第21話 あざとヒロインとストーカーヒロインは吹っ切れた。
心の内の言葉が口から出たのかと思った。でも違った。驚いて声の方を振り返ると、普段猫背で前髪が長くて表情が見えなくて、影が薄い吉田くんが坂本たちを睨みつけながら立ち上がった。
吉田くんが、初めてクラスの中で大きな存在感を示した瞬間だった。彼は少し低い声になりながら続ける。
「カラオケに行っただけでそんな貶される筋合いはない。僕はいいとして、秋元さんの前でそんなこと言うのは失礼だと思う」
俺が言えなかったことをあっさりと言った彼の姿はあまりに眩しくて、その姿はなんだか俺の目には勇者のように映ってそして、俺自身が情けなかった。
「ははっ、はぁ?」
「おい吉田、マジになんなって。冗談だろ、ジョーク。てかお前ももそんなマジになるなよ。たかが空気だろ」
その反応に坂本は面食らったのか、一瞬言葉を失うがすぐにまたへらへらとした笑いを浮かべながら続ける。さすがに秋元さんをその場にいさせられないと思ったのか久家が席を立ち、彼女を廊下へ連れていった。
「あのさぁ」
薄ら笑いが教室内に充満した教室に、よく通る澄んだ声が通った。吉田くんが声をあげた以上に信じられない光景に、俺たちは皆言葉を失った。
「空気とかジョークとかで片付けるの、はる嫌いなんだけど」
まさかあの可愛川さんが、あざとさや嘘に拘っていた彼女が人前に出てまで自身の意見をはっきり主張するなんて夢にも思っていなかった。
急に辺りが静まり返ったのは、みんな啞然としたからなのか。それとも彼女なら笑って受け流すただの冗談だと思ったからか。きっとその両方だ。
しかしそんな教室の雰囲気を気にもとめずに彼女は続ける。
「ていうか思ったこと口から吐き出しといてジョークとか正直、ダサくない?」
「お前女子だからって調子に乗って」
「やめろよ、可愛川ちゃんにそんなに怒る理由ないだろ」
予想外の言葉に苛ついたのか坂本が止めに入ろうとするもそれすらも押しのけ机を蹴る。
「ごめんごめん、ジョークだよ。怒らないで。教室で暴れるのはさすがに場違いだよ」
そして彼女は、少し困ったように笑いながら手を合わせた。それはあまりにも大胆でストレートな挑発だった。
「ちょっとはるるやめなよ、そんなわざわざ」
「なんで?悪いのはあっちだよ」
慌てて廊下から見ていた鮎川さんが止めに入るも、彼女は少し首を傾げてさも当たり前のように言い返す。
「もうさ、終わりにしないか?そんなキレても仕方がないだろ」
「うるせぇ中谷、さっきから調子に乗るんじゃねぇぞ。いつもいつもヘラヘラしやがって」
さすがに止めなければとできるだけ宥めるような感じで口を挟んだが、俺の態度は彼の逆鱗に触れたらしく勢いよく俺に掴みかかると、拳を振り上げた。
反射的に俺は顔を両腕で庇うが、反応が少し遅かった。
「ぐっ」
拳は容赦なく顔に入り、その勢いで俺は椅子ごと後ろに倒れる。一瞬目の前がチカッと光って、その後じんじんと痛み出した。
鼻の奥が熱くなり、鼻血がたらりと流れ出るのを感じる。
女子達がキャーキャーと甲高い悲鳴を叫んだ。うるせぇな、叫ぶ暇があったら教師呼べよ。てか教師どこにいるんだよ。一瞬俺の姿に、こんなはずじゃなかったとでも言いたげに一瞬怯んだ様子を相手は見せるも、すぐにまた拳を握り締める。
「おいもうやめろ。人を傷つけるほどのことじゃないだろ」
「内心俺のこと馬鹿にしてるくせにごちゃごちゃ言うんじゃねぇっ!!」
「一条よけろっ」
血走った目の彼に被害を少しでも小さくしようと一条が宥めながら近づくも、拳を振り上げようとしてることに気づき俺は鼻を抑えながら慌てて叫ぶ。
しかしその瞬間だった、彼は拳を振りかぶった状態のまま固まっていた。そして、その身体はガクガクと震えていた。
どした、急に?その謎の現象に少し戸惑いながらも、目の前を見上げると股間に思いきり蹴りを入れたアイリーさんの姿があった。まさか。
「ハルキに手は出させないんだから、バーカ」
思わず顔から血の気が引くのを感じた。そういえば今のこの教室の雰囲気で忘れていたが、可愛いくて儚い顔してこの子が一番過激な子だったなと思い出す。
だからってさすがに…股間蹴りはやりすぎじゃないか?
