第11話 小さな一歩、ヒロインにとっては大きな飛躍。

「匠くんっ!!あ、あれ」


「え?なに?」


「はるたちの部屋の前に……同じ制服を着た女子がいる。ほらあの子」


 廊下の奥に目をやり、可愛川さんが指をさす。

 すると確かに、彼女の指す方にうちの高校の制服を着た女子が扉にへばりつくようにして立っていた。


 癖っ毛ではないうねった髪が腰にまで垂れ下がり、毛先はふんわりとカールがかかっている。何よりも美しいのはその髪が光に反射し艶めく白金のような輝きを灯すプラチナブロンドで、その髪の一本一本がまるで生きているかのようにどこからかの風になびき、煌びやかに輝いている。


 しかし今、俺たちが彼女に驚愕してるのはその美しい彼女の髪でもなく、小ぶりながら筋の通ったその鼻筋にでもなく、赤く色取った唇でもなく、ずばり充血するくらい見開いた目であった。


 その目は血走り、鼻息は荒く、まるで獲物を見つけた獣のような形相で扉にへばりつく彼女は、はっきり言って怖い。


「あ、あれもしかして冬美ちゃん…?」


「まさか。あの美麗なアイリーさんが飢餓に耐えた虎みたいな顔をしてるはずがないよ」


「声かけていいのかな…?」


「さぁ」


 呆然と俺たちはただ彼女のその異様な雰囲気に圧倒されていると、俺たちの存在に気づいたのか彼女は不意にこちらを振り返った。

 数秒お互いを見つめ合い、びゅぅんと風を切るような勢いで彼女は扉から離れる。


「あれぇタクミとハル〜?どうしたのカナ?」


 最近までアメリカに住んでいて日本語に慣れてないといつも通りのカタコトで喋る、明るいアイリーさんがそこには立っていた。

 その豹変ぶりは、まるで二重人格かのようだ。


 大丈夫だ、いつものアイリーさんだ!さっきのは一瞬の緊張が招いた幻想、まさかアレがアイリーさんなはずがない。

 一つ一つの動作がゆっくりとしたその動きはどこか日本人形かフランス人形のような清楚な雰囲気を漂わせ、先ほどの俊敏さが嘘のようだ。


「まさか冬美ちゃんがここにいるなんてびっくりだよ、どうしたの?」


「うーん、どうしたのカナ?覚えてナイヨー」


 かわいらしく首をかしげて、ご丁寧に語尾に音符がついてそうなほど明るい声音で話すアイリーさんはとぼけた顔をする。


「もしかしてアイリーさん鮎川さんにカラオケに呼ばれたんじゃないか?ほら、さっき鮎川さん友達の女子をもう一人呼んだって言ってたし」


「あぁそういうことかぁ。へぇ、冬美ちゃんいつの間にかなつなつとも仲良くなってんだ。知らなかったよ〜水臭いなはるにも教えてくれればよかったのに」


「ゴメンネェ。アタシ日本語喋れないノネ。だからカナ?ソレジャ」


「ちょっと待ってよ、一緒に入ろ?みんな待ってるよ」


 まるで逃げるかのように、その場を去ろうとするアイリーさんだったが可愛川さんが腕を掴む。その瞬間、彼女は物凄い剣幕で勢いよく振り返る。


 無言の圧をかけてくる彼女の表情は、なんというか恐ろしいの一言で表すには十分だった。だがそれに負けず劣らず可愛川さんも笑顔のまま身を乗り出して、一歩も譲らない。


 あざといモードの時の可愛川さんは「吉田くん」という禁句カードさえ使われなければ最強だぞ。


「さっさっ、冬美ちゃん一緒にはいろー!匠くんドア開けて」


「あっ…うん。わかった」


「ちょいと待ってくださいよ、はるさん」


 おい今流暢な日本語だったぞ、とツッコミを入れようとしたが扉を開けた瞬間に賑やかな音と笑い声、そしてまるで別世界に迷い込んだかのような光景が広がっていて一瞬にしてツッコミが迷子になった。


 順序追って説明していこう。


 まず目に入ったのは涙目になりながらも歌い続ける秋元さんの肩を組んでマイク片手にノリノリでデュエットを熱唱している鮎川さん。


 そしてそんな2人を囲むように知らない女子と坂本、一条がお揃いのサングラスをつけてタンバリンを鳴らしたり、手を叩いて盛り上がっている。


 そんな彼らから少し離れて吉田くんは一人ソファに座り、まるで自分は関係ありませんという風な顔をしてマラカスをシャカシャカと振っているが、その目は死んだ魚の目のように光がなく、どこか遠い世界を見つめていた。


 いや待ってどこからツッコめと?


