーさんはそう言って少し恥ずかしそうに俯いた。突然自分の名前を呼ばれたので、何事かと思ったらそんな可愛らしい提案に少し笑ってしまう。


「俺、一応男だけど目線合わせれるの?」


「頑張るからっ」


 ニカッと白い歯を見せて笑う彼女は、どこか吹っ切れたような清々しい笑顔だった。初めてしっかりと目線を合わせて気づいたのだが、彼女の瞳は透き通るような深い青色で、太陽の光を吸い込んだ宝石のようにキラキラと輝いていた。

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