うぅ…っと声を押さえながら股間を必死に押さえて悶える彼の姿を見て、さすがにかわいそうに見えてきた。
「お前よくも…よくもっ!!」
「もうやめろよっ、おい」
再びアイリーさんに掴みかかろうとする彼の腕を俺は慌てて後ろから掴むもそれを振り払われ、また俺の腹を思いっきり蹴り飛ばした。
マジかよ…俺弱すぎんだろ。さすがにもうちょっと強いと自分では思ってたんだけど。
そして仁王立ちで立つアイリーさんに向かって拳を振りあげる。
もう駄目だ。そう思っていたが、またなぜか彼は振り上げた拳をそのまま停止させた。
その身体は再びガクガクと小刻みに震えたが、先ほどと違うこととしたらぐちゃぐちゃになった顔も隠そうともせずに、床に倒れこんだことだ。
そのあまりに衝撃的な光景を目の当たりにして、思わず教室内が静まり返る。
「可愛川さん?」
アイリーさんの目の前に立つ可愛川さんは息は荒く、制服が若干乱れてスタンガンを握り締める手は震えていた。ん?スタンガン?
「えぇ!?おい、ちょっと待て待て待て。大丈夫か、怪我してないか?えっ…ちょっと待って。スタンガンがなぜここに?」
慌てて床に倒れこんだ彼に駆け寄り、安否を確認しようと上半身を抱え起こし、肩を揺さぶる。
「もう許せないっ、匠くんだけじゃなくて無抵抗の冬美ちゃんまで殴ろうなんて。最低っ」
「…ハル。もしかしてアタシが鞄に入れていたスタンガンを?」
持ってくんなよ、そんな危ないもの!!学校をなんだと思ってんだよ、ジャングルか?ていうかやっぱり元凶アイリーさんかよ。
「うぅ…っ。一体なにが」
「よかったぁ、気がついたか。とりあえず保健室行こう」
「うるせぇさわんな」
頭を抱えて起き上がった彼だが、俺の一言に苛ついたのかまた俺の顔を思い切り殴り飛ばす。またこうなるのかよ。しかも俺、スタンガンやられた後の奴のパンチにも負けるのかよ。弱すぎだろ、知りたくなかったよそんな真実。
「また殴った!奥の手だっ、冬美ちゃん10万ボルト!!」
「オウイェー」
「ちょ、待っ」
遅かった。アイリーさんは先ほどよりもバチバチと火の上がったスタンガンの電源を入れると、それを起き上がったばかりで頭を抱えた彼に押し当てる。
「さすがに関係のない匠くんや秋元さん、吉田くんや冬美ちゃんまで傷つけてしかも殴ろうなんて許すと思うなよ、ふぁっきゅー」
「ジョークっていて誤魔化すんだったら自分もマジになって暴力に走るなよ、ふぁっきゅううううううう」
中指を立てる可愛川さんの隣でスタンガンをグリグリと押し当てながらアイリーさんが罵り叫ぶ。いやこれはさすがに過剰防衛すぎるだろ。
そのあまりに衝撃的な光景に教室内は叫び声と悲鳴で溢れ、中には泣き出してしまう女子までいた。
教室内でまさに横暴に振る舞った彼は、床で完全に白目を剥いて気絶した。
数分後、教師達が遅すぎるタイミングに駆け付け、そしてその後すぐ、俺たちは生徒指導室へ連れていかれたのだった。当然の如く、可愛川さんとアイリーさん、そして殴られた被害者である俺までもがなぜか停学処分を食らった。
あの時、吉田くんや一条みたいに止めに入れなかった天罰なのだろうが、最悪の夏休みの始まりだと思った。
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