「まずそこにいる知らない女子だれなんだっ」


「ちぃーっす。あずきちでーす」


 手を額に当て、えへっと笑うその比較的かなり小柄な少女はタンバリンを鳴らしながらそう名乗った。


「あっ、この子私の同じクラスのあずちゃん。さっき言ってた後から来る予定って言ってた女子」


「えぇ?じゃあ冬美ちゃんは何?なんでここにいるの?」


「うーんアタシモワカリマセーン」


 視線を逸らしたアイリーさんに可愛川さんは詰め寄るが、彼女は口笛でも吹きそうな勢いでそうしらを切る。


「まあいいじゃんいいじゃんっ。誰か知らないけどこっちおいでー」


 マイクを持った鮎川さんは大きな笑顔を見せてアイリーさんを招き寄せる。


「あれアイリーじゃん?なんでここにいるん?」


「ハルキ〜、アタシもなぜここにいるのかワカラナイんです」


「えっ!アイリーちゃんいるんすか?どこどこ?」


 アイリーの存在に気づいた一条がサングラスをクイっとあげながら、意外そうな顔でアイリーさんに声をかけ、それに続いて坂本もテンション高くキョロキョロと部屋を見渡す。


 そうか三人ともサッカー部とそのマネージャーだから比較的仲が俺たちより良いのか。しかし、一条も坂本も鮎川さんまで知らないとしたら一体誰がアイリーさんを呼んだのだろうか。不思議だ、謎は深まるばかり。


 そんなことをぼぉーと考えていると、可愛川さんがアイコンタクトで俺に助けを求めていることに気づいた。


「た、匠くん。今オレンジジュースを吉田くんに渡せばいいのかな?それとももうちょっと静かになったあとかな?」


「うーん。ちょっと今ごちゃごちゃしてるからさすがに後の方が……」


 と言いかけて、俺は口をつぐんだ。


 なぜなら吉田くんがアイリーさんの登場により目を見開き、これでもかというほど目を見開いて硬直しているのが見えたからだ。

 そ、そういえば吉田くんに好きな人のタイプを聞いたときアイリーさんと言っていた。


 今回のカラオケにアイリーさんが現れないと思っていたから安心していたが、もしかしてこれ可愛川さん最大のピンチか?


 きょとん、とした顔でキョトンと小首をかしげている等の本人可愛川さんは何も知らないため呑気な顔をしている。今これほど近くにライバルがいるのに。


「今行った方がいいと思う。今話しかけた方が絶対いい」


「そうかな?わかった。今話しかける!」


 ふんす!と気合を入れるように意気込んだ彼女は一歩、二歩と近づいていきついには吉田くんの目前まで迫った。


 隣に来た可愛川さんの存在に気づいた吉田くんは彼女を見上げる。


「お、お隣失礼します」


 キャバクラかよ。思わず心の中でツッコむが、頬を赤らめながら唇を震わせる彼女は真剣な表情で吉田くんの隣へと座る。

 吉田くんの隣に座り、彼女は緊張をほぐすようにふぅと息を吐いた後、意を決したように口を開く。


「よ、よよよ吉田くんは歌は歌わないの?」


「えっ?あ、うん。歌うよりは見る方が好きだから。それより手に持ったコップ、テーブルに置かないの?」


「あっうんそうだね。こ、このオレンジジュースそのー匠くんから預かって渡すように言われたの。ね?匠くん」


「お、おう」


 そこは俺に振らずに吉田くんに振れてくれ。まあ可愛川さんもかなり緊張して話づらそうに見えたから仕方がないか。


「そうなんだ、わざわざありがとう」


「ひゃっはぁあー」


 吉田くんの笑顔のお礼に、顔を真っ赤にした可愛川さんが変な奇声をあげたため急いで俺は肘で彼女の腕を強く突く。


「…じゃなくて、ありがとうなんて大丈夫だよ。あと匠くん痛いなぁ」


 あははと愛想笑いを浮かべながらなんとか取り繕った彼女は笑顔のまま俺に抗議の視線を向ける。悪かったって。

 吉田くんはというと、顔を下に俯かせながらも視線だけをチラリチラリと彼女に向けている。そしてやっぱり前髪で顔が見えない。

 やはり普段から無口な吉田くんと緊張しまくっている可愛川さんでは、会話が弾むわけもなく沈黙が場を支配する。


「ごめんねっ!」

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