第20話 透明人間でいすぎた代償。
昼休み、教室の隅で借りてきたばかりの本を開く。まだ誰も触れていないような、ページの感触と一緒に、ほんのりと漂ってくる新品の本の匂いが僕の鼻をかすめた。
図書室で入荷されたばかりの新しい本を借りてきて、気分がいい。古い本の微かな埃の匂いと一緒に、どこか懐かしい香りの紙の匂いも好きだ。
けれども新しく入荷したばかりの本を借りれると、なんとなくだけどラッキーと思う。なんとなくだけど。
「吉田くん、イチゴ牛乳買ったんだけど、間違って二つ買っちゃってさ。のむ?」
「え、あーうん。ありがとう。イチゴ牛乳好きだから嬉しい」
「ほげぇ!」
しかし、そんな幸せは束の間ですぐに俺の耳に聞きなれた奇声が入ってくる。
可愛川さんと吉田くんだ。
僕は思わず本を読む手を止めて、二人の方へ視線を向けるが、二人はそれに全く気づく様子はなく気まずそうながらも楽しそうに話を続けていた。
飲み物で釣って会話を早速始める気か、昨日の今日で大きな進歩だな。まあそうやって勝手に仲良くなってくれれば、こちらも世話ない。
案外その急な行動力は昨日のアイリーさんから学んだかもな。可愛川さんから視線を外しながら、僕はそんなことを思った。
そして少し離れたところで背比べをする秋元さんと久家を見ると、ちょうど彼女の視線が僕の方に向いた。
目が合った彼女は、ビクッと身体を硬直させ顔を赤くしながらすぐ俯く。僕が軽く頭を下げると彼女は慌てて手をふりふりして返したが、すぐに恥ずかしそうに両手で顔を隠した。そのあまりに人間らしい仕草に思わず口元が緩むのを感じた。
秋元さんも好きな人の前だと普通に女の子だな。
秋元さんが結構俺に乱暴したりするため俺とある程度仲がいいと思われた人もいるかもしれないが、案外教室内では話すことはほぼない。
不思議なもので教室外でよく話す人が教室内では話さなくなることってよくある話だ。クラスメイトなら知っていると思うが、普段俺はこの3人と、比較的近い秋元さんですらほぼ接点はない。
教室にいる間は秋元さんは基本同じ図書委員の久家としか話さないし、俺はそれを微笑ましいと思っている。
恋愛か、最近の生徒は勉強ではなく恋愛に明け暮れるなんてけしからんものだ。
「って思うよな、中谷」
「え?」
いきなり肩をポンと叩かれ、慌てて振り返えると同じグループの男がニヤニヤ笑いながら同意を求めるようにこちらを見ていた。
ヤバイ聞いていない。なんで聞いていないんだろう、普段は周りと同化しようと努めて周囲の会話に耳を傾けているつもりなのに、今日はどうしてかぜんぜん耳に入っていない。とにかく何か言わなきゃいけない気がして口をパクパクと魚のように動かしながらなんとか絞り出した言葉がこれだった。
「ごめん聞いてなかった」
「はぁ?」
思わず口を押さえた。違う。ここは適当に「そうだな」とか「わかる」とか頷いて適当に話を合わせるべきだった。なにやってんだ俺。
「空気読めねぇの」
「あはは、悪い」
「てかさ聞いて聞いて。俺昨日一条とカラオケ行ったわけ。そしたらあの可愛川ちゃんとアイリーちゃん来たん。すごくね?」
「はぁ!?坂本まじかよ」
適当に笑って受け流すと坂本が自慢話を始めたため次の話題にすぐ移ったようでホッと胸を撫で下ろす。
「おい一条、昨日カラオケ行ったのか?」
「え?あーうん」
鮎川さんと廊下越しに話していた一条は、いきなり話を振られて一瞬驚いたように体を硬直させると首を捻ってから頷いた。
「俺と真夏と可愛川、坂本、中谷、秋元とあとー吉田。それと後半になってアイリーも来た。なっ、中谷」
「まあ」
「ちょっと待てよ。秋元?吉田?俺の聞き間違い?さすがに場違いすぎね?」
おちょくった口調でクラスメイトがそう言った途端、一条はグッと眉間に皺を寄せた。誰もが気まずそうに視線を逸らしながら、それでも秋元さんや吉田くんの存在を意識しているのがわかった。彼女は教室の後方の席で、視線を自分の机に固定していたが、その顔は普段より少し硬くなっているように見えた。
「俺の聞き間違いじゃないって。秋元も吉田もちゃんといたよ」
一条が軽く肩をすくめながら言い返すと、教室内の会話が一瞬静まる。
「いや中谷はまあいいとして、そのメンツで吉田と秋元は空気が違いすぎだろ。浮きすぎ。えっ、坂本どうだった?」
「ここだけの話よ、ここだけの話。鮎川来るまで地獄空気だった」
「だよなぁ。イメージできるわー」
クラスメイトたちが揃って意地汚い笑い声を上げる。俺は微妙な居心地の悪さを感じながら、また適当に笑ってその場を流すことにした。
とにかくこの話は終わりにして次の話に早く切り替えようと思って、何か話題はないかと頭を必死に巡らせる。けどこういうときに限って何も思いつかない。
そうこう迷っているうちに秋元さんと目が合ってしまった。
普段は冷静で控えめな彼女が、この場面では明らかに居心地悪そうにしている。それも当然かもしれない。カラオケに行ったという事実だけで、これほどクラスの注目を集めてしまうのは、彼女にとっても予想外だったはずだ。
なにか言うべきだ、止めるべきだ。やめろよ、かっこ悪いって言うべきだ。
なのになにも言えない。普段透明人間でいすぎたから、自分を主張するのが怖い、できない。
「やめろよ、かっこ悪い」
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